裏街道を往く -18ページ目

裏街道を往く

ブログの説明を入力します。

 梅雨の季節に入った。今週は、猛暑日になる日もありそうで、気温が一気に上昇するらしい。これまで、長年、夏場は一階の居間で寝ていた。二階の自室のエアコンを長い間クリーニングしなかったため、使用不可になったためだ。エアコンを取り換えようとは思っていたのだが、部屋には本や雑誌などがところ狭しと置いてあり、本格的に片づけをしないと、エアコン取替工事ができなかかったからだ。

 

例年、いろいろとしなくてはならないことがあり、取り換えの機会を逃していた。しかし、一階の居間のエアコンも、その隣の部屋のエアコンも、だいぶ使用年数を増しているので、夜の睡眠中に、カビ菌のような有害な毒素を吸い込んでいるのでは、とかねてから不安に思っていた。

 

今年は、時間的余裕も出来てきたので、自室の大々的な片付けをして、エアコンを取り換えることを決断、先日、ようやくにして実現した。部屋の整理をしたおかげで、ゆっくり快適に自室で読書したり、パソコンに向かうことができるようになった。20‐40歳代に買いためたクラシックのCDを、改めて聴く機会も持てるようになった。聴いているうちに、その頃の記憶がよみがえってきた。あの頃は、今のように経済的な不安は、一切覚えなかったし、現在全世界に重くのしかかっている地球温暖化による気候変動の兆候さえ感じられなかった。怠け者の僕はいい気になってしまい、将来のことは考えなかった。なるようになるさ、といった漠然とした思いで、日々を過ごしていた。やりたいことさえ見いだせずにいた。本が読めて、音楽を聴いていられればいい、ぐらいに考えていた。母がしっかりしていたので、僕はいっさいお金で困るようなことはなかった。性格的にも外面的にも女性に好かれないというか、嫌われるタイプと自覚していたので、早くから結婚は諦めていた。定職につくこともなかった。就職活動は一切していない。50歳に近づいたころ、司書の資格をとって、図書館勤務を望んだが、面接を2,3受けて落ち、断念した。今考えてみれば、やっぱり世の中を甘く見ていたのだ。責任ある立場に一度もなることなく、精神的には幼稚なままだった。

 

40歳代から、一気に時が過ぎ去った感じだ。頚椎症が悪化して、手足の麻痺が進行した母の介護で、毎日が短く感じられた。別に介護が大変だったわけではない。母は、死ぬまで認知症に陥ることはなかったのが大きな救いだった。しかし、何度も、救急車を呼ぶことはあり、何か月も入院する大病もした。体調を崩す時が大きな不安だった。

 

母が亡くなって、二年三か月半になる。一人になって、元来呑気な僕も、さすがにお金の心配をしなくてはならないようになった。勿論、それまでお金に無頓着だったから余裕ある資産をこしらえていたわけでない。ざっと今後最低限かかる生活資金を計算してみた。そして、今後、何を最優先に考えたらよいかを思案した。それが旅行だった。母の介護をしている時、唯一つらいと思ったことは、好きな時に外出、特に旅行できないことだった。10年ほどは、一泊の旅行もできなかった。だから、今後5年から10年程、足腰が丈夫な限りは、旅行を最優先に考えることにした。母も旅行をよくしていたから、無駄遣いと思わないであろう。またお金を稼ぐため仕事につくのもよした。好きな時に旅行したいがためである。仕事の代わりに、収入を得る手段として、投資に本腰を入れることにした。投資を思いついたわけはこうである。十年ほど前、銀行に印鑑紛失届を出しに行った時、投資信託を勧められた。考えてみれば、旧NISA制度が丁度始まった頃だったと思う。僕は、預金では利率が低いため、多少損をしてもいいからと思って、その勧誘に乗った。幸い、当初は元本割れしたものの、2,3年経って、結構利益がでるようになった。当時は、全く金融知識がなく、銀行で投資信託を始めるデメリットさえ分かっていなかった。65歳になって、午前中3時間程の仕事も辞め、時間の余裕も出来て、投資系のYouTubeを視聴することになり、いろいろと金融リテラシーも身に着いた。思い切って米国ETFに投資したくなった。世界一の米国市場に参加できることが、おおきな喜びに感じられたのだ。最初の一年は、米国株も低調だったが、円安が進行したため、含み損ではあったが、それほどではなかった。ただ、為替の変動のため、米国株を買う判断に迷った(今も変わらない)。投資を始めて本当に良かったと思うのは、国際ニュースを視る習慣がつき、国際情勢に関心をもつことができた点だ。自分の周囲や国内のことばかり気にかけていることは、絶対に拙いのだ。世界では、今もガザ、ウクライナ情勢に見られるように悲惨で深刻な状況が続いている。また、地球温暖化による気候変動のため、世界各地で大災害が頻発している(日本でも、近年豪雨災害が目立っている)。こうした悲惨な状況、大災害に苦しむ人々の姿に目を向けることも、同じ人間として、きわめて大切なことと思える。目を向けない者は、今、世界を混乱に陥れているTのように、傲慢になるだけだ。日々の生活に追われて、その余裕もない人も多いだろう、でも、地球上には、苦しみにあえぎ、死に絶えていく人々が今も多数いることだけは忘れてほしくない。無能な僕も、悲惨なニュースに触れて、無力感に打ちひしがれる。それでも傲慢な人間にだけはなりたくない。

 

かつてをふりかえるうちに、えらそうな口をたたいてしまった。ただ、自分のまわりのことだけを考えるのは、つまるところ行き場を失ってしまうことになるのでは、と懸念する。ここのところ、朝、体操をする習慣を身につけたが、その前に、良い朝を迎えられたことを感謝することにした。「今日まで生かしてくれて、ありがとうございます」と。人間は一人では生きられないことを改めて思うばかりだ。皆に感謝、神に感謝!