令和の世の中、男と女と、男でも女でもない人と、男であり女でもある人と、女であり男でもある人と、いや、とにかくいろんな人と・・・面倒くさっ!

 

 

⚫ 「女は恋」

 

あれは確か、中学1年の頃だっだと思います。英語の授業中、現在進行形と言えば、として先生が「ほら」と。

 

“Wind is blowing from the Aegean”

 

これだけでピンと来るアナタ、間違いなく昭和の人ですね。

 

 

ジュディ・オングの「魅せられて」、昭和54年(1979年)のレコード大賞曲なんですが、こんな詞が続きます。

 

女は海 好きな男の腕の中でも 違う男の夢をみる

 

えっと、これはアナタ的にOK?

 

さらに・・・

 

女は恋

 

これは、まあ良いとして。

 

いや、「女」というものを決めつけてるけど、やっぱりダメ?

 

女は海 やさしい人に抱かれながらも 強い男にひかれてく

 

いよいよ“ふたまた”要素濃厚ですが、こうなるともう令和の世の中的には放送禁止かしら?

 

それとも、心の中で想うだけならいいのかな?

 

名曲なんだけどなあ。

 

 

当時、純真な少年だったワタクシが「女って、そうなの?」と思い、恐怖したのは事実です。

 

でも、その感じ方が固定され、大人になった今も「女って、そうなの!」と考えているはずもないんですが。

 

 

⚫ 「女はいつも 待ちくたびれて」

 

「男は」「女は」と言えば、こんな歌も思い出します。

 

松山千春「恋」昭和55年(1980年)から。

 

 

男はいつも 待たせるだけで 

女はいつも 待ちくたびれて

 

それでもいいと なぐさめていた

それでも恋は恋

 

 

いやあ、決め付けてますなあ。

 

と言いつつ、実はマイ・カラオケ・レパートリー。令和の今日、耳に入るだけで「うっきー!」と唇を噛む人がいるってことなのかな?

 

 

 

⚫ 「いったい何を教わってきたの」

 

でもさ、別に、アナタのことを言ってるわけじゃないし、アナタがそうでないなら、いちいち腹を立てることもないでしょうに、と思わないでもないんですけど。

 

時は前後しますが、山口百恵さんが「プレイバック Part2」昭和53年(1978年)で、こんな担架切ってやり返してますよ。

 

女はいつも待ってるなんて

坊や、いったい何を教わって来たの

 

これも名曲です。

 

 

関係ないけど「真っ赤なポルシェ」、NHKでは「真っ赤な車」にして歌ってました。

 

 

⚫ 正当な批判 or 言いがかりの愉快犯?

 

さて、何の話かというと・・・

 

またまた「正しい人」達の叫びによって、特定の品が排撃されるという事件がありまして。

 

  2005~09年放送のテレビアニメ「おねがいマイメロディ」シリーズに登場するマイメロディのママの「名言」を使ったバレンタイン向けの商品が論議になっている。

 

   「女の敵は、いつだって女なのよ」といった表現があり、ジェンダーバイアスを助長するのではといった批判がツイッター上などの一部で出ている。アパレル大手「ワールド」の子会社とのコラボ商品を監修したサンリオは、こうした商品の発売を中止すると取材に明かし、「今後の商品企画に活かしていく」としている。

 

いや、だから・・・

 

誰か(この場合、キャラクター)が何か言ったくらいで、世の中のあれやこれやが助長されるんですか?

 

  「傷ついた心の絆創膏は新しい恋よ」といった男女を問わないものもいくつかあったが、主に論議の的になったのは、「女の敵...」のような男女別のものだ。

 

男女別で何かを言ったくらいで論議の的になっちゃうんですか?

 

具体的には、この程度(?)のセリフなんですよ。

「一度や二度の失敗でくよくよするような男をつかんだら一生の不覚よ」
「男って、プライドを傷つけられるのが一番こたえるのよ」
「女ってね、ダメな男ほど放っておけないものなのよ」

 

一体、誰が怒ってるんでしょうか。

 

 

そんな器の小さい人がいるとして、それはつまり・・・

 

図星だからでしょ。

 

つまり「女」じゃなく、むしろ「男」では、という気がしないでもない。

 

 

こんなことを「今後の商品企画に活かしていく」としたら、もう「モノ言わぬマイメロママ」くらいしか企画できませんがな。

 

 

 

⚫ ソレもコレも「時代の要請」?

