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裏街道を往く

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先週、永年の念願だった上高地に行ってきました。その前日、予報では、朝方は曇り、午前中には雨が降り出し、午後もずっと降るとあり、困ったなと思いました。上高地往復のバスの予約をしていましたから(事前予約が必要なのです)、変更も面倒です。もういい、とにかくどんな天気でも上高地に着けばいいと半ば投げやりになっていました。

 

ところが、当日朝、松本のホテルで目を覚まして窓の外を見ると、晴れているではないですか。落ち込んでいた気分がにわかに明るくなりました。7時15分松本発の電車に乗って、終点の新島々で、バスに乗り換えます。8時発で、下車する大正池まで約1時間。

上高地は標高1500mほどですから、天気は変わりやすく、曇ってきました。

 

バスを降りて、坂を下って行くと、すぐ大正池。最初に感じたのは、水が透明で清らかなことでした。この池の名は、大正4年(1915)、焼岳の噴火により、その溶岩や泥流が梓川を堰き止め、できたことに由来します。池のあたりには、枯れ木がすくっと立っているのが印象的でした。よく朝方霧が発生し、幻想的な光景を生み出します。それほど、人が多くなかったので、寂寥とした雰囲気を味わうことができました。

 

          

 
名残惜しく、大正池を出発して、田代湿原、日本アルプスを世界に紹介した英国人ウェストンの碑をたどって上高地の中心地、河童橋まで道草をしたので約2時間ほどかかりました。道はほぼ平坦で、湿原、水辺、森林などさまざまな自然の様相を味わうことができました。僕の好きな白樺もあり、緑陰の中で変化をつけていました。遊歩道では、10人ほど、ごみ袋を手にした職員とすれ違いました。この貴重な景観を守る努力が並大抵でないことを知りました。
 

 
 

           

 

 

河童橋には観光客が数多く押し寄せていました。残念ながら、曇っていて、穂高の錚々たる山並みは観られませんでしたが、右手に明神岳の鋭鋒だけは目に入ってきました。

よく、写真などで、誰もいない河童橋の彼方に白雪の残る穂高連峰が見える最高の景観と思わせるものがありますが、あれは、中々お目にかかれないものと、実際に訪れてよく分かりました。河童橋付近は、ホテルや食事・喫茶処がかなりあって、まさしく観光スポットになっていて(悪く言えば俗化していて)、大正池でのように、静かに景観を楽しむというわけにはいきません。それを楽しむのならば、上高地に宿泊し、観光客が押し寄せない早朝に橋からの眺めを楽しむしかないようです。でも、良い季節に予約を取るのもかなり難しそうですし、宿泊料も半端ではないでしょう。

 

 
河童橋を早々に立ち去って、明神池まで70分ほど、梓川右岸通を歩きました。この緑陰の中を通る自然探勝路は、時々清流を渡ったり、多少のアップダウンもあって、帰りに通った土埃のたつ林道のような左岸通よりも、ずっと気持ち良く歩けました。
 

          

 

 

明神池は、上高地に来たら必ず訪ねたいところです。穂高神社(奥宮があります)の神域なので、拝観料500円を払うことになります。筆舌に尽くしがたい光景が広がっています。水面が鏡となって樹木や水辺に生える植物が映るその美しさは、まさに神秘的で陶然とした気分にさせます。池の向こうには明神岳がそびえていて神々しく感じられます。

 

 
言うまでもなく、上高地は日本屈指の景勝地ですが、この絶景を生み出したのは、ダイナミックな地質活動の連続だったのを御存知ですか。僕も上高地を訪れるのを決めた時点では知らなかったのですが、たまたま『山と渓谷』2025年5月号「聖地上高地へ」という特集記事を読んで、その奇跡のごとき成り立ちを知りました。端緒に、巨大カルデラ噴火があり、超高速な大隆起が起こって、上部が侵食し、黒部峡谷のような急峻なV字谷ができました。ところが、約1万2000年前ごろ、再び火山が山体崩壊するほどの噴火を起こし、その土砂により、川は堰き止められ、巨大な湖(その貯水量は黒部ダムの約15倍だそうです)が誕生。その湖は5000年にわたって、山から流れる土砂が底に次第に堆積します。その後6000年前に起こった地震により、流出口が決壊し、一気に湖水は土砂と共に大流出。その結果、湖は平坦地と化し、現在の上高地の地形になったといいます。激しい地質現象が奇跡のように引き続いて、上高地の絶景が生まれたわけです。詳しくお知りになりたい方は是非、上記の雑誌をご覧ください。図解入りで分かりやすく説明されています。