女性の愛とパイロキネーシス(発火能力)————石ノ森章太郎の描く「残留思念」の炎 | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

 石ノ森章太郎没後20年を記念した「100分で石ノ森章太郎」という九月八日のNHKEテレ番組を、録画でじっくり見ました。

 夏目房之助(漫画評論家)、ヤマザキマリ(漫画家)、名越康文(精神科医)、宇野常寛(サブカルチャー評論家)の四人が伊集院光の司会のもと、それぞれの石ノ森を熱く語り、分析する、重厚で深みのある番組でした。

「サイボーグ009」や「幻魔大戦」は、出演の四人にとってだけでなく、ほんとうに私自身の青春でもあり————「キカイダー」その他の石ノ森プロデュースのTVドラマも含め————それが、「文化的遺伝子」(ミーム)として、平成ライダーどころか、いまや世界に広がっていった、という話(「ゴレンジャー」→アメリカの「パワーレンジャー」や、ハワイでいまだに「キカイダー」が放映されていたり、フランスでは宇宙刑事シリーズがエンドレスで流れていたり)は胸が熱くなるものでした。

 そしてエンディングには、かすかにワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「イゾルデの愛の死」がさしこまれ、天上に消えてゆくあの和音が…………

 

☆番組中に名越さんがあげた、「幻魔大戦」を読んで当時感動したという、(幽霊ならぬ)「残留思念」という言葉。主人公の亡くなった姉がずっと彼の身を守りつづけ、炎を発して敵を焼きほろぼすシーンです。「丈、おねえさんはいつもあなたのそばにいますからね。いつも…そばにいて見守って…」と言って炎の中に消えてゆく彼女。物語後半でも、石化してしまった丈の身体から炎となってあふれ出て、強大な幻魔を焼き尽くします———ずっと石ノ森を応援してくれた現実の姉がぜんそくのため二十歳そこそこで亡くなった事実はよく知られていますが————石ノ森の女性像によくあらわれる、女性の自己犠牲的愛による救済は、まさしくワーグナーモチーフだったのかと思います。

↑左が「幻魔大戦」のルーナと丈

 

★これはずっと気になっていましたが、炎を発する超能力はパイロキネーシスといい、このミチ子さん始め、スティーブン・キングの『ファイア・スターター』(最初の映画化の題名は『炎の少女チャーリー』)など、なぜか女性に多い気がします。

 宮部みゆきの『クロスファイア』も二十代の女性が、身を削るその能力を使って、許せない犯罪者をつぎつぎ車ごと燃やして粛清してゆく話でした。ライダー・ハガードの「She」(邦題『洞窟の女王』)も、地底から噴き上げる神秘の火柱を浴びて2000年間不老不死を保ってきた女性の話です。

 また先月『ハリー・ポッターと賢者の石』の映画を見直していたら、最後の地下の場面で、人面疽のごとく後頭部にやどったヴォルデモートの命令で、クイレル先生がハリーの首を絞めようと飛びかかるシーン、そのとき窮地に陥ったハリーの手が勝手に動いて、相手の顔面に押しつけられ、そこから炎と煙があがり、顔面を焼かれた相手はそのまま燃えて砕けてしまいます。ハリーはびっくりしたように自分の手を見る。

 いったい何があったのか? と。

 この発火能力を、ハリーがその後使うことはありません。

 「愛じゃよ、ハリー、愛じゃよ」とダンブルドア校長が言うように、自ら楯となって赤ん坊の息子を守ったハリーの母リリーはまさしく「残留思念」となって、炎のようにずっと彼にまつわっています。魔法物語なのに、掟破りの「愛という残留思念」!(七巻の最後まで、これは持続してゆきます。)

 

※なお————『わずか数分で心が整う12の瞑想』(阿部牧郎、興陽館、2016)の中に、炎の瞑想、というものがあります。心臓から胸の中に炎が燃えていて、体全体が光のオーラとなる、というものです。

 明るく輝く、というよりも、炎が燃える、というほうが、より力強いイメージと(愛の温かさ)を感じさせてくれる気がします。