少女マンガの歴史の一端がわかる本 | へにょへにょ日記[ゆるゆる田舎暮らしブログ]

へにょへにょ日記[ゆるゆる田舎暮らしブログ]

カメラ、写真、本、アート、ペット、犬、家電、料理、ハンドメイド、医療、健康…。なんとなく過ぎてゆく日常のあれこれ。スムースチワワの小太郎と過ごした日々。

 

だいぶ前に買ったものの積ん読になっていた、竹宮惠子さんがマンガ家になった初期の頃の思い出を綴ったエッセイ(なのかな)「少年の名はジルベール」、やっと読みました。セットで、その反論とも言える萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」も読了。どちらもマンガではなく、文章の本。

 

「〜ジルベール」のほうは、発売当初は電子書籍化されてなくて、ハードカバーの紙の本で買ってそのまま読めずにいたのですが、最近になって文庫版が電子書籍でも買えることがわかったので、電子書籍で買い直して読みました。電子書籍だと電車の中で読めるのですが、紙の本は家で読むので、他のことに時間を取られて、なかなか落ち着いて読めないです。「〜大泉〜」は最初から電子書籍で買いました。

 

「〜ジルベール」に描かれた出来事がA面だとしたら、同じ時期の出来事のB面が「〜大泉〜」で語られています。さらに「〜大泉〜」の最後に萩尾さんの秘書による文章で、客観的に見た当時の状況にも言及されていて、興味深かったです。立場によって同じ出来事の記憶がこんなにも違うとは。

 

 

 

 

子どもの頃からマンガっ子で、小学生から高校生くらいだった1980〜90年代、集英社の「りぼん」、講談社の「なかよし」、小学館の「ちゃお」を同時に全部読んでいる時期もありました。大学生くらいになると雑誌ではなくコミックで好きなマンガを追いかけてました。大学卒業前後は本屋さんでバイトしていたので、気になる作品は過去から(当時の)現在まで、休み時間に読んでました。

 

竹宮恵子さんや萩尾望都さんがマンガ家としてデビューしたのが1960年代後半くらいで、このお二人が東京の大泉(地名)で同居されていたのが1970年からの2年間。その間にいろいろな人がその住居に出入りして、のちに「大泉サロン」と呼ばれるようになったそう。

 

竹宮さんの「〜ジルベール」にはこの期間のことが濃密に描かれていて、私が生まれる少し前の話ではあるけれど、私が10代の頃に熱心に読んでいたマンガ家さんたちの名前もたくさん出てきました。名前を聞いただけで作品や絵柄が思い浮かぶような方たちです。

 

「大泉サロン」なんてものがあったことすら知らなかったのですが、「〜ジルベール」が出版されてかなり話題になって、初めて、このお二人が同居されていた時期があったことを知りました。

 

竹宮さん側から描かれた「〜ジルベール」は苦しみながらも作品を生み出す葛藤とともに、大泉時代の、若さ故のキラキラ感も感じられて、ファンにとっては「そこが聞きたかった!」みたいなことが書かれている本ではないでしょうか。

 

実は、私は竹宮さんの作品は、ごく最近まで(読み切りなどは読んだことがあるのかもしれないけれど)長編をちゃんと読んだ記憶がありません。代表作は知っていたものの、読むタイミングがなかったというか、それほど触手が動かなかったというか。「〜ジルベール」を読む前ですが、最近になってやっと「風と木の詩」を読了。電子書籍でまとめ買いしてたものの、一旦途中で挫折して再度読み直して最後まで読み切ったという感じ。

 

一方、萩尾望都さんは好きで、友人から借りて読んだり文庫版で購入したりして昔から読んでいました。

 

お二人の作品、同じ匂いはします。ファン層も重なっていそうではあります。でも本質的なところでちょっと違うのかな、とは思います。

 

それが、なんとなく、「〜ジルベール」と「〜大泉〜」を読んで分かったというか、なるほどなあ、と思ったところ。

 

竹宮さんの「〜ジルベール」にはキラキラした側面が存分に描かれていて、そこに登場する萩尾さんもそのキラキラの画面の隅に常に存在しています。

 

しかし、萩尾さんにとっては「大泉時代」は今は思い出すと体調が悪くなるくらいのトラウマになっているそう。当時は楽しかったそうですが、幕切れがあまりにもひどかった。竹宮さん側からすれば、そこまでとは思っていなかったのでしょうが、萩尾さんからすれば、相当なダメージを負った出来事だったというのが、「〜大泉〜」を読むとよくわかります。

 

そして、20代前半のほぼ女性だらけのコミュニティで、「ああ、そういうの、ありそう」という感想も持ちました。どちらも、オタク界隈にいそうなタイプかも、って思いながら読んでました。

 

不幸だったのは、お二人を仲介してくれるような人がいなかったことかな。最悪の事態になる前に、そっと二人を引き離して、ちょうど良い距離感を保てるような調整役というか。どちらがいいとか悪いとかではなく、タイプが違うお二人の距離感が近すぎたんだと思います。

 

なるべく距離を保っているという萩尾さんの今のスタンスも正しい。封印していたものを蒸し返されてしまった形になって、大泉時代を振り返ることになってしまったことは、ご本人にとっては辛いことだったと思いますけれど、ファンにとっては、すごく納得というか、これは外野がどうこういう問題ではないのだと理解できたことが良かったのではないかと思うところ。

 

少女マンガの歴史を語る上でも、この二作品が世に出たことは意義があったのではないかと思います。そして、作中で言及されていたマンガ家さんたちの作品をいろいろ読みたくなってしまいました。

 

 

 

 

 

【今日の撮影機材】

カメラ:FUJIFILM X-T50 → 価格.com

レンズ:XF80mmF2.8 R LM OIS WR Macro → 価格.com

date:2026/3/12

※写真は縮小しています。

ブログランキング・にほんブログ村へ