「縁の下の力持ち」

 この言葉ってみなさんご存知だと
 思いますけど

 これって
 もともと「椽の下の舞」という言葉が
 下敷きにあるんですって。

 この舞ってのが、四天王寺で
 明日22日に行われるこの行事↓



 
 

 昭和40年までは非公開だったものが
 公開、からの
 今はなんと動画ライブ配信で拝見できるとのこと
 で個人的には単に嬉しいですけれど
 (私にとっては朝6時配信開始w)、

 そのもともとの意味をしっかり考える、
 というかこの際論理的に
 ハッキリ説明しておいてもらう
 必要はあるかも。

 誰も見ていないところで
 誰に見せるつもりもなく
 全力で祈ってる人たちがいるって事実が
 何を意味するのか?

 先に
 芸能と儀式の違いというのが本質的に
 どう違うかという問いを立てましたが、
 人に見せるものでない、宛先は
 神様仏様だけの儀式ってのがあるというか
 そもそも儀式ってそういうもので。

 何考えてるか不明な
 不特定多数には見せない、真面目に参加
 する人だけが対象です、というのは
 健全な考え方です。何でもイメージにして
 拡散するのは冒涜。
 宗教をインスタ病に罹患させてどうする
 っていう話。

 でもその場合は私のように何の地縁もない
 人間が知ることはやはりできないということ。
 
 そういうわけで引き続き
 罰当たりギリギリラインの
 「妥協策」である野鳥の会の観察アングルにて
 動画を拝見したいと思います🎵

 (そういえば。
 遠目からでも皮革の種類さえ見分ける
 エルメススカウターの機能がこんなとこで
 役立つとはねっ)。

 見せ物じゃない、祈り。
 (飾りじゃないなんとかみたいな)
 
 平成天皇が退位された折に
 祈りというのは相当体力と精神力を
 削られる大変なお仕事なんだなと
 皆感じたと思います。

 そこに存在して見返りを求めずに
 守ったり祈ったりしている「縁の下の人たち」
 がいて

 昔からいつもいるからという理由で
 それがなくなることなど想像もしない
 ということが増えると

 大概世の中碌でもない方に行く気がしています。

 (ですから、この行事の舞楽法要
 を担っている団体、
 雅亮会についても、
 もうちょっと皆さまも
 思い巡らしていただきたいですね。
 
 担い手は
 別に異世界の妖精さんたちではありませんよ。
 民主主義と資本主義の原則のもとに生きる
 普通の市民の方々です。

 あらゆる伝統行事は。

 生まれる前からあるものだからって
 これからもずっとあるんじゃないの〜
 神様だから〜どこかからお金が湧いてきて
 誰かがタダでやってくれてるんでしょう〜
 とか。
 そういう簡単なことではないと思います。

 これからも
 同じ形で継承していくには
 継承する側は
 不断の意志を持って
 責任を担っていると思います。)

 雅亮会の説明ちょうどこちら。会の精神について
 だけでも是非ご一読いただければ。


 さて。私の「推し活」カテの諸々の
 記事ですけれど。

 そういう意味で最初から、
 コレ、皆さまに対する見せ物=娯楽というより
 「推しの栄光を輝かせる」っていう目的しかない
 一種の祈祷なんで😋 

 そこのところよろしくって感じです。