ねえ、店長さん。あの日の満月は、私にこう呟きました。

――お前に見てほしかったんだよ。だから光ってたんだよ。

 

 

⚫ 1時間53分

 

唐突に思い立ちまして。今回は「映画の森」。

 

 

(結果として)樹木希林さんの「最後の主演作」になった、ということでご存じの方も多いのではないでしょうか。

 

河瀨直美監督『あん』(2015年)です。

 

 

縁あってどら焼き屋「どら春」の雇われ店長として単調な日々をこなしていた千太郎(永瀬正敏)。そのお店の常連である中学生のワカナ(内田伽羅)。ある日、その店の求人募集の貼り紙をみて、そこで働くことを懇願する一人の老女、徳江(樹木希林)が現れ、どらやきの粒あん作りを任せることに。徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、みるみるうちに店は繁盛。しかし心ない噂が、彼らの運命を大きく変えていく…

 

 

 

・・・というお話。

 

*以下、ネタバレ注意でお願いします。

 

 

映画は、徳江さんと店長さんが出会い、ワカナさんを交え(どら焼きの)「あん」づくりを通して人生を語る、かのような趣で淡々と進んでいくのですが・・・

 

物語を暗転させる「心ない噂」とは、徳江さんがかつて癩(ハンセン病)を患い、現在も(今日では自由に出入りできるものの)隔離施設だったところに住んでいる、というもの。

 

その噂自体は事実であり仕方ないのだけれども、むしろ、それについてまわる偏見によって、結局、徳江さんは店を辞めることになります。

 

 

常連のワカナさんが手にした癩病関連の本には・・・

 

私たちも陽のあたる社会で生きたい。

 

・・・とあり、

 

 

徳江さんが店長に宛てた手紙には・・・

 

こちらに非はないつもりで生きていても、

世間の無理解に押しつぶされてしまうことがあります。

智慧を働かせなければならない時もあります。

 

そうしたことを伝えるべきでした。

 

・・・とありました。

 

 

その後、ワカナと店長が徳江さんを訪ねた折、彼女の半生が語られます。

 

ワカナと同じ齢の頃に「隔離」されたこと。子供を授かったものの、産むのは許されなかったこと。その子が生きていたら、ちょうど店長くらいの齢になっていたであろうこと。

 

何より、「外」の人と関わり働いて、本当に楽しかったという徳江さんの想い。

 

 

この辺りからはですね、ホント、ただただ静かに涙が流れる、という感じでした。

 

 

しばらくして徳江さんは亡くなるのですが、カセットテープにワカナと店長への伝言を遺していました。その一部が冒頭引用。

 

 

そしてラストシーン。「生前のモノローグ」風のナレーションが、映画自体のキャッチにもなっているこちらのセリフです。

 

 

ねえ、店長さん。

 

私たちはこの世を見るために、

聞くために、生まれて来た。

 

だとすれば、何かになれなくても、

私たちには、生きる意味があるのよ。

 

 

ということで、トレーラーです(サムネイルは何故か市原悦子さん)。

 

 

 

こういう記事を書いておいて言うのも何ですが、1時間53分の映画は、1時間53分使ってこそ「分かる」というもの。

 

しっかり時間を取って、じっくり鑑賞してほしいですね。

 

その上で、それぞれの心に何かが伝われば望外の幸せというものです。

 

 

と、何故か監督みたいなことを言ってみる。

 

 

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⚫ 140文字じゃないから

 

種明かし、と言うほどのものでもないのですが、「唐突に思い立ちまして」の理由はこちらの記事。

 

4月12日に開かれた東京大学入学式。来賓として参加した映画監督の河瀨直美さんの祝辞が波紋を呼んでいる。

 

 

 

映画監督の「祝辞」を複数の国際政治学者がツイッターで批判して騒ぎになるっていうのが、う〜ん・・・

 

 

記事中のお三方とも、まあまあ冷静な議論を展開している方々だと思っていたんですけれども。

 

「ロシア軍とウクライナ軍は違う」「侵略戦争は悪」「どっちもどっちではない」等々、学者として論じているところを暗に否定されたと受け止め、つい「反応」しちゃったんでしょうか。

 

 

 〜〜〜例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。

 

河瀨さんが、これを政治学の講義で言ったんなら、そりゃ批判も当然ですが、そうではないですからね。

 

そもそも、これは「例えば」の部分であって、祝辞全体の趣旨はソコじゃないでしょ、とワタクシなんぞは思います。

 

 

というか、政治学の立場からしても、「戦争」「中立」「侵略」等、もっと緻密な議論を展開しなきゃいけないはずで(これは、最近そういう動画を視たので言ってみただけです)。

 

もちろん、理論は理論としても、事実関係自体が定かでない今の段階では、それこそ学問的には「どっちがどっち」とは言えないんじゃんないかな、という気もします。

 

実際「どっちもどっち」ではないにしても、ワタクシとしては、せいぜい、日本国としての立場上、現実政治的にはウクライナの側に立っておく、くらいで許してくださいと。

 

 

さて、河瀨さんの祝辞ですが、問題になった上の部分よりも前にあるのがこちら。

 

 〜〜〜ある映画人が私にこんなことを教えてくれました。たった一つの窓をずっと見つめ続けてください。若い世代には特にそのことがとても大切であることを忘れないでください。そのたった一つの窓から見える光景を深く考察してみてください。そうすればその窓の向こうにある「世界」とつながることができる。私はその言葉を頂いたときにとてもハッとしたことをよく覚えています。なぜなら、自分の部屋から見える窓の向こうの景色には「真理」が隠されているのです。そしてその「真理」を知ることで、結果的に世界中の人との出会いを豊かにします。それは他でもない自らの言葉でその真理を伝えることのできる自分でいられるからです。これこそがオリジナリティであり、他の人には真似のできない唯一無二のものとなります。

 

そして、結びがこちら。

 

 この自由な学びの場で存分に生きてください。これからたくさんの人に出会い、たくさんの本を読み、様々なことに挑戦していくのでしょう。見た景色、聞こえた音、匂い、味、肌触り、そこから生まれた感情を大切に、どれだけ小さかろうとあなた自身の想像力をもって真理を見つけるたった一つの窓の存在を確かめてください。どこまでも美しいこの世界を自由に生きることの苦悩と魅力を存分に楽しんでください。

 

 

よく見て、聞いて、真理を知り、真理を伝える・・・

 

政治学者ならぬ映画人、河瀨さんが東大新入生に伝えたかったことは、皆それぞれに、そういう生き方をしてほしい、ということではないでしょうか。

 

 

全文で5,600字(400字詰め原稿用紙14枚)ほど。それだけの文字数を読んで、初めて受け取れることがあります。

 

祝辞として、それなりに相応しい内容だとワタクシは思いましたが、まあ、評価は人それぞれで。

 

 

こちら、その全文です。