こんにちは、石川です。

 

早いもので、今年でFPといて「独立起業」して9年目になります。

FP事務所オフィス石川

アクサ生命での営業職から金融の世界に踏み込んだわけですが、2010年に独立した時は「これでやっと、お客様に自分が良いと思った保険商品を販売できる」ということが、FPの特権であると思っていました。

 

この考え方は今では少し変化しましたが、FPの相談業務の「出口」として適切な金融商品を販売するという考え方に曇りがあるわけではありませんし、より保険に対する「想い」がソリッドになった気がします。つまり妥協したくないという気持ちでしょうか?
 

そんなお仕事と並行して、2012年ごろから少しづつ「福祉分野」での依頼がくるようになりました。

 

「なぜ来るようになったのか?」についてはこの場で詳しくは述べませんが、端的に言うと「依頼されて」「それに応えて」「さらに自分から踏み込んだ」ということでしょうか。

 

言い換えると「そういう流れを自ら選択してきた」ということだと思います。

 

まず最初は、地元社協での日常生活自立支援事業での支援員を有償ボランティアとしてはじめました。

日常生活自立支援事業 厚生労働省

 

ここで初めて貧困世帯への支援を学びました。

 

アルコール依存症の単身高齢者、生活保護を受けている高齢世帯、依存症ゆえに家計が破たんしている障がいのある人、経済的虐待を疑う世帯への支援、など、普通のファイナンシャルプランナーならば経験することがない事例に関わらせて頂きました。

 

次に、生活困窮者自立支援事業に関わりました。

生活困窮者自立支援制度

 

ここでは、家計相談を約3年間行ってきましたが、様々な世帯をみることになります。

 

母子世帯の困窮状態、福祉制度を嫌いながらも食料支援を続けた世帯、人工透析で動けなくなってしまっていた人などなど。

 

出口が見えない支援は支援者を疲弊させてしまうことも身をもって体験し、どうすれば支援者を「支援」できるだろうかと考え、支援者支援の講座を開いたりもしたものです。

 

そして、今ではひとり親世帯への支援と、引きこもりの就労支援などにも関わっていますし、全国で障害者世帯の「親なき後」の講演をさせて頂いたりもしています。

 

そんな中、市民活動を支援するNPOの役員や、全国で「ダイバーシティな家計相談」ができるファイナンシャルプランナーを育成することも今後は取り組んで参ります。

 

さらにこれから発達障害のある人や引きこもりのソーシャルスキルをUPする事業や、発達障害や引きこもりの人が就労できるようなB型作業所の設立と運営に関わる予定でもあります。

 

こんな私ですが、時に立ち止まり、「なぜこうなったんだろう」と考えることもあります。

 

20代、30代に思い描いた人生とは全く違う景色を私は見ているのです。

 

これは「偶然」ではなく、きっと「必然」なんだろうと思いますが、今後の自分は残された時間で「どこまでできて、どうやってこの想いを継承できるだろうか」と考える時間も増えました。

 

私はこれからどうなるんだろう?

 

私はこの役割を全うできるのだろうか?

 

そして、これらを実現していくことが私がファイナンシャルプランナーであることの意義でもあり、そして当然「ひとりでは成しえない」とも思います。

 

どうか皆さん、協働して、進んでいきませんか?

 

そんな「協働」を考えるきっかえになる勉強会も行いますので、是非ともご参加ください。県外からの参加もOKです。

こうち連携実践塾~農福連携が生まれた連携秘話を語り合う会~

 

ではまたお会いしましょう!

