抗がん剤、FEC2回目投与。 | Ephemera

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朱のきままな生活日記。
2014年12月29日にしこりを発見してから、手術、転移。
そして癌と共に生きる記録を自分用にチマチマ書き連ねてみようと思います。
基本1記事が長いですw

2015年(平成27年)5月14日。
FEC2クール目からは外来ケモ室。

因みにバケツやらなんやらに「ケモ」って書かれてるのが気になって、気になったので看護士さんに聞いてみました。

「ケモってなんなんですか?」

化学療法室を英語で「Chemotherapy room」(ケモセラピールーム)と言うそうで、そこからの呼び名だそう。

ほんまやwよく見たら化学療法室の看板の下の英語表記で書いてあったw


*☼*―――――流れ―――――*☼*

9時頃
診察1時間前に血液検査(超混んでる…)
ケモ室にて体温、血圧、酸素濃度、渡されてた前回からの体調記載用紙を見つつ状態問診。
診察
ケモ室にて1時間前の吐き気止めのイメンドカプセル服用。
暇なので食堂でランチ。
ケモ室でFEC投薬約1時間半。
約14時頃
会計/約3万弱
薬局にて3日間の吐き気止め

*☼*――――――――――*☼*

外来でのFECはフラン◯ベッド製のリクライニングとフットレストついたいい椅子?みたいなの。

今回も右腕肘下。
先生が針だけ刺しにきてくれて、その後は前回と同じく、看護士さんほぼ付きっ切りでの投薬。

TVあったからイヤホンしたら観ても良かったのかな?
私はタブレットで空いた手でずっとゲームかLINEしてましたw

とにかく暇w


病院出ても帰りにちょっと買い物寄れる位平気やった。

けど、買い物帰り、大体夕方ごろから気分が悪くなる様で、車の中でグッタリ限界…。

電車だと立地が不便だし家から距離があるので、抗がん剤中は母親が送迎してくれました。
行きは自力で行けても、帰りは運転できる自身がない…。
連れて来てくれる人が居る事って本当に有難いですね。

これ1人やったら電車バスで帰り絶対帰れないよ…。



この日は車中から気分悪くて、ビックリする位帰って立てなくて、リビングのソファで寝転んでたら怒られたから、テーブルに座って突っ伏して。


そしたら
「そんなとこでダラシない事するな。自己管理がなってないからそんな病気なるんや」
って父親に言われた。


うちは父親との仲がお世辞にも全く良くないのです(^_^;)
理由も解らないw気づいた頃には一方的に鬱陶しいって言われてたw

しかしこの言葉ばかりは人生で一番辛かったw
しかもこっちも見ずにTV見ながら言われるのw

乳がん宣告されても割と明るく泣きもしなかったけど。
この言葉で一番泣いた。
なりたくてなった訳じゃないし、色々勉強した今じゃ、自己生活と癌リスクは関係あるし、確かに自己管理がなってなかったのかもしれない。

でも、吐き気と低血圧で動けないのに「ダラシない」で片付けられる事や、なりたくてなった訳じゃないのに、そんな言葉をこっちを見もせずに"父親"に浴びせられた事は、人生で最大に悲しくて悔しくて、病気して初めて思いっきり泣き喚いた。

泣き喚いてショックとしんどさで私が椅子から倒れても、見向きもせずTV見てはった。

この日を境に、不思議と私はこの人に対して苛立ちも腹立たしさも、30年以上悩んできた感情も全部無くなったw


抗がん剤の副作用で当日はベッドで寝たきり。
食欲もない。
喉を通るのはゼリー系かみかんの缶詰。
冷奴w
意外と冷たくてツルンとしたモノを部屋に運んで貰って少しだけでも食べる様にした。

1人暮らしじゃこうは行かないねw
実家だったのと母親にとても感謝。

2日目には吐き気も特に無く。
お粥が食べれる回復力。
夕方には起きあがれる様に。

3日目からはもうほぼ通常営業でしたw