保江邦夫・空間を友として生きる————神の箱の中 | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

「空間を友とする」これはどんな感じなのか?

 画家の目を持つとか、そういうヴィジュアルなつきあいかたではなく、のっぴきならない「空間」(物理的実体)としてそれと接し、それに守られ、それと通いあう。

 

 

 理論物理学者 保江邦夫さんの「素領域理論」。

 湯川秀樹博士がもともと提唱したこの理論では、空間は不連続で、あちこちに水たまりのような素領域があり、素粒子はそこを飛びうつってゆき……そこには「愛」「情」「神威」などが関与し(新たな物理学ではこれらをまとめて説明できるという)、すべてはいわば「霊」の中に存在しており……

 

🌟この本は保江先生の学生時代からの奇跡オンパレードの一代記をつづるのがメイン、それにちりばめられた上記の理論はコトバとしてしか私にはわかりません。

 

🌟しかしこの本の迫力は

 

ずっと「空間」に助けられてきた、という不思議な空間観。

 

 「僕をふくめて周囲のすべての存在を背後から支えてくれている素領域が集まってできている「空間」が、実に見事な采配でものごとの流れをアレンジしてくれたからに違いない……ともかく僕は「愛」や「情」によって、素領域とつながることで、その働きを引き出すことができていたのだ。(p.252)

 

🌟人生のいたるところに「空」があり、たとえばその部屋の「空間」に自分をあずけたり、流し込んだり、意識して支えられたりすることで、空間を友とし、そのフェーズで奇跡が起きてきた、という話。

 

 これは自分が長年通っている道場の「気」(の一部の達人)とひじょうに近い体感ではないか。

 ふと、そう思い出したので、再再度この本をまたひっぱりだしてきました。

 

🌟保江邦夫さん自身が合気道の達人でもあり、「愛」の空間を生み出すことによって相手を一瞬に無力にし、倒してしまうという本も出しておられます。素領域という物理学用語の世界は、「愛」と「空間制御」の一体化。ココに要があるのではないか?

 

🌟「空間」として「気」を感じてみることにしました。すると空気の着ぐるみのようになっている体を実体として感じることができます……

 その「気」というか、「空間」を体のまわりに(ふとんのように)把持、装着すると、相手の気から守られるというか、押されない(たとえ満員電車やおちつかない場所でも)。

 

🌟幼児の保江さんの表現では、「自分のすぐ隣にいて自分自身を常に守ってくれる「友」としての「空間」の存在を感じ取るようになったのだ。」p.18

 

 以来、保江先生は人生の困難な局面で、たとえば扉の中の面接試験場の空間を感じてみたり、旅行中にピレネー山脈の上の「空」に助けられてみたり、と「空」「空間」がいつも彼を守り、保護していることを感じてきます。(この空間と別の空間(たとえばピラミッドの「王の間」)をつないで、奇跡を起こしてしまうこともたびたび)

 

🌟自分としては「気」というものを、もやもやとまとう「温感」(湿感)のような雲めいた不透明なイメージで感じていましたが、保江さんの「空間」というコトバは違って、もっと澄明です。

 

「空間」はどこまでも制限なく、さえぎられずにバン、と広がっていて、体のまわりにだけ吐息のようにくもりとしてくっついたり、人とやりとりしたりするというよりも

 

なんだかもっと大きな「神の裾、生地の一部」のような感じが……というか「空間」を感じるとは、「神の冷蔵庫」の中にバーンと入ったような感じではないか。と突然、思いました。

 

🌟この神の箱の中にいると、どこまでもが自分の延長・連続となります。

 この「気」「空間」はつねに自分をとりかこみ、守っていて、ひとつであり、安全である気がします。

 

🌟これまで、自分をとりまくシールドというイメージに親しんできましたが、それよりもむしろ、大きな力強い空間の中心点が自分である、自分が空間を厚さ50㎝くらいでまとえば、それは何も通すことがなく、おびやかされない、いわば安全な「友」「緩衝クッション」「防具」なのだ……

 

🌟これをイメージすると、とたんに腰や背中が温かくなります。いつもくっついていてくれる守護の「壁」であり「友」

 これ、体感の新境地。

 

 ここで————いきなり連想がある物語へと飛びました。

 

🌟『ライラの冒険 黄金の羅針盤』(プルマン)という20世紀末のファンタジーがあります。このパラレルワールドでは、ひとの魂は体外にあり、デーモンと呼ばれ、動物の姿ですが、友のようにいつもつれだって歩いています。

 魂を自分の分身として把持しています。

 しかし、この世界に「北極クマ」(鎧グマ)の一族がいて、彼らは「デーモン」をもっておらず、魂はその「鎧」にやどっています。鎧を取られると、力が失われてしまう。

 この皮膚である鎧をとりもどし、一頭のクマが王座を奪還します。「鎧」は、真我というか彼そのものでもあり……「空間」に「魂を宿らせたようなもの」

 

この鎧は落ちてきた隕石で作られたもので、彼自身の本質と同じもの。

(この図の右端のオコジョが、少女ライラのデーモン。本体が子どものうちはデーモンはさまざまな姿に変身できます)

 

 (イオレク・バーニソンというこのクマ、映画館では抱きまくらになって売られていました)

 

 

🌟「友なる空間」とはこれか(みずからがまとう、みずからという鎧)……と改めて思いました。ファンタジーの多義的な意味はあとになって開かれてきます……