小学生の頃に読んだ教科書には「ヘラ釣りでは視認性が良いと操作がしやすいので着色されたラインが道糸に用いられる」と書かれていた。確かに見次公園で見たヘラ師が使っている道糸は赤く、自分が使っていたラインは透明で安いこともあって、いつか使ってみたいと願ったものだ。

 

道糸を着色する利点を具体的に書くと、(1) 仕掛けを回収するときにラインを見つけて掴みやすくするため、(2) 仕掛けが穂先に絡んだときに外し易くするため、(3) 長竿チョーチンだとウキ周りの糸がらみが判りやすいため、 (4) エサを打ちこんだ直後からのラインメンディングをしやすくするため、(5) ラインの動きから鈎掛かりしたヘラ鮒の動きを把握してヘラとのやり取りをしやすくするため、などが挙げられる。

 

 

これらのご利益から、我々ヘラ師からすると道糸は着色されているということは当然といってよいだろうが、それでは何時ごろ始まったかというと答えられない人は少なくないだろう。自分は教科書に書いてあった「ヘラ鮒釣りのスタイルは…」というところを真似するところから入ったので、あまり考えることがなかったが、鮎たわけさんによるラインの近代史を読むと、鮎釣りだが共通するものがあるだろうと思うようになった。興味本位で何度も読み返すと当時の技術動向が少しずつだが理解できるようになった。

それにしても、「郡上糸」という言葉の響きが美しい。水と共に生活している郡上八幡の、特に夜の美しさと郡上おどりを目の当たりにした自分には「郡上」という言葉にウットリしてしまう。

 

話は逸れてしまったが、郡上糸の歴史を踏まえて、先月の「へら鮒(7月号)」の「温故釣新」を読むと楽しい。「釣り講座テキスト ヘラブナ編(初刊1981/11/30)」でのラインの解説には、

  • 糸の太さにバラツキのない加工精度の高い糸がよい糸なのです。
  • 道糸は使用していて、一日のうちにあまり伸びると、微妙なアタリをとる釣り堀の底釣りでは、タナが狂ってアタリがボケてしまうので、伸びの少ない硬いラインが使われます。
  • 道糸はオレンジ色に着色した専用糸が市販されています。この着色は昔は製造の必要上つけていましたが、今は使用上の便利のためにつけられています。

と書いてあるそうだ。つまり、元々は操作性を良くするために道糸は着色されたわけではなかったようだ。

 

また、同記事では、へら鮒(1966年4月号)の座談会で紹介された名人4人の仕掛けを掲載している。3人はナイロンラーヂを、増田逸魚さんだけギンリンを使用している。ラーヂは着色されているが、ギンリンは透明だったと思われる(参照 鮎たわけさんのブログ)。この頃は、まだ着色されたラインを道糸に使うことは確立されていなかったのかもしれない。そして、高価なラーヂを愛用されていた方は色ではなく、ラインの性能を信用して使っていたのではないかと想像している。

 

昔のナイロンラインの欠点は、腰が弱く、水分を吸収して劣化してしまうことだった。そこで、タマネギの皮で煮てから、さらに茶葉で煮るといった処理を施すことでラインに張りを持たせ、水に強くしていた。郡上は染色の街でもあり、天然テグスや人造テグスでも同様な染色がなされていたことから、ナイロンでも創意工夫のうえ、辿り着いた手法なのであろう。この改良によりラインに色が付いたのであった。先の記事にある「製造上の問題」は腰が弱くて水に弱い特性を差していると思われる。なお、柿渋を使ったと書かれたブログがあるが、ナイロンラインへの乗りが悪いために使用されることはなかったそうだ。

 

どうやら、道糸に色が付いたのはナイロンの技術的課題を解決したときの副産物であり、技術が進んだ今でも着色されているのは操作性が良いためということを確認することができた。では、誰が始めたかというと、これは判らないだろう。ナイロンラインの前に人造テグスの染色があり、その前には服飾の染色があるのだから。

 

今、某メーカーが釣り糸の歴史をまとめており、鮎たわけさんはそのための資料を提供されているとのことだ。自社の過去の資料がほとんど残されていなかったらしいが、もったいないことだ。温故知新はどこでもあり、そこに気付いて身銭を切って行動している某メーカーの姿勢は高く評価したい。

 

なお、ラインの進化について興味のある方は鮎たわけさんのブログで丁寧に説明されているので是非、ご一読いただきたい。その情報は膨大で、丁寧にまとめられている。こういうのを読むと、オマエノブログハドウナンダ、と批判されても仕方ない。だからこそ、自分の貢献が全くない近代ラインについて書くことをためらっていたのだが。
 

それでは、また