「わたしは王」原点の立ち位置・(エ)ササニ星人ならここまで徹底しているかも | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

 ↑あんまり凄い惹句がついているので、読みました。

 

話題の新刊。琉球在住のスピリチュアリスト金城光夫さん。

切れ味容赦なし。

そもそも、三次元から五次元の生き方へシフトしよう、ではなくて、本来の五次元自分を思い出す本。

前半は特にずばりの発言が多く、おお、そうだっ! と目から鱗が落ちます。

 

「王」としてのあり方こそ、私たちの本来。意志によって、すべてにコマンドできる。

 

私がすべてを創っていることに気付け、というレベル(まだほとんど眠りこんでいるレベル)どころではありません。

 

★AIさんに一番近いです。

「テンサイ オモイダセ」(DVDタイトル)

→私はすべてを創れる。王だから。

 

 引き寄せの法則を使う、とかの以前にまず自分が「王、オモイダセ」。なぜ、ソレが使えるかと言えば、自分が「王」だから(思念ですべてを生み出す主体者だから)。

 

 順番が逆なんですね。あれこれを使えば、あの方策を使えば、あのツールがあれば、という私たちの(自分に力がないという)考え方は、「王としての生き方」ではなく、条件に左右されまくる「家来としての生き方」。

 

 一番の原点つまり「自分が主体」というところ(五次元)に立ちかえる。

 

「三次元では「条件」に「自分」をあわせます。

「条件」しだいで自分が変わると思っているからです。

言いかえれば

「自分」以外に「王」がいて、

その「王」に自分の幸せを委ねてしまっているのです。

 そして「自分」のしあわせのために、

「自分」以外の「王」に忠実になろうと、必死になります。

 ……

しかし、五次元では、「自分」が「王」です。」(p.53-54)

 

★ここで、三次元的な意識と五次元的な意識が対比されています。いずれにせよ、思ったことが叶うという法則は同じなのですが、

三次元では、これはそう思える(可能だと信じられる)→叶う

      無理だと思う→叶わない

五次元では、可能かどうかは関係なく、

     想うか想わないかだけしかない。想うだけで(当然)実現する。

 

 本書にはバシャールや高次元存在は出てきませんが、バシャールたちは五次元から六次元に移行しつつある存在、と聞いたような気がします。彼らからすると三次元は制限だらけ、「あなたたちは制限のマスター(あらゆる制限をやりつくしている)」存在。その視点。

 

 五次元にはそうした制限がなく、そこではひとは、まさに自分が「王」であることをすみずみまで理解しています。ただ意思する→具現化する。

 三次元では、○○しなければ成功しない、行動が必要だ、環境が必要だ、と「条件、先にありき」で立ち位置が逆転しています。

 

「条件しだい

環境しだい、

相手しだい、

お金しだい、

「何か」しだい、というのは

その「何か」が王であり、

自分はその「家来である」、という立ち位置に

身を置いていることになります。」(p.86)

 

 まず、「想い」だけの世界・五次元の自分として、コマンドする。

 それがあって、そののちに「○○の成功法則」やダイエットの理論などを使ってゆくのならよいのですが、たいていは逆になっている。

 

「王が意思する」

 

 これがすべて。

 

★自分でダイエットに成功した著者は、

 

「どうやったら痩せられるか」と聞く人がいるが、それは「方法しだい」で痩せたいと言っていることになるので、実現はむり。その人(の自己)が、「痩せたい」と意思するなら、実現はカンタン。できないと思いながら「方法」にフォーカスして、探し求めていては、無理。

 

 と答えています。

 

★短い文章が多いのですが、痛快です。

 

人は「自分の思い」と「外側の現象」が一致したときに「幸せになれる」とカン違いしています……「外側の現象」と「自分の思い」と「幸せ」はなんら関係がないからです。

……「王」とは、つねに「自分の心とともにある」状態のことを指します。心と共にあると、無条件で幸せになります。幸せになるために何かを望むのではなく、幸せだからこそ、望むのです。(p.113-115)

 

 自分であることBeing=すでに幸せ状態

 

 たしかに思い当たるのは、これこれを学べば、これこれのやり方をすれば、すばらしい自分が見つかる、とか、ほしいものが手に入る、と順序を逆にして考えていることです。ここを一番ガツンとやられました。特にすごいのは次の部分です。

 

「自分が幸せになるための「何か」を求めているならば、主人はその「何か」であり、「何か」の家来ということになります……人は無意識のうちに「何か」の家来になってしまっているのです。

 夢や目標に向かって行動している人はとても輝いて見えます。しかし、「夢や目標」が主人になってしまい、「夢や目標」の家来と化している人は、とても苦しそうです。

 あくまでも「自分」が「王」であり、

 夢や目標を「使う」側にならなければ、結局は「家来」として働かされる、奴隷になってしまうのです。

 世の中で流行っている「引き寄せの法則」は、まさに「家来」の法則です。

 なぜなら「王」は命令するだけであり、「引き寄せの法則」を使って何かを引き寄せようとしたりしません。「引き寄せの法則」を使って願いを叶えようとするのは、「家来」の役割なのです」(p.150)

 

 はい。よくわかりました……(「すべてを創造した始まりの位置」とHappyさんがいま唱えています)

 

★若干、あちこち普通意識になっている箇所がないわけでもないので、著者の中でも「五次元の意識」にいるときと、「三次元」に半分足をつっこんでいるときがあるな、と感じます。

 でもそれは、「三次元の私が進化して、がんばって五次元に目覚めよう」ではなくて。

 すでに「五次元にいる」私を思い出そう、というのがそもそもの立ち位置。

 

 五次元にいるとき、この著者はバシャール状態です(笑)

 

 アセンションする(だんだん進化してゆく)必要はなく、すでに私たちは五次元にいる! この本の一番のメッセージはそれです。もがいていたのが、水面に浮かび上がって、ふーっと息をついたような感じが心地よいです。「自分である」それだけですべて。

 

※金城光夫『わたしは王』ヒカルランド 2018