そこで誰かが私に、 
「いったい何が言いたいのだ」 
と訊ねるならば、こう答えよう。 
「彼らはすべて愚かにも、一つの悪をさけようとするのはいいが、たちまちに、正反対の方向に走っていってしまうのだ」 
と。 
好色(ホラティウス『風刺詩集』第1巻・2)

 

お約束の「手のひら返し」

 

東京オリンピック、どうやら一定のカタチにはなりそうです。

 

ワタクシ個人的には、たかがコロナごとき(!)のために中止とか、あり得ないでしょうと考えていたので、まあ、良かったと思います。

 

 

思いますが、大会そのもの、どういった「感動しました」とか「夢をありがとう」とかが繰り広げられているのか、正直、ほぼ、知りません。

 

 

実はこのオリンピック・・・

 

今まで生きてきた中で一番見てないです。

 

 

だって、癪じゃないですか。

 

始まる前は、散々ぐだぐだ言っておきながら(そういう商売だけど?)、それでも、実際始まった途端、しれっと「頑張ってほしいですね」なんて言ってる(そういう商売だけど!)人達が伝えるものを視るなんて。

 

 

東京開催が決まってから、というか、それ以前からですが、とにかく、水を差す人達は後を絶ちませんでした。

 

いや、もちろん、何にだって「とにかく反対」な人は一定数いるもので、彼らが、その意見を自由に発言するのだって、それは構いません。

 

でもね、そういう、はっきり言って極一部の極小数意見を、針小棒大に拡大再生産する報道っていうのが、まあ、ホントに・・・

 

 

しかも、そのほとんどがオリンピックのスポンサーだったりするマスメディア関係者は「何だかんだ言っても中止になることはない」「どんだけ批判しても大会が始まれば盛り上がる」と高を括っていたように見えるのが腹立たしい。

 

そして実際、開会式以降、ちゃんと「盛り上がって」いる(らしい)のが、なお、さらに腹立たしい。

 

 

それでも、いや、そういうこともあって、ワタクシやっぱり・・・ムリでした。

 

個々の選手が悪いわけではないのですが、いちいちマスク顔を見せられるのも不愉快ですし。

 

無観客開催

 

だいたいね、「無観客」っていうのが、どうにもこうにも・・・

 

そもそも客を入れない前提の企画ならともかく、芝居やコンサートなどは、観客との遣り取りを含め会場全体一体となって創り出される時間・空間なわけで。そこにエクスタシーやらカタルシスやらがあるわけで。

 

スポーツも同じでしょう。

 

 

と、まあ、そんなわけで・・・

 

テレビ・新聞等、五輪報道は完全スルーじゃ。

 

・・・と決めちゃったもんだから、ネットニュースの見出しになるようなことで「へ〜」と思う以外、細かなことは全然分からなくなってます。

 

 

唯一の例外が女子マラソンでして。

 

地元豊橋出身、高校の後輩ちゃん(と言っても知り合いでも何でもありませんが)でもある鈴木亜由子さんの走りは、(悔しいけど)中京テレビ(日テレ系列)の生放送を見ました。

 

競技後のインタビューなど聞くとね、彼女がスタート地点に立ってゴールに到達してっていう、そのことだけで、やっぱり、良かったなって思います。

 

そういった個々の選手や大会関係者の方々を想えば、無観客ではあっても開催に持って行ったのは、やっぱり凄いことで、素晴らしいことに違いありません。

 

 

これは、鈴木亜由子ちゃんに関する過去記事。

 

何年か前に、
高校創立120周年記念オープンフォーラムで、
彼等を育てた(?)人の話を聴く機会もあったりして、

それ以来、
ついつい気になってしまうし、
結果が出れば素直に嬉しいし、

だったわけでして、

こうなると、もうね、
俄然、先輩面しちゃいます。

 

 

 

さはさりながら・・・

 

五輪を書いてもコロナ(マスク)に

 

何しろ、ここ2週間ほどで、特に目に付いたのは、こんな記事だけなんです。

 

 

もうひとつのユニフォーム

 

 新型コロナウイルス禍の中で開催されている東京五輪。選手が競技中以外のほぼすべての時間で着用を求められているのが、感染予防のためのマスクだ。

 ウエアの色に合わせたり国名を入れたり、国旗をあしらったり…。デザイン意識派もあれば、機能重視タイプまでさまざまなマスクがあり、もうひとつのユニフォームを視るようだ。

 一方で選手たちの競技前の緊張や直後の喜怒哀楽を隠してしまうマスクは、カメラマン泣かせ。「今大会はメダルセレモニーで表情を撮影するのが大変…」というため息も漏れる。

 「次の五輪はマスクなしで」。熱戦が続く無観客の競技場。カメラマンもきっと選手たちと同じ思いでシャッターを切っている。

 

 

そんな・・・ほとんどはウレタンでしょうし、だったら感染予防の意味ないし。

 

