ネコ踊り病(水俣病)その49 | ■ALS de 马马虎虎 ■

■ALS de 马马虎虎 ■

als罹患者ミッキーは
「奇妙奇天烈・马马虎虎(マーマーヒーヒー=馬馬虎虎・いいかげん)」なオヤジなのである。

      ■马马虎虎de ALS

誕生日が来ても

二年目がきても、子供たちは歩くことはおろか、這うことも、喋ることも、箸を持って食べることも出来なかった、ときどき正体不明の痙攣や引付を起こす、


魚を食べたこともない乳幼児が、水俣病だとは母親たちも思い当たるはずもなく、疹定を受けるまで、病院を回り歩き、その治療費のため、船や漁具を売り払い、借財をこしらえていた。昭和29年から34年にかけて、水俣病の多発部落に出生した子供たちのうち、二十三名が、胎児性水俣病であると(37年11月17人)発表(39年6人)も疹定、子供たちは母親の胎内ですでに有機水銀に侵されて、この世に生を受けたのである。

四年たち、五年経ちするうちに子供たちは一日の大半を、イロリの火の中や、上がり框から落ちぬように、背負い紐などでおなかを繋がれ、一人で過ごしていた。

熊研の原田義孝教授の資料によると昭和三十年に5例、三十一年に7例、三十二年に6例、三十三年に2例、三十四年に2例で5年間に22例の発症を認められ、男11おんな11で性差はなく、二歳近くまでは特段の異常は認められなかったが、その頃から差異が出てきて、寝返りできるもの14(63パーセント)、お座り可能13(59パーセント)匍匐可能12(54パーセント)といった状態で、5,6歳になっても歩行可能な者は6名(27パーセント)


他の16名は歩くこともできなかった。歩行可能とは言ってもいずれも失調性で、動揺著しく不安定であり、言語にも障害があり、又その理解力もなく、さらに又、視野狭窄、弱視、難聴を思わせるもの11名、知能発達の阻害7名、その他知覚障害や精神障害何らかの異常を認めるものハ100パーセントである。昭和三十八年日本病理学会に報告胎児性水俣病としてあつかわれることに。