 

事の経緯についても色々いわれているわけですが、こちら Oasis Log の記事は、きちんと12のセリフ全てを取り上げてて好感持てます。

 

ただ、全体の趣旨としては「まあ、販売中止もありでしょうね」くらいのスタンスでして・・・

 

 

「マイメロママの名言は女らしさ、男らしさといった考えを助長する!」とSNSで批判が相次ぎ炎上したことが、販売中止のけっかけだそう。

 

人によっては「男女を別にして考えている」と捉えられかねない内容なのかなと思います。

 

「男女を別にして考えている」のがそもそもダメだと言っているようですが・・・

 

端的であることが必須条件の「名言」でソレを言い出したら、もう名言なんて生まれませんよ。

 

というか、やはり、この程度のモノで、ですか? という感は否めませんね。

 

 

文句を言っているのがどういう種類の人か知りませんが、正直・・・

 

そんなのは言いがかり。

 

・・・だとしか思えません。いっそ、ライバル会社の策謀じゃないかと疑いたくなります。

 

 

このアニメが放送されたのは2005年〜2009年。

 

この時代は今に比べると、「男はこういうもの、女はこういうもの」という決めつけに対して否定的な意見が少ない時代でした。

 

う〜ん、時代の変化それ自体は認めますが・・・

 

 

しかし、15年以上前の価値観はやはり現在では通用しなかったようですね。

 

まあ、そうかも知れない。かもしれないけれど、でも「通用しなかったようです」というのは、何処で誰に対してなんでしょう。

 

それを何処かの誰かが「決め付けて」しまって良いんでしょうか。

 


 

一応ね、そんな世の風潮、時代の要請に棹さすのであれば、そういう判断もありだとは思いますよ。営利企業としては、わざわざ「敵」をつくる必要もないですしね。

 

そのための勉強はしたら良いし、その意味で(以前からある)こちらのサイトは、それなりに参考にはなります。

 

本記事では「差別表現だと誤解されて批判が殺到した事例」「企業が注意するべきポイント」についてご紹介します。

 

表現の自由があるとはいえ、差別的な発言や表現は現在もなお問題視されています。ときに情報発信者の意図しない形で受け取る側に届き、「差別的である」と指摘されてしまうことがあるのが事実です。

 

そのため「どんな表現が差別と誤解されるのかわからない」「どんな媒体で差別と指摘されやすいのかわからない」と不安な方もいるのではないでしょうか。
 

今回は「注意するべき差別表現」と「企業として取るべき行動」について事例を絡めて解説していきます。  無意識で使っている表現が原因でトラブルを発生させないように是非今後の対策としてご活用ください。

 

 

 

⚫ 「みんなの友達」は毒にも薬にもなりません!

 

さて、当の「IT'SDEMO」は、批判の具体例も、販売中止の理由も明かさず、決定事項のみツイートしてます。

 

 

 

ま、下手なことを言うと、ソレがまた炎上したりするんで、この対応も、それはそれで正解なのかもしれません。

 

 

しかしながら、だったら、批判の方も聞き流しとけば良いのに、という気はします。

 

実際、ツイッター民の反応が色々面白いので、興味ある人は覗いてみてください。

 

 

 

こちら、別に応援する義理も人情も持ち合わせていないんだけれども・・・

 

 

 

ちなみに、Oasis Log の記事中「また、他にも強烈な毒舌がたくさんあります」ということで紹介されているマイメロママの名言には、こんなのもありました。

 

人ってね、権力を手にすると己の器も弁えず使ってみたくなるのよ。

 

 

うん、ソレはありますね。

 

権力を手にしているのか、単に暇なのかは知りませんが、日々、目を皿にして「敵」を見つけ、相手を謝罪・撤去・中止等に追い込むのが趣味、という人にも通じるところがあると思います。

 

