今日もお立ち寄り下さいましてありがとうございます。妄想性パーソナリティ障害NEGHiです。

 

 自分が本の終盤を読んでいるときの内面をメモしておこうと思います。自分(ヒト)にある認知バイアスとも言えるでしょうか。

 皆さんはどうでしょうか?私は本の終盤に来ると、今読んだ(未だ残ってるけど)本つまり脳に「インプット」した情報を、「アウトプット」したいとう衝動に駆られます。この衝動の理由は多角的に見るといくつも説明出来ると思います。

 アウトプットに都合が良いのが・・・?そう!ここです!ブログを書くことです。(皆さんとは理由が違うかも知れませんけどね)

 

脳みそ 目

 

 先ず、インプットしたことを忘れたく無いんですよ。脳のどこか(目からの情報は「海馬」から「大脳皮質」へ送られるらしいけど、個々の記憶がどこに保存されるのかは判ってないらしい)に、記憶として残しておきたい。けれども本を丸暗記出来る訳でもないし、丸暗記自体には何の意味も感じられず労力の無駄(ヒトの脳は"楽"をしたがる)だと判っているから。

 

 次に「自慢したい」のです。レイザーラモンRGさんの"あるある言いたい"の心境でしょうか。そして"あるある聞きたい"のもヒトの(それこそ"あるある")心理なのではないでしょうか。この「自慢したい」心理も細分化してみることが出来ると思います。

 「自慢出来て気持ちいい」「ギバーになれることでテイクも許される」(私も本からテイクしてる訳だけど)「情報を貰う側に甘んじるのではなく与える側になれる(気がする)」などなど。いくらでも表現の仕方はありそうです。「共有したい」も「自慢したい」の言い換えとも言えそうです。

 

キョロキョロ脳みそ 脳みそポーン 

 

 以上が大きく分けての「アウトプットしたい」2つの理由です。皆さんに安心して頂けそうな表現で2つ、理由を挙げてみました。この様に表現する人なら、少なくとも「嫌な人」とは思わないでしょう?(あくまでも「表現」についてですよ。私の「理屈っぽさ」は別の話であせる。でも、「嫌いな人」も「好きな人」も表裏一体なんですよ。その時その時の情動で変わるのです。

 

 今度は自分で自分を嫌っていて、他人も自分を嫌い・・・という前提で「今読み終えようとしている本についてアウトプットしたい」心理を表現してみますね。

 

 「"読む価値ない本"ということを広く皆に伝えたい」「読む時間が無駄だった」「こんな本をつかまされた私は"負け組"だ」「この作者の本は読む人をバカにしてる」「いちいち指摘されなくても誰もが知っているのに」「犯罪を助長する内容だ」「悪意がある」・・・本の内容や著者・自分自身に「悪態をつく」表現もいくらでもあるし、間違った表現をしている訳でもありません。

 ただ、正しいことを言っているからとか、自分の内面を正直に言っているからといってそれを見る人が「受け入れようとする」か「受け入れたくないと思うか」は別で、情報を発信する側の「ヒト」も受け取る側の「ヒト」も、ヒトの脳は楽をしたがる。つまり「応援したい」よりも「面倒くさい」が勝っちゃうこともあると思うのです。

 

 で、どっちが面倒くさいかというと、「嫌な表現」ですよね。

 他人の不幸を自分に取り入れて一緒に共有したいか。それとも他人の満足感を自分に取り込んで共有したいか。受け手の心理を考えれば、受け入れてもらえる表現をしますよね。

 表現のテクニックとか、策略といえば悪いイメージを持たれるかも知れませんけど、受け手の心理を考える・・・て「思いやり」という表現に代えることも出来るかと思います。

 

ガーン   晴れ  

傘

 

 このことを知っているかどうかで相手の評価も変わってくると思います。「策略」と受け取られるか「思いやり」と受け取られるか。これも表裏一体で感情・内面が垣間見える表現の差だと思います。

 私がここ(自分のブログ)で「私は」「皆さんは」「あなたは」「私が」「講師の方が」と多用しているのは私なりの「策略」です。皆さんから見て「思いやり」とみて頂けるなら私の「策略」と合致しますので、嬉しいです。共有してもらいやすい言葉を選んでいる(つもりです)。

 ブログは私信ではないから、仮名だとしても特定の人物についてネガティブな表現をしちゃうとそれは客観的にみて陰口。そして伝わりにくい。そして大抵ツッコミどころというか、スキを露呈させることになる。

 本の例で云うなら「読む価値ないのになぜ最後まで読んだの?」「時間の無駄なのになぜ最後まで読んでる?」「自分で選んだ本じゃないの?」「誰かに読めと言われたら読みたくなくても読むの?」

 私信ならまだしも、いい歳した大人がブログでスキだらけを披露しちゃったらそりゃ、稚拙に見えるし、関わりたくないですよね。

 

 

 

 

 

 終盤について書いているうちに読み終えました!