「マスクは、カメラマン泣かせ」とか・・・

 

正直「けっ」です。

 

五輪と政治・経済

 

思えば、ホントに種々諸々、多種多様なケチのついた大会でした。

 

五輪が、政治や経済に振り回されるのは東京に始まったことではないのだけれど、それにしても、不愉快度が高かった。

 

出処は、いわゆる「リベラル・反体制」で政府(もしくは、日頃から目障り認定していた個人)が困るなら何でもいい、な人達に違いないのに、いわゆる「保守」の側も、その戦術にうっかり乗っかってしまい政府批判(個人攻撃)に加わる、みたいな成り行きも多々ありました。

 

喫緊では「名古屋市長、マスク外しメダルかむ」批判も、それに近いものがあるように思います。

 

 

そんなん言うたら、今度の北京冬季五輪なんて、ウイグル問題をはじめ、百倍、百万倍くらい批判の種があるでしょう。

 

 

ただ、ワタクシ「だからボイコットを」と単純に叫ぶ気にはなれません。

 

どうせなら、ボイコットする国々が集い「シン・オリンピック」を開催するぞ、というところまで持って行ってほしいと思ってます。

 

ともあれ東京

 

まだ、パラリンピックがあります。

 

一部に「子供だけでも会場に入れよう」という意見があるようで、なるほど、ワタクシ賛成です。

 

競技中継だけでは完結しない、パラアスリートと(差別や偏見から自由な)子供達との交歓をこそ、(障害者を見ること自体に馴れていない)大人達に観させてほしい。

 

 

東京オリンピックは色々と残念なことでしたが、パラリンピックの方は、何とか、記憶に残るものにしてもらいたいと願ってます。

 

今からでも遅くない!

 

 

あ、オリンピックの方はですね、1週間位したら出揃うであろうムックとか別冊とか、テレビ・新聞系列でない出版社の本を選んで熟読、ワタクシになりの「感動」を頭ん中で構築しようと考えてます。

 

🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 

 

お目汚しに「多種多様なケチ」に関する過去記事などを。

 

この件に関しては、実際、白紙に戻すという決断をしたその行動と、
 

「何よりも優先されるべきは、国民の皆さん、アスリートの皆さんから祝福されるものとすることです」
 

というその言葉において、私は日本国の首相を信じます。

 

 

 

いや、もう、こういうのって、デザイナー自身が、「あ、似てますね」とか、「はい、ちょっと借用してます」とか、そういう正直なことを言っちゃマズイのかな?

文学も含めて、音楽でも、絵画でも、全く似たものが存在しないオリジナルって在り得ないわけですし。

 

 

 

マスメディアっていうのは、危ない、怖い、許せない、って言ってりゃ良いと勘違いしているようで、

ダイオキシンとか、カイワレとか、こんにゃくゼリーとか、そして、放射性物質とか、

 

 

 

障害のある人と普通に(!)接するにも、障害者アスリートを自然に(!)応援するにも、とにかく「慣れ」が必要ですから。  

 

 

 

 

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関係あるような、ないような本の紹介。

 

 

死んだはずの「全体主義」が、SNSを駆使して甦り、
「集団リンチ」を繰り返し、
国家転覆を実現する寸前にまで巨大化──

些細な「差異」を強調し、
「差別の被害者」を生み出し、
不満を利用した「新しい階級闘争」の正体

 

 

 

というモノでして。うん、そうなんだよ、と思うことしばしばです。

 

以下「おわりに」から。

 

 日本では政権批判なら何でも許される。いくら攻撃しても、政権から反撃が来ることはないからだ。反権力などと自己陶酔している記者たちは、常に絶対に反撃されない「時の政権」を叩き、自分の思想や主義・主張、さらにあh虚栄心を満足させるのである。

 

 メディアが健全な社会実現のために役に立たないどころか、むしろ「敵」となっている今、私たちは、より現実を見据えなければならない。そして、マスコミの報道のウラに何があるかを考えなければならない時代であることを強く認識すべきだろう。私たち一人一人が姿を変えた「新・階級闘争」に踊らされることのないよう心したいものである。

 

 

新型コロナ対策にしても、もともと「リベラル」(≒反体制・反政府)の人と、「保守」(≒嫌韓・反中)の人とが、それぞれ論理矛盾を内包しながらそれと気付かず一緒になって政府批判をしてるわけで。

 

そのために、武漢ウイルスはとにかく怖いものでなければいけないし、ワクチン接種は可及的速やかに進めなければならないわけで。

 

 

最後に目次を。

 

はじめに

序章 「メディアリンチ」吊るし上げ時代

第二章 コロナで焼け太る習近平と官僚

第三章 メディアの「反日」が止まらない

第四章 司法は国民の敵か味方か

第五章 緊迫する世界と平和ボケ日本

第六章 妄想する韓国・戦う台湾

第七章 日本人の矜持を取り戻せ

終  章 子や孫の命をどう守るか

おわりに