 

思うに、今次「蔓延防止等重点措置」適用の圧力は、「感染」を恐れる一般市民というよりも、権限(予算)を使いたい官僚・役人といった人達から来ているのではないでしょうか。

 

 

めっちゃ卑近な話なんですが、例えば餅投げ。

 

一度投げる立場になって、わーわーと皆が手を伸ばしてくるのを見る。そこへ餅をばら撒く、いよいよ皆が群がってくる。気まぐれに何か条件を付けると、それでも皆がそれを聞く。

 

経験したことのある人には分かると思いますが、それは、かなり快感なんですよ。

 

 

現状、我が国の新型コロナ対策は、もはや科学もへったくれもない、そういう類の、人の情念レベルに堕ちてしまっているような気がしてます。

 

 

だいたい、ジェンダーバイアスとか、マスクとか、ワクチンとか・・・

 

何かを決めつけて言う人は確かに問題ありなのだけれども、それを真に受けて疑わない人の方がもっと問題です。

 

というか・・・

 

人のせいにしないで!

 

 

そもそも「男は」とか「女は」とか、そんな一般論には、アナタが(!)惑わされなければ良い。

 

気に入らないとしても「私は(!)違うんだけどな」くらいに流しておけば良いでしょう。

 

あるいは、それを言う人を(心の中で)軽蔑したり、ひっそりと(もしくは、はっきりと)距離をとったりすれば、というだけの話じゃないんですか。

 

ワタクシ事ながら、これも中学生の頃、体育担当の先生に「男のくせにおしゃべりだな」とか言われて深く傷ついたことがありますが、しかも、そんな彼が何故か女子生徒には人気があったりして、でも、そういう先生の存在自体を許せないとまでは思いませんでしたよ。嫌いは嫌いでしたけど。

 

「認めたくない」と「認めない」とは違うんです。

 

 

ゼロ・コロナ、ゼロ・オミクロンが実現するとしたら、それは人間(と動物)が死滅した時です。

 

それと同じように、ゼロ・問題発言(チラシ、ポスター、グッズ)が有り得るとしたら、それはあらゆる創造文化が廃れた時だということになるでしょう。

 

 

⚫ 「心の支えは いつの時代も」

 

そりゃね、穏やかな人付き合いをしていくために配慮は必要です。それができる人はすればいい。

 

けれど、自分の「正しさ」を疑わず、誰かに向かって「配慮しなさい」と言い出す人が続出すれば、別の息苦しさを生みます。事実、昨今の空気はそうなってます。

 

 

ということで、最後に、チャゲ&飛鳥「男と女」昭和56年(1981年)から。

 

 

心の支えは いつの時代も

男は女 女は男

 

 

いやもう、それこそ「LBGTQへの配慮」必須の時代には、完全アウトでしょうね。

 

これも、マイ・カラオケ・レパートリーなのにッ。

 

 

 

で、結論。

 

いろんなモノ・コトについて・・・

 

いちいち「差別だ」という方向に気持ちが向かうアナタこそ差別意識を持ってるんでしょ。

 

・・・です。

 

 

そうね・・・

 

世の中「男」と「女」ではなく、ついでに「保守」と「リベラル」ではなく・・・

 

「頭の固い(不自由な)人」と「頭の柔らかい(自ら考えられる)人」とがいる。

 

・・・そういうことなんだろうと思う、今日此頃です。

 

🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥

 

何か批判が出たときには「いろんなご意見があるのは承知しておりますが、消費者(購読者・視聴者)が判断することです」とでも言って静観してれば、大概のことは、皆、すぐに飽きるものです。

 

どこからも批判のないモノなんて、そりゃ大抵ツマラナイものですよ。

 

こちら、そんな趣旨の過去記事です。お時間あれば。

 

 

 

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おまけ。というか、ダメ押し。

 

河島英五「酒と泪と男と女」昭和50年(1975年)ですが、タイトルはもちろん、全体通して「ジェンダー・バイアスを助長」すること甚だしい名曲です。

 

褒めてます。

 

 

ワタクシ自身は「男」でありながら、こういう酒は飲みませんけどね。