エルメスのバッグにシャネルの服。

この取り合わせって

フランスではもう伝統の域というか

日本の着物で言ったら
大羊居の訪問着と龍村平蔵の袋帯のように
安田の訪問着と昔の梅垣の帯(美智子様コンプリート)
のように

そこ組み合わせとくのが
華やかさとクオリティとして
鉄板、という取り合わせかもしれない。

結果ハイブランドコンプリートファッションですが
これについては
フレンチお家芸として
馴染み深いとさえ言える。


エルメスプレタが苦手でも
シャネルジャケットは持ってる〜
というエルメスラバーの人たくさん居ると思います。


私も
着やすいのにドレスアップができて
カジュアルなのにエレガントで
なによりも
手仕事で丁寧に作られたシャネルジャケットの
ファンです。(あの痛みやすいバッグは嫌いだけど。)

エルメスとシャネルは独立経営の
老舗ラグジュアリーブランド
としてお互い認め合う仲だと思いますが

両者の圧倒的違いは

コケットリーの有無。
媚態、つまり異性を惹きつける色気のこと。

エルメスはブスOKですがシャネルはブスダメであるw

ホッコリした人格やお育ち重視のエルメスに対して
シャネルが似合う人はキャラ立ち、キツい美人の意地悪ルッキングくらいで丁度いい。何よりちゃんと女らしい体型で華奢であること!

エルメスラバーでいるのは簡単だけど
シャネルラバーでいるのは肉体が絡むから大変!
齢50代、ウェストも50台的な....


媚態〜 

若い頃ならいざ知らず
生殖年齢を越えたオンナには
(特に子育て中の主婦には)
むっちゃ疎遠なモノかもしれん。

安易に両立しようとすると社会生活上の
問題も生じるし。


産後ベルトのサイズが変わってた〜テヘペロ
なんて言ってる人間 (私です)
が 独身時にいくばくかはあったであろう
コケットリーを維持しなければ
ならないとしたら
これはオオゴトですw



ウエストに肉がつくなんておまえはアホか言わんばかりのシャネル先生 ↑



世の中には
BBAになっても
コケットリーを維持しなくてはならない、
維持することが必至であるという
オンナもいる。


経済的に恵まれているけれど伴侶である夫の「女性」の容姿についての要求水準が厳しく、最悪、若い娘に下克上されかねないような緊張感がある

とか。


自分の容姿の良さがアイデンティティの大きな部分を占めていて、それが無くなるなど想像したくもない。
どんな科学技術を導入してでも食い止めてやると思ってる


とか。


ショービジネスなどの外見が資本の仕事でやっていってる人(芸能人)


とか。


豚になってもなられてもお互いのことが大好きというホッコリ夫婦ではないようなパートナーシップや
そもそも諸事情から独り身を貫いている 

とか。

色々考えられるけれど 熟女の
コケットリーの道は厳しく、そして孤独である。
ほとんどアスリートの孤独感であろう。

シャネルのあの苛烈な生き様を考えるとき。

私はいつも九鬼修造が書いた
「いきの構造」(1930年)
という作品を思い浮かべます。

粋とは
意地 (単なるブルジョワのダサい
   オンナには負けない!センスで勝負しちゃる)
媚態 (死ぬまで恋愛現役。ワタシはオンナ)
諦念 (だけどやっぱり安定した
   家庭は持てなかったし仕方ない)

から作られてるって。

九鬼周造の母親は深川芸者で
江戸の粋の体現者だった。
この本は、セレブ婚をしながらも
道ならぬ恋に身を滅ぼして
薄幸の晩年を送った母に対する
息子のラブレター。

シャネル自身はもっとタフな女性だった
と思うけれど、彼女に
いつも恋人がいたのは
その脆さのせいだと思う。

弱さと強さが同居している
からこそのコケットリー。

エルメスにはない要素です。


熟女がコケットリーを手に入れることの
代償はとても大きい。
だからこそ賛辞に値する。

自分には無理でも
憧れの気持ちがあるから....


今の自分のメンタリティはどっちかてえと
ウマのぬいぐるみぶら下げたり
派手な柄物の布クビに巻いちゃうような
色気とほど遠い
もっさりホッコリエルメスなんだけど....

そうした揺らぎが
シャネルの服とエルメスのバッグを組み合わせてしまうオンナの心理にはあると思う。




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