 

 

資産運用などのアドバイスを業とするのがファイナンシャル・プランナー(以下FPと略)の仕事だという認識があるなか、FPの私が地域福祉に関わり始めたのが、おおよそ5年ほど前のことだった。

 

当時の私は地元の社会福祉協議会の人に誘われるまま、日常生活自立支援事業の支援員として週に一度ほど、地域を回ることになった。

 

この事業は、地域で単身世帯として暮らす認知高齢者や障害のある人の日常のお金の管理と見守りを「訪問」により実施する国の事業である。おそらく社協の人の思惑としては「家計管理のアドバイス」を私に求めていたのだろうと、今となっては思うのだが、支援を始めた私は、その現場に驚き、立ち尽くしたこともある。

 

最初に担当したのが、生活保護を受けていたアルコール依存症の60代半ばの、単身高齢男性であった。

 

保護費をもらうと、生活保護の友人たちと飲酒にほぼお金が消えていき、時々飲酒のお金が欲しくなり窃盗をしたりしていた。警察署から連絡があることもあったし、窓が壊れている壊れかけのアパートに住んでいるために生存確認に追われる季節もあった。

 

そんな中でも彼は「地域で暮らしていた」が、そんな現場に携わるたびに私が見ていたのは、福祉的支援を受けてこなかった人の「結果」であった。その発見されてあらわになった結果というシビアな現実は、世間一般の認識からかけ離れていて、まさに浮世離れしており、自分の住んでいる世界とは別の世界の出来事と思われることもあった。

 

ごみ屋敷の中で孤独に暮らす透析を受けている高齢男性。

最低生活費以下で暮らす一度も職についたことがない70代の男性。

そして、子供が長年引きこもっていて親がその暮らしに疲れ果ててしまっている世帯。

 

このようなケースに遭遇した時に、福祉の現場では、その世帯の「今の困りごと」を解決するために注力がなされていく。

 

例えば広く困りごとを抱えた人を支援する「生活困窮者自立支援法」の下で支援が行なわれる場合、その世帯が経済的に困っていたら、生活福祉資金を貸し付ける支援をするだろうし、治療や入院が必要ならば、その手配をするだろう。就労が世帯の困窮を解消すると判断されたら、就労支援を進めていく。

 

そのように「今起こってしまっている結果」を支援していくことは、福祉の大事な仕事であるとは理解はしているが、私にはその支援が「人」ではなく、「その状態」に向けられているように思えてならないのだ。

 

確かに引きこもり世帯へ支援の結果、すぐに今の状態が解消することも多くはないだろうし、短期間でその状態が改善することもないだろう。

そして年老いた親と今まさに過ごしている引きこもり当事者にとっては、良くない事態が将来起こってしまう可能性が高いと言える。

 

その不安を感じながら過ごしているものの、今現在「親となんとなく暮らせている引きこもり当事者」は、そのやりきれない事態が将来訪れるまで、福祉的支援を受けられないのだろうか?

 

地域福祉が「起こってしまった結果」に対応する事ばかりに気を取られていると、漠然と「将来」に不安を感じている引きこもり当事者やその親は、完全に置いてきぼりになってしまうのではないだろうか?

 

だからこそ、「人」の支援に、全力で取り組んで欲しい。

 

「そもそも引きこもっているから、そんな人がどこにいるかわからない」なんて寝ぼけたことを言う前に、「引きこもり世帯を支援する法律や制度がないから支援ができない」と言い逃れる前に、行政や福祉関係者には、今からでもできることが沢山あることに気付いて欲しい。

 

私のFPと言う仕事は、まさに「人」を支援している。

 

その「人」の想いをしっかりと受け止め、その想いをどうやって実現していくか考え、ご本人と共有し、少しずつ実行支援していき、その人の「生きる」をサポートしていくのが仕事であり、これこそがライフプランニング(=夢の実現)であるのだ。

 

行政の人や福祉職の人に是非ともわかっていただきたいのは、人はどんな境遇でも必ず夢を持てる、つまりライフプランを考えることができるということと、それを実現するには「その人」を支援しないと実現できないということである。

 

人を支援するとは、その人の「今」を受け止め、そして世帯の「未来」を一緒に共有し、今からできることを見つけ出すこと

 

何回も言うが「現状への支援」は当然大事である。

 