 

第7章 報酬はどう与えるべきか から引用させて頂きます。

報酬といえばいわゆる「アメとムチ」を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、本の中でも効果は過大評価されがちだが、思ったほど持続しないことが多い。使用法に注意が必要とあります。

 

 

 搾取されている(または給料が低すぎる)と感じている状態が長く続くと、ストレスや心血管疾患が起こりやすくなり、全般的な健康状態が低下する。

 

 「搾取」されるとは、お金や物ばかりではなく、健康や命にも関わるということですね。本ではこれについて、ドイツ人2万5千人のデーター分析をして、充分な収入が得られていないと感じる人々の健康が悪化していたこと、特に50歳以上の労働者は、典型的なストレス関連の疾患に苦しんでいた。と結果づけていることが書かれています。

 

 これは労働力が「搾取」され、それに見合う賃金がなければ健康を損なうというわかりやすいデータだと思います。

 ただ、労働環境って自分で変えようと思えば変えられるので、対応のしようはありそうです。

 

 心の搾取とかやりがいの搾取なら・・・。よりストレスや健康状態に影響しそうです。

 

 「お金がもらえる」なら、やりたくない

第7章にはボーナスを与えることのデメリットとして「ボーナスをもらえる人がハッピーになることより、もらえなかった人が落ち込む影響のほうが大きくなる。"自分は評価されていない"と感じると、人は努力しなくなるのだ。」とのことでした。でも、これだと"「お金がもらえない」なら、やりたくない"ですよね。でも・・・副副題?大きな文字で

 

「お金がもらえる」なら、やりたくない

 

と書かれていました。ここに書かれていた内容がめっちゃ納得できるので引用させて頂きます。

 

 

 逆の例もある。献血者は普通、報酬をもらわない。献血の必要性と価値を理解しているからだ。しかし、スウェーデンの血液銀行は、ボランティアに感謝の意を示したくて、献血者に約7ドルの報酬を払った。

 これが大きな間違いを生んだ。報酬がもらえるグループでは、献血量が半分に減ったのだ。

 人々はもともと献血する意思があった。金額を明確にすることで、血液銀行は献血者たちの血液にどれほどの価値があるかを示してしまった。

 

 

 そうですよね。それこそ尊厳の「搾取」ですよ。「善意」に値踏みをしているのですから。大変失礼なことだと思います。悪意ある人が7ドルで血を売りたくなるかどうかはさておき、善意を台無しにするばかりか、悪意が入ってくるスキが出来る。

 善意は(というか尊厳は)プライスレス。余計なことを言わずに感謝をしていれば伝わるし尊厳は保たれるのですから。

 受けるだけでは気が済まないなら、他の人へ。あなたが受けた善意は、あなた自身の善意。めぐりめぐって和になって返ってきているのです。

 

かけた情は水に流せ、受けた恩は石に刻め

 

 「受けた恩は受けた相手にすぐ返せ」「恩返しをしろ」ではないのです。「石」に刻むほど記憶に留めておけば、受けた恩のお返しはいつでも誰にでも出来る。また「かけた」「受けた」ではないところもよく覚えておきたいところ。「」は感情、表情のこと。しかめっ面、不機嫌面をされても水に流してしまいましょう。「」は自ら流してしまわないと、流されたり、溺れたりしちゃうから。思慮なく「」を「」で返せば、当然ながら「」がえしではない。これを履き違えている人、実に多い様に思います。誰にでも「」返しをしてる人、それ少なくとも返しではないからね。客観的にみると既に(相手の)に流されたり溺れたりしてる様に見えてるからね。

 

