怒るっていうのも自己犠牲だった! | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

 

毎回、ふしぎなパラドックスというか逆説が出てくる大嶋心理学の世界。

 

🌟「自己犠牲」は特に面白い概念です。相手をよくしなければ、と思って立ててあげる、親身にアドバイスをする、あるいは自分を抑えて相手のために何かしてあげる、とおもねることをすると、相手がモンスターになってしまう、という記事がありました。

 大嶋先生は自意識ばりばりの善人なので、これらの仕組みがよく見えておられて

 

 相手がモンスター化するのは、自分の自己犠牲が原因。

 

 ふつうは相手におもねってあげたほうが、相手が気分をよくして平和なのでは、と思われますが、被害者や殉教者を目の前で演じられてしまうと、された相手はどんどん(なぜか不自然さに疲れて、苛立ち)モンスターになってしまう・・・・・・これが①

 

 だから、自己犠牲をやめると、モンスターが周りからいなくなるよ、というのが上の記事です。

 

 そしてもうひとつの流れ②

 ・・・・・・相手の意を迎えるようにふるまうと、それはけっきょく自分に欺瞞を働いていることになり、

 →それをさせる相手をなんとなく恨めしく思う

 「苦手なあの相手のせいだ」スタンスに入ってしまいます。

  自分でじわじわ相手をモンスターに作り変えている。

  あの人、顔をあわせるのが苦手・・・・・・に。

 

🌟ところがこんどの自己犠牲は「怒る」です。どこが自己犠牲かというと。

 一番上の引用ブログを見ると、しょっちゅう上司や仲間に怒っていて、相手がモンスター化していった、とあります。

 ここのしくみが、

 

 自分が怒る=身体に炎症が起きる→つまり自分を犠牲にして相手にぶつかっている。面倒な形のひねくれた自己犠牲をしているわけです。自分を消して、ではなくて、自分を発揮しているつもりなのに、自分の身体(や心)にダメージが来るのを覚悟でやっているから「自己を犠牲」!

 さらに相手の怒りを買ったり社会的にダメージを受けたりもするので、ますます身体と心が傷つく。

 うーん。これは何のためにしている「自己犠牲」なのか?

 

あっと驚くその真理。

————————————(ブログ引用)

「怒りを我慢する」とか「怒りを抑える」をやっていると爆発しちゃうから(どっか〜ん💥)。

 

でも、催眠のお師匠さんがきっかけで「あ!自己犠牲ってこうやってやめればいいんだ!」ということに気付かされました。

 

お師匠さんは怒らず「いいね〜!」と褒める。

 

私って誰からも褒められたことがなかったから、お師匠さんに出会った時は衝撃的でした。

 

「いいね〜!」とおっしゃってくださるから。

 

お師匠さんに「いいね〜!」褒められた時に初めて「私の中で無意識が働く」を感じられた。

 

難しい話を全部スキップしちゃうと「相手に怒る」とは自分の力で相手を変えて私の手柄にしようとしていた。

 

「相手を褒める」というのは相手の無意識を起動させて、無意識さんに全てを委ねちゃうこと。

 

無意識に任せちゃうから自分の手柄を手放しちゃうといういこと。

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🌟

けっきょく相手を変えてよくしよう、としているつもりで、「自分の手柄にする」「自己重要感を感じる」(あえていえば、自己重要感が薄れているので回復するために)怒っていた。

 それがわかると、怒る意味がなくなるから、ただ「相手を褒める」だけでいい。

 すると無意識さんが、相手の無意識を起動させてくれる・・・・・・

———————————————————————再びブログ

「相手を褒める」というのは相手の無意識を起動させて、無意識さんに全てを委ねちゃうこと。

 

無意識に任せちゃうから自分の手柄を手放しちゃうといういこと。

 

「相手にいいところがないから褒められない!」という「いいところが見当たらない」は自動的に心の中でダメ出しをしているから自己犠牲になってます。

 

「いいね〜!」で全て相手の無意識に委ねちゃう。

 

褒めることで自己犠牲を手放すことができて、相手の無意識が起動して与えあうの関係が出来上がります。

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🌟深いです。

 相手にいいところがないから褒められない! というのはダメ出し・攻撃で、自分の心身を犠牲にしつつ相手を変えて、実は自分の手柄にしようとしている、ということ。もっと言えば、自分に無力感があるので、手柄を立てねば、となっている。

 

「自分の手柄」

 

 確かに文句を言って溜飲を下げるのは、「手柄」として「胸スカ」になったりします。でも自己の重要感や存在感にまったく不安がない「神さま」だったら、どんな相手にも怒ったりしないはず !!!


 

🌟自分がおびやかされているから、「怒る」「事態を動かし、手柄で自己重要感を回復しようとする」

 

 でも、自分と相手の無意識を同時起動させることで、ぜんたいが動く。

 

バシャールは「罪悪感を人が抱く」のは長年、大いなる存在からの分離を経験してきたから、と言っています。よるべなく、不安で、独りである「自分」だと思うと、あれこれをして相手を変えたり、おもねったりしなければならない。でも自分が一枚岩のように安心であれば、

 

「怒ったり、自己犠牲をしたり」する意味がない・・・・・・(あ)。

 

 肩透かしです。自分が不安でなければ、自己犠牲はしないのだ・・・・・・

「いいね」とお師匠さんに言ってもらって、初めて無意識が動くのを感じられた、という大嶋先生。褒めるとはつまり「自分を赦す」に尽きるのかもしれません。↓