簡単に言えば、怒る、異性を好きになる
これらの原始的な感情のセンサー自体が
根本から狂っているという話をしています
原因は「反抗期」、「思春期」のロスト
本当に我慢が出来ないければ素直に怒ればいいんです
何で我慢する必要があるんですか?
何でも我慢するから自分の意見が無くなるんです
潜在意識は変化を嫌います
新しい感情、「怒り」
これに目覚めるには純粋な爆発的な怒りも必要なのかもしれません
自分の怒りという感情自体が無いか、
「怒りという自己表現をする事自体に恐怖している?」
怒る事に恐怖する、とも変な表現ですが
未経験の感情の開放には恐怖、嫌悪、恥あらゆる負の感情がつきまとうかもしれません
モラルという超自我に逆らうことは想像以上に難しい作業なのです
言い方を変えれば怒らない人は、優しい人にも見えます
ただ、ここが鍵ですが
「怒らないのか、怒れないのか?」
これが最大のACのキーです
一般的に怒るという感情は負の感情にも見えますが
怒るべき時に怒れないのは人間として不自然です
全ての感情を使いこなして初めて大人と言えるのです
オウムの2世さんが、あれだけの地獄をみせられて
それで親に怒る感情がないというのは、残念ながら異常です
もし彼らが私の文を見る機会があれば
「貴方は怒っていいんだ」、といいたい
その感情で一時怒り狂い、怒りに呑まれるかもしれない
しかし理性に偏り過ぎるのも人間としてバランスが悪いのです
全ての感情のバランスを意識してください
そしてその毒を吐きだした時に
本来の自分の感情、怒り、憎しみ、赤の感情
対するは青の感情、悲しみ、孤独
これらの意味を初めて本当に理解し、自分の肉体となるのです
それが出来ないのが 「離人症」 です
我慢だけしていればいいなんて、産まれながらの奴隷です
我慢という理性は、感情を殺す
「ただ我慢強い貴方だからこそ、その鎖が外れた時、爆発的なエネルギーが有る筈です」
我慢強さが、そのまま気丈さに反映されるかもしれません
苦労を全く知らないお坊ちゃんは、現実感が薄い人が多い
そして普段冷静な人が怒ると、一番怖いのはその為でしょう
「怒りという感情」に目覚めれば
反抗期に入り、自分自身の本当の意見に気付ける筈です
これに年齢は関係ない、ハシカ、水疱瘡みたいなもんです
自分でも驚く程怒りを貯め込んでいた人間も居る筈です
その怒りの度合いで気の強さが変わります
精神的なタフさ、免疫をつける行程です
そして新しい感情に目覚めたことにより、不良などの心理なども理解出来るかもしれません
相補性を理解するとは類似性の幅が広がるという事なのです
相手の心理が理解できれば、人見知りなども改善されるでしょう
環境適応能力、コミュニケーションの幅は間違いなく上がります
人見知りとは簡単に言えば右脳の思いこみです
ただの幻覚ともいえるでしょう
後は経験です、全ての感情の回路を構築して行ってください
怒り狂い満足して反抗期が終われば
自然と思春期に入り異性を意識するはずです
自分の生身の肉体と感じられれば普通はそうなります
普通の日本人はみな、そうしています
よく周囲を眺めてたらいい
自分の肉体だと実感できれば、現実的な目標なども欲しく成る筈
どんな職業になりたい、それにはどういう勉強をしなければならない
恋人も欲しい、何時までには結婚したい
あらゆる夢、欲、願望が出てくる筈
ニートなど言われている方々もこの手の病気でしょう
現実に対する、夢、希望これらが消失している
それは恐らく日本という安全な国に産まれたからこそ
「超自我というモラルが高すぎる」
だからこそ自分の意志、願望が希薄になるのかもしれません
自分の感情を無意識に押し殺している悪循環なのかもしれません
彼らの無気力さを見ていると、やはり激情という赤のエネルギーが不足している
一度自分の感情に素直に向き合ってみてください
何かを欲っする、己の意志を表現する事自体は何の恥でもないのです
「むしろ人は何かを変える為に生まれてくる」
何もしていないのに仙人面するのはやめたほうがいい
それは世の中に絶望してからでも出来る事です
「人は失敗を糧に成長する生き物なのです」
それに気付くには,早いにこしたことは無い
自分の感情に素直に行動しましょう
「理性的で知的な人間?」
そんなロボットに何の魅力があるのです?
