アルコール依存症治療専門病院を退院して
DNC(デイナイトケア)センターという中間施設へと入所した 俺は



この頃 最悪の気分を味わって いる
母から 『実は、一生ここにいてほしいと思っている』と ついに 本音を聞かされてしまったのだ



浮かび上がることなんて 俺には 一生 ないのか

一生 この病院周辺で生きていかなければならないのか・・・

・・・もう 終わったのか 俺の人生は・・・

かたわもの の息子を閉じ込めておきたいだけなんだろうな

昔の人は 俺みたいな人間を土蔵に閉じ込めたのだ そうだ

今は 精神科病院か

ふざけんな !ふざけんな !!ふざけんな !!!

俺の人生を無かったことにしたいのか

そんなら いっそ親子の縁を切るか !!



と 当時の日記に 呪いの言葉が ビッシリ 書き連ねられている



音信不通になる以前 母からは

『お前を殺して、私も死ぬ』

と よく言われた

『彼女か !?』

など と思い 気持ち悪く感じたものだった



俺は 母親と接するのが昔から苦手だ
気味悪いくらいに可愛がろうとしたかと思えば はたまた 思い通りにならないと『殺す』などと口にする

女性とは 理解出来ない生き物だ と怖れている 女性不信の原因じゃないか などと思ったりする時が ある わけだが



俺が酒をやめたら 母の気性は 変わった

優しくなった

変に俺と関わろう としなくなった

自分の気質が 問題を起こすのだと とらえて つらそうな顔をしながらも 自分を変えようと努力してくれるように なった



今では たまに ふたりでご飯を食べに行ったりする

母が変わろうと努力してくれていなかったら 俺は酒をやめられていなかった だろう

俺が酒をやめていなかったら母は変わろうと努力してくれていなかった だろう



マザコンには なりたくない が母を大切にしていきたい という俺の この要望は 今現在 叶えられている



『一生ここにいてほしいと思っている』



これ たった 1年前の発言なんだなあ・・・ずいぶんと昔の話のように感じる

酒をやめたら変わったんだから 俺の酒が 病気が 原因だったんだ と今ではそう 思う

今までホントに ごめんな かーちゃん
アルコール依存症治療専門病院を退院して 俺は
DNC(デイナイトケア)センターという中間施設へと入所した



共同住居 隣のベッドの おっさんがテレビ依存症で 朝から晩まで テレビばかり見ている
しかも 馬鹿でかい音量で 聞きやがる
ふだん耳が遠そうなそぶりは まったく見せないのだが・・・



嫌がらせなのか ??

などの思いが わいたり

単純に うるさい とか

チカチカする などの理由から

眠れなくて 困っていた



この頃の俺は 精神科病院なんて 患者を 精神薬漬けにして あくどく儲けてやがんだろう くらいにしか考えてなかったので
精神に作用する薬の一切を 強くお断りしていた

眠れないくらいで この願いを 取り下げるわけには いかなかった
(主治医は『大丈夫なら、別にかまわんよ』と精神薬を出さなかった これで俺は主治医のことを信頼するようになったのだが)



まー 眠れないのは 正直つらかった
この頃 自律訓練法 というものに出会っている
パニック障害や糖尿病のある方には禁忌事項があってドクターの処方が必要らしいのだが

俺は両方とも 持病として 患っていないし
たまたま 手に取った書籍に書かれていたので勝手に これを試してやっていた



・・・これが びっくりするくらいに寝られるように なった

魔法みたい !!

と 感じたりした
念のため 信頼している心理士に相談しながら するように気をつけてはいた が
なんせ隣のおっさんがテレビを つけっ放しでも眠れるようになれたのは とても嬉しいことだった



・・・しかし不思議なのが なぜだか『うるさいよ』と伝える とか
『テレビ消してもらえませんか』と 言ったりするとか いうことをしようとせず

別の方法で 解決しようと してしまう

結果 問題行動を助長させてしまったり しているのに

イネイブラー(enabler)の特徴なんだそうだが



依存症者どおしの共同生活を通して 家族の役回りを与えられることになろう とは この時には まったく 気づいていなかった

『この苦しみは 俺が自分の家族に与えていたものと同じものだ』と気づけるようになるまでには もう少し時間が必要だった
アルコール依存症治療専門病院を退院して 俺は
DNC(デイナイトケア)センターという中間施設へと入所した



病院の敷地内には広大な畑が あって DNC利用者たちが リハビリなどのために農耕作業を するのだが

俺は 利用者たちの中では若い方なので けっこう こき使われていた

無農薬なので 雑草や 虫たちが たくさん わいてくる
除草 除虫 が主な作業だった

ずっと寝ていても 何か言われるわけでもないのだが
俺は はやく仕事に就きたかったので 病院に働ける体であることを認めさせようと 人より よけいに畑に 出ていた



朝 6:00から水やりをして
9:00まで 除草 除虫など
9:00からは 職員の つくった計画に沿って
あっちを耕し こっちを耕し



この頃の日記を読み返していたら けっこう しんどそうだ
空いた時間には簿記の勉強を していたのだが

この日は まったく集中できていなかった みたいだ



何をしていても 頭に入ってこない

『思い』は つねに 次から次へと湧いてくる って感じなんだけど

どう処理していいのか わからない

病院を退院する直前の 安定していた時と比べると

どうもムラが ある

へとへとになって ぼけーっ としていても 何か言われるわけではない というのは 助かる

・・・やっぱり仕事 まだ無理かなあ・・・



と 当時の日記に書かれている

入院前には 酒を飲んで いろんな 気持ちや思いなんかを処理しても いたわけだから
死にかける まで飲んでいた 俺が
突然 酒をやめて まともで いられるわけもなかった

病院に認めさせてやる と畑ばかり やっていたが

病院に いなかったとしても やり過ぎるくらいに 何かに のめり込んでいたかもしれない



実際 これで燃え尽きてしまう仲間も多いのだ そうだ
病院なんか必要なかった って今でも思ったりしてしまう けど
やっぱり 俺には 必要だった
アルコール依存症で 仕事依存症の俺にとっては

『仕事をしてはいけません』

と誰かに言ってもらえていた あの頃というのは 実は とても貴重な時間だったのかもしれない