しかし、そこから一歩踏み込んだ「引きこもり世帯の将来」への支援の視点が持てないと、悶々としている引きこもり当事者や親とは出会うことはできないだろうし、彼らが感じ続けている「将来の不安」の源泉にはたどり着けないだろう。

 

支援のヒントをお話するならば、生活困窮者自立支援事業における「困窮者」の定義が法改正により、「経済的困窮者だけでなく、地域で孤立している人(しかけている人)」となった。

 

この制度を活用していくことで、引きこもり世帯にアウトリーチすることできるかもしれないし、アウトリーチした引きこもり世帯の不安を支援者がしっかりと受け止めて、今の困りごとの支援だけで終わらせず、他の支援機関にも繋げることができれば、少しは当事者や親の「将来の不安」に寄り添えるのではないだろうか?

 

そしてそれこそが、引きこもり当時者や親の「希望」に繋がっていく。そんな支援が行われることを地域福祉に関わってきたいち福祉ファイナンシャル・プランナーとして期待する。

 

引きこもり支援は、既に待ったなしのところまできているのだから。

 

 

 

こんにちは、石川です。

 

私は生活困窮者自立支援事業の家計改善事業などの研修会で講師を務めることがあります。

 

また、障害者支援や引きこもり支援の相談員さん対象の勉強会で喋ることもあります。

 

そんなときによく口にすることの一つに「支援者目線にだけにならないように」があります。

 

この教訓の意味は「支援者目線しか持ち合わせていないと、相談者の悩みには寄り添えないですよ」という当たり前のことなんです。

 

福祉の現場ではなく、様々な現場でも当てはまる、いわば「普遍的な教訓」だと思いますが、最近はその想いをより強く噛みしめています。

 

私はいま「引きこもり者や障害者が自立を目指す最初の一歩を踏み出せる」機会を提供できるようなNPOの設立を考えています。

 

カッコつけて「考えています」と言ったものの、実はこの計画は1年以上前からあり、そこから停滞しているとも言えるのです。

 

お恥ずかしいことです。。。

 

企画書を書いて、協力してくれる人、つまり会員さんや役員さんを探すことしか、この企画が進まないのはなぜなんだろうと、ふと考えていたのですが、そこで思ったのは

 

結局は、私たち支援者は、そんなに困っていないから

 

進まないのではないか、と思い至りました。

 

このNPOの取り組み事項の一つに「就労のファーストステップの提供」があります。

 

この事業は「就労したいのに、大きなステップを踏み出すことが難しい人に、小さなステップ(スモールステップ)の機会を提供する」こととしています。

 

しかし、ここ一年間、NPO設立への環境整備ばかりに気を取られてしまい、こうしたニーズへ全く対応できていないのです。

 

この事業を考えた時は「具体的なケースや人」を想定して、つまり、実際の声を拾い上げて、その声に(その人に)応えるために考えました。

 

それがどうでしょう、まだ一ミリも前進していないのです。

 

なぜなら、私や役員がその当事者ではないからです。つまり就労のファーストステップを踏みたいと思っているような当事者ではないからではないでしょうか?

 

支援者は健常者であり、有職者であり、それ相応の年収があり、自立できているから、必死さが足りないのでは?

 

当事者や、その保護者がNPOなどを立ち上げて、自らの課題に取り組むケースと比べてみると、私たちはその熱意がそのま推進力や動力となっていないのだと猛省しています。

 

お恥ずかしいと書いたのは、支援者目線だけにならないようにと言っているのに、私自身がその理念を体現できていないことがあるという事実からなんです。

 

支援者目線であることに囚われないという立ち位置にたつことは、それぐらい難しいことであります。

 

だからこそ、当事者参加型の事業を展開しないといけないし、その人たちをいい意味で「巻き込む」ことができないと、絵に描いた餅を作り続けることになるでしょう。

 

耳が痛いだけでなく、心も痛いと感じています。

 

今後はこのNPOに当事者の仲間に参画してもらい、脱支援者目線を目指したいと決意しました。

 

皆さんは、いかがでしょうか?

 

ではまたお会いしましょう!