⭐️「がんばる」という態度について、まさに欲しかった、言葉が入っています。
頑張りは焦りや不安の対立エネルギーで進むことで、旧式な考え方です。たとえば、自分らしい自分はワクワクを追いかけて100の地点に数日で無理なく行きます。でも、頑張りの人はグッと堪えて、努力や労力を使って100の地点に何年もかけて”頑張って”行きます。 この二つの違いは明白だと思います。
⭐️「焦りや不安の対立エネルギー」・・・・・・
日々オリンピックを見ていると————そうかもしれない、と思います。みんな、がんばりに心身をすりへらし、しんどそうです。
PCR検査やバブル隔離どころではなく、体重やスーツの規格の検査やドーピングや、さらにはSNSなど外野からの𠮟咤・誹謗・非難、重たくなるような過剰な期待・・・・
もちろんハードなトレーニングも。外国選手よりもっともっと進んだことをやらねば。
これは一般のわたしたちが自分に対してやっている(やりたがっている)ことではないか(外はその反映・・・・・・)。
「焦りや不安の対立エネルギー」でもって、私たちは自分をドライブしています。
⭐️なにくそっ、と反発してがんばる。見返してやる、とがんばる。休んじゃだめ、人の休んでいるときにがんばれ。息切れ。
うわー、バシャールの言うように「ワクワク」だけでゴールに「数日」で行きたいです。
艱難汝を玉にす
ではなく、玉とか、全然どうでもいいから、楽に(エレベーターで)登頂して、すごい風景を見たい。
ハードな山でなければ意味がない、というのも、景観がゴールなのだから、とっぱらうべき・・・・・・。
⭐️もう少し濃縮してつきつめると、
そもそも、108さんのyoutubeに『ゴールにいない=幻想』という指摘があります。
すでにゴールにいる、のです。
「ゴールから出たことがない、というのが真実です」
「そこにいない、というのは幻想」
「それを了解するために、疑ってみる」
⭐️すでにここはゴール(楽)。それは「見えないから、ナイのではない」「見えないからナイ、と感じることは、違う向きを向いているというだけのこと」。ふりかえれ・・・・・・
「見えなくてもアル」という直覚の感じだ、と108さんは言っています。
「アル」は、究極の瞬間テレポートのゴールへの移動。
⭐️ここで私なりの「ファンタジー的」モデルをひとつ。
『ハリー・ポッター』の④「炎のゴブレット」以降、ハリーたちは鍛錬を積んだ箒で移動するのではなく、「フルーパウダー」(煙突飛行粉)を炎の中に投げこんで行き先を言うだけで、瞬間移動します。ただし発音をまちがえないこと(笑)
これが「がんばりの努力」と、「ワクワク」の違い。だと私は理解しています。