右脳をとりもどして生きる「ネドじゅん」さんが諄諄と語ってくれる、おおらかな至福の世界。
🌟私たちはたいてい左脳で効率的に生きています。成果主義、達成主義です。
下のように、からっぽの木の器があったとき、左脳はすぐに使い道を考えます。器自体を見るのではなく。
しかし、右脳だと
「からっぽだねぇ」と、ただそのモノ自体を単体で、味わいます。
役に立たせるには、とか、人間にとっての便利さとか、そうした属性のほうに発想を飛ばしません。
🌟これは器でなくて、自分自身に対しても同じ。左脳はすぐ「𠮟咤激励」「査定」をし、自分の到らないところを指摘します。
それは「いまここにいる自分」ではなく、「いまここにはない自分の可能性」に、目を向けているからです。
それに対して、右脳は細胞の愛なので、「生きているねぇ」「幸せだねぇ」としか呼吸していません。いいねぇ……
「いま、ここ」です。
🌟そして、この細胞知は、大昔から生物が持っていたもので、ときに超能力? テレパシー? のように、距離や理屈をまたいだ力を発揮します。
🌟ネドじゅんさんの一番最初に出た、youtubeの話です。宅配の仕事をしていたとき、ネドさんはふと右脳のささやきが聞こえるようになり、いつものルートと違うのに、「あの家へ先に行こう」とか「あっちだ」と、その声が言ってくれるようになった。
そして半信半疑で行ってみると、珍しく偶然にその人が在宅していたり、思いがけない「当たり」が続きます。
🌟これはたぶん、細胞の知恵(あるいは無意識)が、みんな「つながっているから」ではないかと思います。
🌟左脳は仕分けし、細別し、分離して、用途や便利さなどのメスで切り分けます。
でも右脳は「分離がない」ので、全体の中で、ふっ、ふっ、とあっちこっちがなぜかつながったり、ひらめいたり、そしてふんわりと一体感の海に浸っています。
個々のモノを査定して、もっとこうすべきだ、と指図することがない……
🌟もちろん左脳は生物の後発の特性で、それにはそれの役割があり、「理性」「論理」「秩序」などで社会を整えようとしています。
でも、現代はあまりに左脳優位で、右脳といういしずえが忘れ去られている、というのが右脳を推すネドじゅんさんの研究所です。
🌟これは「無意識さん」におまかせ(大嶋信頼心理学)の立ち位置とも似ています。
ゆったりと語るネドじゅんさんの声を聞いていると、たいへんに安らぎます。
「いま、ここ」と言いながら、エレベーター呼吸で意識をお腹にさげます。たしかに、「いま、なんにも起きていない」のです。
明日の試験やら、連絡や買い物予定、どうなるんだろう、という未来の不安、すべて、空中のどこかにあるのですが、いまここで呼吸している細胞の関与するところではありません。
(youtubeに対して、いろいろ鋭い読者コメントがありましたが、「思考とは可能性(ここにないもの)のことだったのですね」という書き込みが一番、納得できました。)
🌟細胞はおたがいどうし「響き合い」「歌いあっている」
二つの選択というタイトルは、「左脳」的な反応の生き方ではなく、「右脳」の
「生きてるねぇ、幸せだねぇ」
のありかたのほうにも目を向けてください、というメッセージです。
🌟この対句(生きているねぇ 幸せだねぇ)は折にふれて自分にかけてあげたい言葉です。