失われた30年で消えた平成、ロスジェネの幻想 | へにょへにょ日記[ゆるゆる田舎暮らしブログ]

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カメラ、写真、本、アート、ペット、犬、家電、料理、ハンドメイド、医療、健康…。なんとなく過ぎてゆく日常のあれこれ。スムースチワワの小太郎と過ごした日々。

 

ぼんやりと、過去を振り返ると、私の10代はバブル期で、戦後の復興を遂げた日本(戦争を知っている人たちがまだたくさんいた)がイケイケだった時代。思えば、私たちの世代はそこが基準で、いくら景気が悪いと言っても一時的で、そのうちその頃みたいにイケイケの日本に戻るんじゃないかっていう幻想から抜け出せずにいます。

 

バブル崩壊は1993年と言われていますけど、その頃は大学生で、そのあとは就職氷河期。今の40代はロスジェネ世代とか言われてます。

 

↓参考記事。

 

 

大学卒業後は途中で体調を崩したりしつつ、ふらふらと本屋アルバイトをしていたんですが、今の持病である膠原病になって、薬の副作用などで鬱々とするのを解消するために犬(チワワの小太郎)を飼ったのが2002年。ブログを始めたのが2004年。

 

その頃には「失われた10年」と言われていて(だからロスジェネ世代)、日本の景気がなかなかよくならないなぁと思っていました。とはいえ、世界から見れば日本は豊かで衣食住には困らない国。景気も、そのうち良くなるって思ってました。(自分の体調もそのうち良くなると思ってました)

 

平成になったのが1989年。令和になったのが2019年。今では「失われた30年」と言われてます。平成時代、まるまる失われてますよ。

 

ってことは、平成時代に生まれた子たちは、景気の良かったイケイケの日本を知らないんですよね。「失われ」ていた日本に生まれて子ども時代を過ごしている人たちにとっては、それが基準で、別にそこから抜けだそうとか今より良くなって欲しいとか思わなくて、そもそも今が「悪い」状況だという認識がないのかもしれないです。それが普通になってしまっている。

 

「昔はよかった」って言われても、その「よかった」イメージが具体的にわからなければ、そこを目指そうとは思わないのかも。

 

そして今、令和になってからの「コロナ禍」。平成の後期に生まれて令和に子ども時代を過ごした人たちは、この「コロナ」の時代が基準になってしまうのでしょうか。

 

マスクやソーシャルディスタンスの生活が普通になってしまうと、マスクなしで人と会うのが怖いとか、人と近くで接触するのが苦手とか、そういう人たちが増えてしまって、コロナ禍が終わってもそれは変わらなくなってしまうんじゃないかと、心配です。それが普通になってしまえば、違和感ないのかもしれないけれど。

 

なんだかね、日本のコロナ対策とか、近年の政治のグダグダとか、安倍政権の数々の疑惑とか不正とか、それを正せない歯がゆさとか、そういうのと見ていると、ついつい「昔はよかった」って言いたくなっちゃいます。バブル期に戻るのがいいというわけじゃないんだけど、なんかね、良かった頃の幻想を、つい追ってしまう、ロスジェネ世代です。

 

世界の中の日本を見ても、日本だけ賃金が上がらず、貧しくなって、格差も広まっています。日本は「やればできる子」のはずなのに、なんでこんなことになってるんだ。って思っちゃう。

 

 

そういえば、Netflixのドラマ「新聞記者」が話題ですが(見てないです。映画版は見ました)、このレビューが興味深かったです。

 

巨悪が存在するわけではなく、小悪の集合だというのは同意。問題は、その小悪を正さなければならない立場の人が、率先して小悪に手を染めたり見逃したりそっと後押ししたりしていたってこと。小さな嘘を隠すために次の嘘をつき、その嘘を隠すためにさらに嘘を重ねる、そんな連鎖を止められないことが、今の日本がの低迷の原因なんじゃないかと思います。

 

今の日本の社会全体の雰囲気が暗いし,閉塞感。求めているのは、バブル時代の「明るさ」かもしれません。

 

 

【今日の撮影機材】

カメラ:FUJIFILM X-T20 → 価格.com

レンズ:XF80mmF2.8 R LM OIS WR Macro → 価格.com

date:2022/1/1

※写真は縮小しています。

 

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