「天王寺楽所雅亮会の公演「呪能」レポート」

(昨日、大阪のフェスティバルホールで行われた
天王寺楽所雅亮会の公演に飛行機で駆けつけてくださったこまち様のメッセージを前記事コメント欄から再録させていただきました。

お返事の方は記事を改めさせていただきます。

皆さまにまずこのメッセージをお見せしたくって😭)

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ご報告遅くなりました。
観劇して参りました。
会場はほぼ満員で盛況でした。

今は早朝の大阪空港におり、未だ昨夜の余韻に浸っています。一生忘れないと思います。とんぼ返りでも来た甲斐ありました。

私のようなものが、今回のことを軽々と感想を語ることはできそうにありません。
知識や芸術への理解が浅すぎて、内側から言葉が出てきません。
パンフレット一つとっても、濃度が濃くて、パンフレットの補足解読書が必要だと思いました。 

私のようなほぼ知識ゼロの初心者でも楽しめるように飽きないように、高みからわざわざ降りてきて心砕いて演出して下さっていることを端々から感じました。

観劇中、この重厚で雅で不思議な舞台と、私も同じ日本民族である不思議とありがたさ、のようなものをずっと感じていました。
不思議で信じられないような、奥底から湧き上がる誇りと心からの尊敬の念、よくぞ今日迄繋いでくださった、と。

日本人だけで見るのは勿体無い、世界に誇る世界で興行するに相応しい価値ある舞台と肌身で感じました。
世界広しといえど他国にないものですよね。多くの日本人も一度は見てほしいです。

長い歴史を誇る自国の文化にも関わらず、私はどうして何も知らないのかなぁと。
衣装、踊り、何もかもに重みと深みがあり、調べ始めたら一生掛けても終わらないですね。
あのブランドこのブランドと私は長らく日本から遠く浅いところを泳いでいたようです。(それ自体には後悔はなくその経験を経てといった感じです)

今回クラファンでのお席が、有難いことに最高の特等席でした。
(クラファンの呼び掛けが開幕後にありました。満額になりますように!)

お隣の年配の男性と第二幕の直前にお話ししました。会と縁のある(やはり先生と呼ばれる)方で、お話が深くもっと早くにお話できていたらと思いました。やはり会には由緒正しきお家柄の方がいらっしゃるのですね。

その先生曰く、伎楽はもうどんなものであったのか残っていないというような話があり、私は、ギラクとはどういう漢字なのですかという質問の有り様で。
こうやって文化というものは消え果てていってしまうのかとも感じました。

今回の舞台、本来は一日掛かりのところを見所を集約したとのことでした。
身じろぎもせず演奏されていて、これを寒い暑いの屋外で一日中とは、並大抵のことではないと思いました。観客も含めて。(今回は本当に初心者向けの最高に有難い設えでした)
平安時代やいにしえの人々はどんな有様で見ていたのかなどタイムスリップしてみたいです。

第二部の後半は、恐らく60名以上の方が舞台上にいました。裏方含め総勢何名なのかな。
また途中、演者である副会長の解説があったのですが、雨降らせたと同じように自らが汗だくですと仰ってました。
(お話が上手で、来月の交流会は、控えめに言って最高だと想像します)

高待遇でないと若者を確保できなくなりつつある日本で、縁と思いに頼るのではなく、この文化を継承してくれる文化と人へ国から手厚い支援があることを心から願います。
それが日本国と日本民族を守ることと同意と感じました。 
かつてこういった日本文化というものがありました、とならぬように。

子供に小学校から英語を教える前に、お勉強させる前に、日本にしかないものを継承することに力を入れる教育であってほしいと心から思いました。
自国に誇りを持てたら、自分の核となり、生きる力になります。

本日のブログも、理解は浅いながらも心から同意いたします。
私には何ができるかなと考えていきます。

大阪、お笑いと道頓堀のイメージで、心の距離はとても遠かったのですが、
今回グッと近くまた敬意を感じました。会場も緞帳も会場付近も素敵でした。

大阪という大都会は私には心細くて(笑)異国で自分の道を切り拓かれてきた貴方様の道のりに想いを馳せもしました。

末筆になりますが、隣になった女性が東京から駆けつけたブロガーさんで、終了後、二人で移動して乾杯して交流楽しみました。二人で貴ブログに出会えたことの幸運についても話をしました。何倍も楽しい旅になりました。
ご縁に感謝。

今回素晴らしい機会をいただき心から御礼申し上げます。これからの発信も期待しております。貴ブログは私の道標です。

風の時代に入り、言霊はより叶いやすくなりました。是非どんどん発言&発信していただき、野望が実現されますように私も祈念しております!

(思いが溢れ、長い乱文ご容赦ください)