2024年7月22日(月) 晴れ
先週の某日、息子は初めてのアメリカ留学へ出発しました。
一人で出国ゲートをくぐり、一人で搭乗し、
世界一厳しいと言われるLAXの入国審査を、別室送りにならずに突破し、
空港で、無事に友人と合流することができました。
出国ギリギリまでバタバタするのは、我が家の毎度のパターンですね。
まあ確かに、7月前半は激スケジュールで忙しかった。
期末テストを終え、すぐにTOEFL受験、合間には高校野球の応援団練習、
リラックスする暇はなく、奨学金エッセイの準備はエンドレスで、
行き詰った時に荷造りをしたり、サマー・セッションの予習をしたりと、
緊張と集中と体力のすべてを要する2週間でした。
特に、奨学金応募のためのエッセイ…、これがなかなかのくせ者で、
書けば書くほど「これじゃない感」がにじみ出てきてしまい、
書き上げて「完成形」に思えたものも、
全体の一貫性を考えるとしっくりこないところがあるようで、
一旦破棄して書き直してみる、の繰り返しでした。
限られた字数の中に、そこに至るまでの自分の思想を表現し、
それがこの先に進む進路に繋がることを、会ったことのない他人にも分かりやすく伝わる文章で、
なおかつエッセイのテーマ自体に深みを持たせることは、
17歳のまだわずかしか生きていない息子にとっては、なかなかに骨の折れる作業のようです。
遅々として進まない息子の執筆に対し、ひさぺー先生は忍耐強く待ってくださり、
最後のご指導は、なんと空港のカフェテリアで受ける形となってしまいました。
こんな状況下でも、あきらめずに付き合ってくれる先生の熱に押され、
オンライン授業が終わったら、すぐにご指導いただいた部分をエッセイに反映すべく、
ギリギリまで推敲を続けました。
↓ 先生はとても美しく前向きに表現してくださっていますが、
内情は、戦場状態の臨戦態勢!バタバタなものでした…!
先生とのレッスン後、2時間ほどを費やし、かなりの修正を加えたものの…
残念ながら、
「これで、一片の悔いなし。」の状態にまで仕上げることはできませんでした。
それもそのはずです。空港にいれば気持ち的にも、心は日本にあらず…。
「早く出国ゲートをくぐりたい」
「出発ラウンジに寄ってみたい」
と言う状態だったので、もうここでタイムアップです。
本当はね、
この日までに仕上げるから、
という約束で後半の日程のサマー・セッションの追加を許可したんですけどね、
まあ、どうせこうなるかなあと思っていましたが、本当に親の想定通りの結果に終わりました。
親との約束なんて、
子どもにとっては守らなくてもいいものなのでしょうかね。
ということで、息子との出国ゲートでの別れは、
しんみりしたものではなく、
「この先どうすんのさ!」の不安と腹立ちがふつふつとした
微妙な感情が入り混じったものでした。
子育てとは、失望と開き直りの繰り返し、見返りなんて求めていたらやっていられないですね。
悟りの境地がますます開かれるというものです。
こんな中途半端な状態で留学前のレッスンを終えたというのに、
ひさぺー先生は、「帰国したらまた続きをやりましょう。」とやさしくお声がけくださいました。
ありがたい。本当にありがたいです。
先生が全く諦めていないから、息子も「必ず提出する」意志を保てている感じがします。
出国ゲートを抜け、もう姿が見えなくなったところで
「やれやれ…」と、すぐには帰路へは向かえないところが
未成年を送り出す親の心境と言うもの。
息子の乗った飛行機が、本当に飛び立つところまで空港で見守り続けました。
出発予定時刻の45分前に
「飛行機乗ります」というLINEが来て、おおお!となりました。
電光掲示板を見つめながら、
最終搭乗のご案内
からの
搭乗終了
となり、
そして、
Departed 出発
の文字が…!
夫婦で慌てて、羽田空港の5階の展望デッキに上がっていき、
フライトレーダー24のアプリから、息子の搭乗機を検索しました。
アプリが指し示す場所と、実際の滑走路の様子を見ながら、
パパと「あれだね!あの飛行機だね!」と指さし、
息子を載せた大型機が離陸していく様子を、その姿が見えなくなるまで見守りました。
ああ~!本当に旅立っちゃった~!
帰りの電車の中でも、フレイトレーダーのサイトを閉じることができず、
「今、茨城上空だね~」
「あ、とうとう太平洋に出たね~」
「かなり北上するんだね~」
などと、夫婦の会話は、寝る直前まで、機上の人のことでもちきりでした。
どんなにガッカリさせられることが続いても、期待通りとは行かなくても、
親というのは、無条件に子のことばかり考えてしまうものですね。
親の心子知らず、
約30年前、私がアメリカ留学へと旅立つ日、
当時は成田空港でしたが、
にやけ顔が止まらず、わくわくしながら出国ゲートへのエレベーターを降りていく私の姿を、
はらはらと涙を流しながら見送っていた母の姿は、今でもよく覚えていて、
今日はやっと、あの日の母の気持ちが理解でき、母に近づけた思いがしたのでした。