祭祀としての芸能。

 そう言えば、まだ日本にいた頃
 黒川能のおうぎ祭(なぜかスマホ漢字でない)
 に行ったんだった。



 あれは不思議な体験でした。

 参加は抽選なので
 事務局に、切々と気持ちを
 伝えるお手紙を書きました。
 全くの部外者ですけど行きたいんです、とw
 
 とても年上の、でも紛れもなく
 気が合うひとりの友達である
 東北出身の護憲派の憲法学者が
 いつもその素晴らしさを
 自慢していたこと、

 彼のフランス人の友人も
 黒川能が好きすぎて
 本を書いてしまったことで
 興味を持ちました
 (このひと。今気がついたけど
 要するに遠隔推し活のパイオニアだわ…
 外国にいるからって諦めてる場合じゃない)。

 当日、東日本の天気は大荒れで
 仙台から北上する新幹線は全部ストップ、結局、
 バスで奥羽山脈を超えて雪深い鶴岡に到着。

 


もう全然使ってないFacebookに写真残ってた〜


 鼻の中が室内の薪の煤で
 真っ黒になりましたけれど
 夜通しで観能を楽しみました。
 会場で
 当然常連の、
 東京で顔見知りの能楽研究家の先生と
 馬場あき子さまがいらしたので一緒に
 お話させていただいたり、

 そばにいらした
 いかにも東北っぽい中高のお顔で
 美形のお年寄りの、
 
 明治政府?知らんけど?
 うちんとこは酒井様マンセーなんで
 最近というのは江戸時代です、

 というw
 反骨の歴史観に興味深く耳を傾けたり。

 伝説の、真壁仁の思想について伺ったり。






 会場から仮宿泊所までの道のり、 
 ひとっこひとりいない、
 明かりのない凍った長い雪道を
 見ず知らずのお爺さんと二人っきりで
 まるで付き合い始めの
 高校生カップルかよwってくらい
 ガッチリ腕組んで
 (そうしないと二人で一緒に滑るから)
 歩いたりしました。
 (普通のブーツで行った。雪道舐めてました。)

 村の方々がとてもよくしてくださり
 帰りは車で鶴岡まで
 送ってくださって、
 東京に帰ってからもお手紙で
 やりとりもさせていただいて。

 家に「ミニトマト???」
 って思うくらいの大きさの
 素晴らしいさくらんぼを
 贈ってくださったS様。お元気かな。

 (思えば
 お祭りの間に持ち寄りのお弁当のお裾分けで
 いただいたもの全てが、
 東京の駅チカの出来合いの 
 メシってのは全部ゴミだwと気がつくくらい
 美味しかったんですが…
 東北の食生活凄っ!って思いました。)

 その後、お手紙差し上げた
 村の郷土史家の方から
 墨書き、2メートル以上の
 巻紙のお返事もいただいたんだった。
 時を経て住む国が変わっても
 まだ手元にあります。
 あんな美しい手紙、
 ラブレターじゃなくてもw
 捨てられる訳がないから。

 そのお手紙には
 今思えば数週後の
 東日本大震災の予兆だったのかな…
 ということが書かれていた。

 人生の航路がいきなり変わって
 海外に来ることが決まったのは
 黒川に旅行した直後のことでした。

 ですから
 日本の良いものを日本の外に
 伝えたいという気持ちと共に
 単身欧州に戻ったことに関しては

  今も
 「おうぎさま」の思召しだったと思っています。

 (あれからだいぶ時間が経ってるのに
 それが思う通りに
 上手にできているかどうかは別として😅)、

 今まで目の前のことをこなすので
 精一杯で(コロナ禍ロックダウンの
 ストレス発散のために
 完全な趣味で
 エルメスについて100件以上呟いてたりw
 アレ一体なんだったんでしょうね?
 一種のコロナ鬱でしょうねw
 リア友や本業の関係者にとりあえず
 バレてないからいいけど…
 黒歴史すぎるわ😩)、
 
 20代から5年ごとくらいに
 住む国があちこち変わって
 人生がジェットコースターすぎて
 自分が何処から来たか敢えて
 振り返ることはしなかったし
 本当は何をすべきか
 近年はあまりにも自由がなくて
   深く考えることも
 できなかったのですが。

 最近、思い出すことがやけに多いな?
 なんだろうこれ?

 夏あたりから
 いろんなことがかわってきてる
 感じがあって
 今年はつくづく不思議な年です。