 ブログでは、顔の表は伝わらないから、どうしても「」は薄い。薄なのです。薄い情を内面までしっかり受け取ろうとすると脳内で補うしかないんですよね。相手のことを思いやろうとする程、相手の内面を自分の脳で補おうとするんじゃないでしょうか。「愛情に溺れる」のも危険。「薄情に溺れる」のも危険。

 泣いている人や不機嫌な人は不機嫌な態度を返して欲しいのでしょうか?私は笑顔で寄り添って欲しいと思っているのではないかと思います。

 

 では、泣いている人や不機嫌な人が、笑顔で聞いてくれている人を見て、真剣に話しを聞いてくれていると思えるでしょうか。笑いながら真剣に対応するって難しいし、一歩間違えれば(間違ったつもりがなくても)「ふざけてるのか?」とお叱りを受けます。ぶっちゃけ不機嫌な人への対応って難しいし面倒くさい(ストレス)のです。相手の情(マイナス)と自分の表情(プラス)で相反するのだから、真面目でメンタルが弱い人ほどお薬に頼ってでも笑っていたくなるのです。真面目でも、真剣でもヒトの脳は不完全で「楽」を求めてしまうもの。自分を守ることを優先している人は近づこうとはしませんよね。私はプロに任せて逃げても良いと思います。

 

 傾聴の技術を持つ人はその難しさを知っています。「」(内面)を引き出すために、「自分の情」を言ってみせることはあっても、情を受けて情で返すことはほぼありません。情を受けかわして「話してくれてありがとう」「内面を見せてくれてありがとう」と「謝恩」を返してくれます。「謝る」「感謝」の「謝」(わびる )と「」(いつくしむ)。

 情を引き出して、いったん受け止めるだけでも難しいのに「わびて」「いつくしむ」なんてオイラには到底・・・えーんあせる

 

 

 

 

で、本に書いてあった「アメ」と「ムチ」で人を動かそうとしても逆効果となることがあるってところなのですが・・。

 

」を動かすには「アメ」や「ムチ」は効果絶大だけど、「」を受けるには「恩威並行」を忘れない人からのみ受けられるのです。

 

「恩威並行」は「アメとムチ」に似ている表現とされる様です。「並行」とは・・・「同時出し」ってことかな。「」って情動っていうぐらいだから時間によって変わる訳です。上機嫌な時だけ「アメあげるよ~」、不機嫌になれば「ムチを与えてやる」・・・これではマウントを取ろうとしているだけだし、だだっ子と同じです。気分屋です。「ツンデレ」が可愛いのは幼なさを見せているから。恋人募集中の人には有効なテクニックかもしれませんね。

 

 私はブログを読んでくださるあなたからの「情」は求めていません。愛情も友情も同情も要りませんし、私の感情をあなたに移植したい訳でもありません。「情」を知って欲しいのではなく「事実」を知っていただければ充分なのです。

 あなたにとって受け止められない事実なら受け流して下さい。もし私のブログに「私情」が表れていたとしても、どうか流されたり、溺れたりしないで下さい。もし情に流されやすい、溺れやすいとメンタルの弱さを自覚されているのであれば、どうか私の   ブログから距離を置いて下さい。ご自身を大切に自省しましょう。自責と自省は別モノ。自分を省みたら、自分を責めるのではなく、今からブラッシュアップ。情に流され、溺れるのはあなたの長所でもある筈です。他人の内面を真っ直ぐに見ている人だから。失敗を責めずに伸びしろだと思って自分を誉めましょう。

 

こんなこと書いてると、自惚れてる様で恥ずかしいので、今日はそろそろ寝ます。笑

読んでるあなたがもっと辱められたよね?ゴメンなさい。

 

 

そしてやっぱり恥ずかしいと思うので、多分そのうち非公開にしてほとぼりが冷めたころにまた赤っ恥をかきたいと思います。アホなので同じ失敗を繰り返す・・・。

┓(´д`;)┏

 

賢明な皆さんは私の様な真似しないで・・・・って、する訳ないか。

あ、でもご紹介した本をあなたが選んで下さるなら、きっと本はあなたを裏切らないと思いますよ。私と違って・・・。

 

今日(2024年4月13日)はたかまつミライエでのイベントのあと

 

ミライエからおよそ700m。UDON CAFEさんで

 

Nゲージのレイアウトを拝見しながら

 

カレーを頂きました。ごちそうさまでした・・・。お願い

 

 

 

今日もここまでありがとう。またね~バイバイ

 

あーはずかしっ!