忍者歌舞伎————って今までになかったらしい | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

 秋元康作の新作歌舞伎「雪蛍恋之滝」↑海老蔵と児太郎

 

 新橋演舞場のお正月公演です。

 

 昼の部ラストは、任務遂行のみのクールな「忍び」と、敵方の殿の姫君の悲恋、という、ベタに少女漫画な一幕です。これが目玉(らしい)。

 2・5次元の舞台のごとく「ヴィジュアルの美しさ」に徹し!+ジャパネスクな風合い(ハモるダブル義太夫とか両側から鳴る三味線とか)が、何かオリンピックを意識してます。

 

「綺麗〜〜」

「海老蔵の横顔が〜」

 

 と女性客は年齢問わずうっとりしながら劇場を出てゆきました。

 

 ヴィジュアルが魔物性に刺さりこんでいる「海老蔵」(5月に團十郎襲名)のカリスマのために書かれたようなほぼ現代語の歌舞伎です。

 

 相手役の姫の児太郎さんは、素顔は美形ではありません。女形には素も美形な人が幾人かいますが、そうでなくてむしろ骨格がごつい感じの児太郎さんゆえに、というべきか、「可憐」「高貴な繊細さ」を、顔の作りとは別に、純粋なオーラとして漂わせることができる御曹司・・・・・・そこが伝統の型の魅力かと思います。

 

 

 

★外に出たら小雨が・・・・・・

今回の新橋演舞場の演目は、「近代的心理劇」ではなくて、見得を切る大悪人の咆哮(獅童)、がんばる人妻雪姫のたおやかさ(孝太郎)とか、動きや科白、五感に訴える魅力中心。

 

 こっちのほうが疲れないんだよねえ。

 

「この人は何を考えているか」を考えさせる重たい演目も歌舞伎にはありますが、そういうのは観客もちょっと「発作」になります。

 

 児太郎さんは並び写真の下の列、左から四人目です。

 

なぜ、外国人に受けるはずの「忍者」が今まで歌舞伎になっていなかったのか。

「忍び」は影のように、実際には存在しないもの(お庭番)としてふるまう存在。

 派手に見得を切ったり剣の冴えを見せたりするのは、「守るべき名」のある殿様や武士。

 でも「忍者」は功名手柄を求めない、ひっそりと働くスパイのような存在。

 今回、そこを秋元康さんはちゃんと踏まえて、「忍び」は使命を果たすだけ、「名のない存在」「主命を疑ったりしない」というふうに語らせていました。

 

 そこのところは正しい「忍者像」でした。でもそれを目立ちすぎる海老蔵さんがやるので————忍者というよりウィザード感がまさっていました(笑)。

 オリンピックふくめ、日本文化に関心を持ってくれる外国人が増えるといいなあと思います。