2024年4月13日付の上記ブログ記事にコメントでご質問とご意見を頂きましたので、順番にお応えさせて頂きます。

 

お詫びの記事を書いておきながら
まだ私や彼の事を書きますか・・・

 

二人称「あなた」の使い方についての難しさを実感しているところです。これについての言い訳をさせて頂くと、大前提としてブログでは不特定多数の方を対象として書いていますので、「おひとりおひとり」「あなたがた」といった複数形で表すのが正しい表現なのかも知れません。ただ、テレビや本といった不特定多数が対象のメディアでも「あなた」という表現は「呼びかけ」や「あなたのこととして」「身近なこととして」というニュアンスで多く使われている様に感じられましたので、私も活用させて頂いておりました。

なので、ご指摘頂くまで気付いておりませんでした。合理的配慮に欠けた表現であったことお詫び申し上げます。

あなたが4年以上も私に執着しているのはなぜですか?

 

この方の内面では「私(NEGHi)がこの方に4年以上執着している」という認識をされていてそれがこの方にとってなんらかの問題があるのだろうと見て取れます。それはこの方自身の認知の問題ですので大変申し訳ないのですが、理由はわかりません。

私は55年以上(生まれた時、あるいは生まれる前から)自分の幸せに執着しています。ここ4年程で変わったとすれば自分への執着を隠さなくなったことが大きいと思います。


フラれた逆恨みなら
それはもう病気としか言いようがないです。

 

これも仮定"なら"のお話なので、病気が理由としか言いようがないという方もいらっしゃるかとは思いますが、"逆恨みによる犯行"が病気を理由に無罪と判断されたり、減刑されたり(という現実を鑑みると)・・・「逆恨み=病気」との判断では被害者の方に申し訳ない気持ちになります。実際のところは都度判断されているものだと思います。

 

「フラれた」という表現ですが、私の認識ではこの方と「恋人同士」であったことはありません。ただ「都合の良い関係」「都合よく利用させてもらっている関係」でした。この方にとってはひたすら我慢を強いられていたのかも知れません。だとすれば私の方が一方的に依存していたという見方も成立するかもしれません。

一方的にしろ相互依存にしろ「都合の良い関係」をいつまでもだらだら続けていても、いつかどこかで依存から抜け出さなければならない。そう思っていたところ「片思いされていた相手をフッた」という形で依存を抜け出すことが出来たので、瞬間瞬間の感情の話しをすると「いろいろ」ありましたが、前向きな自分に変われたのはこの方の恩義があってこそだと認識しております。

恩人に対して逆恨みだなんてあり得ません。


記事を削除するよう求めたら削除しましたよね。
私の事を書いていたということは確実です。

具体的な指示が無い中で、どの記事を削除すれば良いのか、「線引き」には悩みました。以前、別の方から「哲学的」とのコメントを頂いたことがあるのですが、「哲学」といえるかどうか・・・。「正解がない問題」や「個々によって見解が違う」内容を扱っていますので「哲学的」に見えるのかもしれません。「正解がない」「個々による」「受け取り方次第」で、「誰の事」かはそれぞれ当てはめて心の内に想定しながら読まれると思います。どこまでが「私の事」で「どこからがAさんの事」「どこかからがNEGHiの事」「どこからが引用先著者のこと」解釈次第で違ってくるかと思います。

いちいち私に関わって来なくていいです。

 

おっしゃる通りだと思います。ブログにこだわらなくても、本で充分。たまたま本に書かれている内容とこの方がご自身のブログで書いていたことが一致していたのか、同じ本を取り上げてしまったのか判りませんが、ご質問を頂いたので(失礼ながらこの方のほうから関わりを求めていらっしゃる様なので)この場でお返事させて頂いて居る次第です。

矛盾しているのは存じておりますが、ご理解頂ければさいわいです。

覚えていて欲しいんですか?繋がっていたいとか、そんな欲求でもあるんですか?

 

これも主語や時系列を仮定することで答えも変わると思うのですが、端的に「ある」「なし」で答えるなら「ある」です。

「覚えていて欲しい」は承認欲求という欲求に分類出来るかと思います。「繋がっていたい」は社会組織所属の欲求。

そこで「覚えていて欲しいかどうか」のご質問には「ダエメン大学の心理学者リチャード・カンバロらが行った記憶に関する実験」の結果を踏まえ、あえてこうお応えさせて頂きたいと思います。

 

「絶対忘れてはいけない」です。テストに出ます。

自分自身の人格(強迫性人格障害の可能性)に目を向けるのが怖いですか?
妄想性障害なんでしょうか?

 

勉強不足で申し訳ありませんが狭義での「強迫性パーソナリティ障害」について現時点では身近に感じることが(自覚が)無い為、目を向けるべきという考えがなく、"怖い"という認識も無いです。なお、「人格障害」という表現は"差別的"という理由で現在は「パーソナリティ障害」と表現されているそうです。私にとってはまだ認知症症状のうちの「強迫性障害」の方が身近だと思っていますが、こちらは比較的「自助」で不便さを回避出来ると思いますので、身近な不安、怖さで言うなら認知症によるせん妄の方が人とのつながりが無くなってしまいそうで怖いです。

自分が苦しくないですか?

平常心でいられれば苦しくないです。

私は別に何を書かれようが今は気にしませんが
彼はどうでしょうね。

わかりません。

自分自身と向き合ってください。
少しでも執着から離れ、自分の人生を大切にして下さい。

あたたかいお言葉ありがとうございます。

大丈夫です。ご心配なく。おかげさまでとても恵まれた環境に生まれ育ち、日々充実しております。

精神科が嫌ならカウンセリングルームで話してみてください。

日頃の悩み事は家族や趣味仲間、遊び仲間に話して共有しあって問題解決にもお手伝い頂く場合もあるので、どちらかというとネットよりもリアルに仲間とつるむことの方がやめられません。

とはいえ、なにかと生きづらい社会であることは現実としてあると思います。自身の情動で生きづらさを感じた時にはカウンセリングルームや精神科の利用も選択肢に入っていて資料も収集保持しております。

 

 

 

 

 



少しでも自分自身と向き合って、体も大事にしてください。

ありがとうございます。先ずは本や動画で勉強していきたいと思います。

自分がやるべき事は何かを見つめ直す機会だと思います。前に進んで下さい。

おっしゃる通りだと思います。機会を与えてくださったこと。心より感謝申し上げます。

そして、今まで4年間、私のブログを読んでは私や彼の事を執拗に書いてきた事を記事として書いて下さい。
ネットストーカーをしてきた事を認めて
謝罪文を書いてくれると
彼を止める事ができます。

修飾語「何を」が書かれていないので「止める事」についての責任には言及できませんが、勝手ながらなんらかの望ましくない行動を意味しているものと解釈させて頂いております。

 

今までの4年間、ほしさんのブログを読んでは、ほしさんやほしさんの彼氏さんの事を執拗に書いてきた事、ネットストーカーをしてきた事をここに認め謝罪申し上げます。