暮れが近づいてくると思い出す「大みそかファンタジー」のひとつがこれ。
このまがまがしい呪文を唱えよ!
ミヒャエル・エンデのブラックなファンタジー小説『魔法のカクテル』(1989)の中に出てくる、「願いのリキュール」の名前がこの
ジゴクアクニンジャネンリキュール。
一回聞いたら忘れられなくなってしまう。
↑”Der satanarchäolügenialkohöllische Wunschpunsch”
訳者の川西さんの天才訳。
この言葉がいかにまがまがしいかはさておき————
ストーリーは。
魔法枢密顧問官イルヴィツァーと伯母の魔女ティラニアは、大みそかの夕方難儀に陥っていた。本年度のノルマ、動物を十種絶滅させる、川を五本汚染する、木を一万本枯死させる、疫病を最低一本流行らせる、気候を操作して日照りか洪水を起こす、この半分しか達成していない、と地獄から通告が来たのである。
真夜中の鐘が鳴るまでに達成できなければ————地獄行き。
ふたりは秘密の巻物を見つけ、そこに恐ろしい魔法のカクテル、ジゴクアクニンジャネンリキュールの作り方がのっているのを知り、大急ぎでそれを醸造することにした。それは大みそかにだけ効くカクテルで、それを一口飲んで唱えたことは、すべて逆にかなうからだ。
ふたりのもとには、精霊や良い小人たちからのスパイとして、オス猫とカラスが送りこまれている。この呪文なら、彼らを自分たちが健全な願いを唱えていることの証人にすることができるだろう。
ところが、逆さ呪文の秘密を知ってしまったオス猫とカラスは、教会へ飛んでゆく。そして歳神たる聖ジルヴェスター像に、真夜中の鐘を早めに鳴らしてくれ、と頼む。
すると歳神は(作者M・エンデは、ルドルフ・シュタイナー思想の信奉者で、ファンタジー作家の中でもスピリチュアルな理論をとりわけ露骨に口にする人であるが)
「永遠のなかでは、時空を超えて生きているんだよ。過去も未来もなく、因果関係もなく、あるのはつねに変わらないひとつの全体だ。だから、今わたしはきみたちに鐘の音をプレゼントできるんだよ。鳴らすのは真夜中の十二時になってからだけどね。永遠からくる多くの贈り物と同じように、結果が原因より先に起こるのだ」
と言い、鐘をなでて、そこからクリスタルのかけらのようなものを取り出し、猫とカラスにくれる。ふたりはまったく理解できていないのだが、その「物質化した鐘の音」を持って帰り、できたてのカクテルにこっそり投げ入れる。
せっぱつまった魔法使いと魔女は願いを必死に韻文にして(呪文は韻文=つまり詩でなくては効かない)唱える。
・一万本の枯死した木がよみがえるように
・公害を生み出している会社の株がもうからなくなるように
・川がきれいになるように
・オットセイや鯨で商売をするやつがいなくなるように
実際はこの逆のことをもくろんで唱えているのだ。
ふたりは飲みながらどんどんエスカレートしてゆき
「海がきれいになるように」「風力と水力をエネルギーに」「子供たちの幸せがお金より大切にされるように」
そして、嫌い合っているくせに、お互いが「若く美しく、いい人間になるように」唱えてしまう。
カクテルはみごとに逆に働き————というか言葉どおりの願いをかなえてしまった。
メルヘンの王子と王女のように美しくなり、酔い潰れて倒れるふたり。気付いたところがすでに遅い。しかも「いい人間になりすぎたために、もう悪い魔法はかけられない……」
それでも最後に魔法使いが「自分たちが元通りになるように」唱えたために、泥酔した醜い姿にもどったふたりだが、首尾よく地獄につれてゆかれてしまった……
そして魔法使いに「立派な歌手になるように」願いをかけられていたオス猫がろうろうと歌うところで、物語は終わる。
☆魔法と言葉についての、実に鋭い物語。この悪魔のカクテルが効いていれば、唱えたことの逆が実現するはずだった。
それを狙って(原語だと)魔法使いと魔女が即席ででっちあげる願いの詩もすごい。
心にもないことをコテコテの詩にして歌い上げたら、その通りになってしまった。
言霊の力はおそろしい。
(しかし————たいていの日本人学生はこれを「環境破壊を戒める」メッセージ小説、として読んでしまう。『モモ』を、時間に追われずゆとりを持つべきだと主張する小説として読むように。エンデを語るときには、いつも高校(の現代文)教育に疑問を感じる)
何と言ってもキーとなるのは、除夜の鐘のかけらによって効き目が逆転してしまったものの、この「アコーディオン語」の呪文の凄さ。
「これはアコーディオンのように伸ばしたり縮めたりできることから〈アコーディオン言葉〉と呼ばれる、魔法の本にはしょっちゅう出てくる言葉のひとつ。
一章あるいは一ページに渡ることもあり……魔女や魔術師の仲間うちでは、大いに効き目があるとされてきた」(p.115)
不思議な法則にのっとった言葉には力が宿る。
カタカムナと同じである。
この名前は、地獄・極悪・悪人・忍者・邪念・念力 の六つの言葉をアコーディオンのようにくっつけてたたみ、最後にリキュール、とついている。
ところがそれだけではない。
地獄悪・極悪人・悪忍者・忍者念・邪念力・ネンリキュール とたたむこともでき
地獄悪人・極悪忍者・悪人邪念・忍者念力・邪念リキュール とたたむこともでき
地獄悪忍者・極悪忍者念・悪人邪念力・忍者念リキュール とたたむこともでき
地獄悪人邪念・極悪忍者念力・悪人邪念リキュール とたたむこともでき
地獄悪人邪念力・極悪忍者念リキュール とたたむこともでき
こんなふうに訳した川西芙沙さんは天才的だ。
一度この言葉を聞いたら、忘れることはできず、大みそかが近づくと、除夜の鐘を聞きながら、ジゴクアクニンジャネンリキュールと唱えたくなる。
もちろんその場合は、極悪なカクテルの力が反転して、きわめて大きなポジティブな願いもたちどころにかなうはず……
何を考えているかとは裏腹に、かなえてしまう言葉の力。そして唱えているうちに、どんどんその気にさせられてゆく言葉の力。
こういう魔法の言葉をいくつも戸棚に持っていたいものだ(もちろん大嶋呪文も一番あたらしいキャビネットに入れてある)。
※ミヒャエル・エンデ『魔法のカクテル』川西芙沙訳 岩波書店 1992(訳書)