ネコ踊り病(水俣病)その47 | ■ALS de 马马虎虎 ■

■ALS de 马马虎虎 ■

als罹患者ミッキーは
「奇妙奇天烈・马马虎虎(マーマーヒーヒー=馬馬虎虎・いいかげん)」なオヤジなのである。

马马虎虎de ALS


129島倉千代子が来演し、チッソ正門前座り込みをしている奇病互助会に一万円を寄贈メンバーのバンドも二千五百円を贈った。(この頃工場では連日フル創業していた、儲かる工場側と、漁に出ても一銭にもならない漁民とではぜんぜん勝負にならない、この喧嘩ははなから漁民側の負けで、交渉は少しずつ先送りされそのたびに保障要求額は引き下げられていった。)131415日と調停交渉はなされるも一向に埒が明かなかった。

16日調停案提示、県漁連に三千五百万円、:しかも「過去の排水が病気の原因であることが確定しても追加保障の要求をしない」と言う誓約書つきだ。患者保障は七千四百万円であった。(この調停案は漁連や患者たちにはかなり不利な内容であったが、しかし、年末を迎え日々の暮らしに困窮しているものが多く、これ以上粘る力は残ってなかった。)        「1219日の朝日新聞:「水俣の補償問題調停案呑む」と掲載し一応の決着を見た。

然しながら、この調停案は工場側一辺倒で、漁民側は補償金を貰ったが一戸当り僅か一万五千円に過ぎなかった。さらに追加補償を否定した約定書に調印してしまい、不知火海漁民の闘争は矛盾を残しながら終局を迎えざるを得なかった、「工場資本のロボット調停員」にすべてをゆだねねばならなかった。)

1221日一部小児患者の家族はさらに、年末を控えて一円でも多くのお金がほしいと、



なおも座り込みを続けた。「調停案を呑む側と、拒否して座り込みを続ける側とに分裂してしまった」(漁民側に強い指導者が居なかったことが、地方ボスの完全な主導権の下に紛争が終始される原因だったのかもしれない

しかし、このような被害者の息道理とその要求、加害者チッソの防御の鬩ぎ合いは、34年12月民事での和解へと導かれるのである、が、さらに後年「訴訟へ」という展開に。