感情を出すことは悪い事などではない
むしろそんな人間のが個性的で面白い人が多い
人間を磨くとは、実は感受性を磨く事なのだと私は思います
型に嵌らない、柔軟性のある考え方
理性に依るほど、硬く変化の余地がなくなる
私がエホバ人と大幅に考え方が違うのは
エホバ人の教育、超自我という補助輪を外しているからです
教えられた教育、理性など幼少時の補助輪でしかありません
そしてそのエホバ人の教育はただのカルトの鎖です
いい人なんかでは絶対にない、そこで益に成る事など何も無い
その教育は只の毒です
「サーカスのライオンと何も変わりません」
芸でいい人やらされているだけなのです
ACタイプ、ケアテイカー培養体
感情が欠落し、理性のみのホムンクルス、それが造られた「いい人、聖人様」
そしてその人体実験システム、その思念体が 「神様とやらの正体」です
自分の目で見、感じた世界こそが貴方の本当の世界です
「真理」などという戯言の対義語は「心理」
人の心は定義出来ない不確かなモノ
「理性」という超自我、スーパーエゴ、これの対義語は「感情」
感情を爆発させたとき理性は引っ込む
過干渉という殻を破り、自分自身の感性に、是非目覚めてみてください
「人間は感情の生物なのです」
そして表現がまずい部分のが多すぎます
ヒントは与えた気ではいます
あとは自分自身で考えてみてください
私の模倣は意味が有りません、自分の思考回路を構築してください
これがこうだと私が言い切れば、それは「真理」とやらと変わらないのです
聖書研究とかと比較されるのは流石に勘弁してください
私の戯言はここまでとします
気分を害された方も多いでしょうが
まぁ世の中には私の様なバカもいるのでしょう
そのバカからモノ申して見ますが
私の目的は皆様の手から神様、聖書を叩き落とす事なのかもしれません
「神様より、自分の力を信じて見たら如何でしょう?」
もし貴方達がそのまま子供を作るなら、それは新たな2世が続く負の連鎖なのです
それは全ての神、宗教家
教育と言う建前で毒を植え込む、問題のある親達
それら全てに共通して言えると私は、「断言します」
聖戦を叫び、武装蜂起する人間達
世界征服を掲げ核開発に傾倒する北の小国
あの思想は普通の日本人なら誰もがおかしいと思うでしょう
しかしそれは教育がおかしいからであり、彼らのせいではありません
そしてそれは自分自身にも起こっている可能性が高いのです
神やら宗教やら親とか言う概念でさえ
全ては幼少時に植え付けられた、先入観です
彼らが敵対勢力に何故攻撃的になるのか?嫌悪感を抱くのか?
彼らの判断力がそうさせているのではなく
彼らに入れられた超自我、教育自体が敵対勢力を嫌っているのです
彼らが日本人の教育を生まれながらに受けていれば
あのような思想の人間が出てくるわけがありません
宗教などの超自我に操られているだけなのです
人間の性格とは残念ながら、ほぼ生まれた時の教育で決まってしまいます
肌の色、人種が人間を変えるのではない、教育が人間を変えるのです
超自我が自分の思考回路自体にどれだけ影響を与えているか
一度深く考え直すといいかもしれません
それは間違った教育を受けたすべての人間にも共通です
冷静に考えれば意味もない嫌悪感、敵対心
これらのは右脳の思い込み、ただの幻覚でしかないのです
それが理解できれば全ての精神疾患という潜在意識の傷、つまりはトラウマは消え去るのです
そして人類史に数千年続いた先祖から続く、「宗教」という伝染病も終焉の時なのでしょう
時は21世紀
人間は科学と言う「知識の実」の力を手に入れました
神だの真理だの必用ないのです
狭い檻に入れられていた現実に気付く時ではないでしょうか?
私の正体は「神様」の対義語、「悪魔」なのでしょう
サーカスのライオンは何故、火の輪を飛び続けるのか?
「正当に怒る」 と言う感情を幼少時に封印されているからです
動物実験で有効な事象は、人体実験にも有効です
アダルトチルドレンは何故、生まれるのか?
親子関係でさえ、自分のありのままの意見、感情を表現できないからなのです
それはどのACタイプにも共通事項でしょう
家庭環境は人間関係の基本です
最初の人間関係の基本が出来ていないからこそ
コミュニケーション障害が発生する
「自分の本当の感情に気付けない」
その負の連鎖は気付けなければ一生続きます
自分の気持ちに鈍感とも言えます
親が本当に間違っているなら、我慢という選択肢が間違いなのです
間違いを正面から正す
時には怒るという選択肢が正解の時もある
その感情の第一段階が 「反抗期」 です
理性とは確かに無難な回答ではあります
しかし他人の模倣、「教科書の模範的回答」、でしかないとも言えるのです
だからこそ模範的でつまらない
全ての感情は成長します
それが本来の人の成長なのでしょう
この日本という文化に生きていて生きづらいと思うのであれば
なにかのトラウマは入っています
嫌味でいう訳ではない
是非、皆様が人生を楽しく生きて欲しいとは思ってはおります
敢えて吠えるなら
多分他にも、日本人になった普通の方はいるんでしょうが
皆さんのいう覚醒者とやらは 「私のつもりです」
それでもたかが、普通の人でしかありません
自分のありのままに、生きてみたらいいのではないでしょうか?
完璧な存在など有り得ない
そこには必ず矛盾が生まれる
皆様も所詮は、有限の生物
罪深く愚かな、ただの小さな生命の一つでしかないのです




























