前回は、熊野本宮大社にたどり着いたまでを記しました。昨年9月末に初めて参詣していたのですが、その時は半年もたたないうちに再び参るとは勿論思ってはいませんでした。こうしてまた参拝できたのには、何か引き寄せる力が働いたと思わざるを得ません。古来より「よみがえりの聖地」とされ、訪れた人の人生が変わる、「呼ばれる」と感じて、訪れる人が多い、と言われてもいます。今回も、疲れた体にもかかわらず参拝しているとき、たまらなくまた古道(今回、歩けなかった行程に挑戦します)を歩きたくなりました。早くもまた「呼ばれて」いるのかもしれません。僕はこの歳(年金生活者です)になるまで、怠惰に過ごしてきました。しかし運がいいのか悪いのか、不思議なくらい、これといった苦労をしませんでした。しかし、20年ほど介護した母を一昨年亡くしてから、残りの人生は、好きなことをして過ごそうと決め、とりあえず、毎月旅行に出かけることとしました。なかなか個人では行かれない北海道の野付半島にツアーで行ったり、しまなみ海道をサイクリングしたり、どうしても一度は観たかった、おわら風の盆にも行かれました。京都にも年3回訪れると決めています(夏の京都だけはひどく暑いので敬遠します)。熊野を含めて、南紀は、今関心が高まっている地質の面でも興味深い地域なので、今後年に一回は訪れたいと今考えています。
脱線してしまいました。いつもの旅行では人と話すことはまれなのに、今回は不思議なほど話す機会が多くありました。外国人とも、言葉を交わす機会がありました(自分の英語会話力の貧弱さを思い知らされました)。「また会いましたね」と中国人(?)女性から古道の途中で話しかけられたこともあります。その女性とは、最初、熊野古道館で顔を合わせ(この時は話しませんでした)、旅行最終日にも、熊野速玉神社に向かう途中、ばったり出くわしました。この時も、伝えたい言葉がうまく出ず、残念な気持ち残りました。それから、前回記した、宿が偶然同じと分かった女性とも、本宮のバス停で再び顔を合わせて話をして、何と大学在学中だと知りました。翌日、彼女は次の訪問地に向けて早朝に発っていきました。
旅行三日目の宿は、湯の峰温泉にある、熊野古道を歩く外国人旅行客に人気のある、ドミトリータイプの宿で、料金が極めて安価でした。僕と上記の女性以外、日本人の宿泊客はいなかったようでした。僕は疲れていたので、硫黄の匂いが強い温泉で入浴後、すぐベッドで横になりました。幸い、同室(ベッド数6つ)の外国人たちはいかにも人の良さそうな感じで、騒がしくもなく、ゆっくり休めました。
旅行最終日、5時には目が覚めて、ひとり台所で買っておいたパンを食べて朝食をとりました。台所には大きな炊飯釜があり、おかゆが無料で食べられることを知りました。炊飯釜の脇には、瓶に入った紀州産の梅が備えてありました。今度宿泊する時には、朝食の心配をしなくてよいわけです。それにカップラーメン、レトルトカレー、魚肉缶なども200円均一で置いてありました。
7時に宿を出て、本宮に向かう熊野古道のひとつ、大日越えコースをとって、ふたたび本宮に向かいました。急坂を上って下る、ちょっときつい登山道でしたが、計1時間半なので助かりました。登山道入り口から車道をすこし歩くと、大斎原(おおゆのはら)に着きました。ここは、熊野本宮大社が以前あったところでした。3つの川の合流点にある中州にあったため、明治22年に起こった水害で、多くの社が流出し、残った社を現在地に遷したということです。今、ここは、日本一大きい鳥居があることで知られています。旧社地は、静寂に満ちていて、神聖な雰囲気が漂っています。あ、記すのを忘れましたが、この大斎原に着く前に、前回記した古道ツアーの団体と、再び出くわしました。僕のことを覚えていてくれ、あいさつしてくれたり、手を振ってくれて、何かとても嬉しい気分になりました。今回、何度も「再会」の場面がありましたが、これも熊野の神様が授けてくれたご褒美ではないかと信じております。
その後、もう一度本宮に参拝した後、新宮にバスで向かいました。街中にある熊野速玉(はやたま)大社は朱塗りで明るく、だいぶ本宮とは雰囲気が異なります。昨年参詣したときに授与された、八咫烏の絵がはいった緑色のお守りを探したのですが、置いてありませんでした。下の写真は、昨年いただいたものです。
12時45分、新宮駅発の特急に乗り名古屋に着くと、しばし書店で時間をつぶした後、新幹線で東京駅へ。そこからが大変でした。金曜日の夜のせいか、電車は超満員で、二度も急病人救護のため駅にしばらく停車し、遅れました。帰宅したのは、予定より1時間近く遅れて、夜11時を回っていました。記憶に残りそうな良い旅行でしたが、最後がいけませんでした。




