■马马虎虎de ALS■
18日工場側は調査結果を認め、保証金を千三百万円に、これに対し
県 漁民総決起大会が行われた
しかしこのメンバーの構成が工場3人とそのほかは水俣市の行政責任者で固められていた、したがって漁民側には歩が悪かった。 20日斡旋委員の仲立ちによる交渉があったが、保証金の千三百万円は水俣病に伴うものでなく、あくまでも29年以来の純粋な保障であるとしたことで、真っ向から対立し問題を斡旋委員に一任。 これを受けて斡旋委員会は 19日そのままテントを張り座り込んだ漁民たちと警察の機動部隊と小競り合い15人負傷。(独占資本と警察権力の結びつき、あまりも図式的な様相が此処にもあった) この事態の解決、工場閉鎖などを県庁の寺本知事に要望。これを受けて県側も政治的な脅しをかけ、文句があれば手を引くと言って漁民側を押さえ込んで、一ヶ月ぶりに三千五百万円で調印。(然しこの年末不知火海漁協との交渉で繰り返される。) 34年9月津奈木村で、一人発病する事態が起こり、事態は急変しエスカレートした。再度の工場排水の停止や、保障要求などを沿岸漁民が申し入れ、そして10月17日