「私の蘭陵王」

蘭陵王(らんりょうおう)
を知ったのは中学生の時。

前田青邨のこの絵に心を奪われて
図工でw
彫刻刀使って作品作るときに
これをモチーフにしました。


13、4歳。思えば渋い趣味ですがw

京都出身+一族揃って旧制三高出身の祖父
に連れられて
奈良の春日大社のおん祭りの舞楽を見に行ったり。井上靖や司馬遼太郎ファンの祖父とは西域への憧れを共有していましたし、それもあって舞楽ルッキングが最初からどストライクでした〜

その後自分で上方舞をやったり
能鑑賞にハマったりしましたが

若くして海外に出てしまったこともあって
しばらく忘れていたんですけれど

この音
この装束
このリズムと動き

やっぱり舞楽が好き〜

日本人ですから
底にくるものがあります。

蘭陵王は舞楽でとってもメジャーな演目なので
何度も観たことがありますが

経験上
舞楽は
悪い意味で
儀式
やらされてる感満載の
お勤めご苦労様的なw
=自発的訓練を積んだ
意志的なパフォーマーの上演見慣れてる
現代人にとって弛緩しすぎな身体表現
では?という想いが拭えなかったんですが、

私の「推し」の舞は単に尊い❤️だけではなく
客観的に見て近代的な身体表現の舞としても
素晴らしいと思う。

(さすがパンピーに向けたパフォーマンス要素のある
天王寺楽人?!)

体幹がしっかりしていて
立っているだけで様になることが
舞や踊りの基本中の基本だということ。

能や近代の舞を見慣れているので
特にそういうセンサーが働くんですが。

キレのある勇壮な動きだけではなくて

見るべきは動作と動作の間の
途切れない緊張感。

雅楽は能みたいに
声もないんで
全然個人は見えない、
その点が残念ですが(w いや、そういうもんだろうが)
中の人とか周りや文脈によって
違いがある気がするんですよね。
そういうことを云々いうのは
下世話なんでしょうけれど。

そもそもこういった神事が
録画で観られること
Youtubeで観られること
海外で観られることに感謝しか無い〜

しかも
そういう配信に対する「留保」のようなものも
ありつつ、の配信となると
大変失礼ながら
もう逆説的に
より一層興味深いとしか言えない。

一頃
プア〜っていう
篳篥っていう笛吹いてネスカフェの宣伝にも出て〜
な東京の雅楽奏者の方、一世を風靡しましたが
何というか
アプローチがあまりにもわかりやすく世俗的で
特に知的でもなく
全然ゆかしいとも何とも思わなかったんですね。

やっぱり
妹によれば全部同じに聞こえる雅楽でも
(これガムランだよね?って言われた…)
ピンと来る来ないはありますって話でした。


中国同名ドラマファンとか中国の方にもぜひ知ってほしいわw