「あわわわわ、はわわわわわ」
 あまりにも驚き過ぎて口が震えてしまう。
 ある意味、動物に初めて変身した時以上のインパクトがあった。
「うち……今まで女やと思ってたんやけど……実はやったみたい。ほら、オリンピック選手とかで体調べると実は男だったっていうのがたまにあるやん。まさかこの年になって出てくるとは思わなんだけど」
 カリンは顔を赤らめてそんなことを言う。
「ま、まぢか……い、いや、嘘やろ!?」
 コノハは目の前の光景が信じられない。


「だだ、だだだだ第一、ソレ、に、人間のとちゃうやん!!」
 カリンの股間にあるブツは明らかに動物のソレだった。どこかで見た記憶がある……イヌっぽい。
「そんなんどうでもええやん。生えてきたもんはしゃーないで」
「全然良くないわー! 新年早々R-18やないかー!」
「人間じゃないから全く問題無いで!!!」
「嘘や!! こんなカオス設定でいいんですか! いいんですかー!!!」
 両者混乱してそんな内なる話をぶちまけた。


「コノハ……うち、我慢でけへん……」
「はい?」
「お、男の人ってその……愛する女の人の……入れたくなるもんやろ?」
「はぁ!?」
 なんか違う方向にがんばっている。
 明らかに余計な知識入れすぎだ。エロ漫画の読み過ぎ! 危険危険!
「コノハも……脱いでやー」
阿呆!! 何で脱がなあかんねん!!」
 とにかくここから抜け出さなければ……
「うぐぅ……」
 体はいつでも変身していいよ言わんばかりに疼いている。
 体の疼きに身を委ねてもいいだろうか?
 抗癌獣化剤は今、持っていない。
 暴走してキメラ化してしまったら自分もどうなるかわからない……


 究極の選択肢。変身するか、しないか。
 まさか大学の女子トイレでこんな選択を迫られることになろうとは。
 しかも腐れ縁の幼馴染が敵になるなぞ……
「う、うちはいつでもかまへん。コノハ、さぁ、早くぅー」
 カリンさんはヤル気満々のご様子。
 コノハは混乱して激しく泣きたかった。
 カリンが一歩一歩にじり寄ってくる。
 コノハは下がるが、広い個室と言えど、すぐに壁に追い詰められてしまう。
 興奮しているのか、カリンのソレはビンビンに元気になっていた。


「ひいいいぃぃぃぃー」
 恐怖以外の何物でもない。B級エロホラーでさえなさそうなこの展開。
 ドクン。
 体がざわつく。抗癌獣化剤で押さえていた第三遺伝子が活性化している……
 どうすれば……
「コノハ、一つになろう……」
 カリンが迫る。長身のカリンはこの場で見ると、本当に大男のように見えた。
「へ、変身はやっぱあかん! こ、これでもくらえ!!!」
 コノハは変身しない方の選択を選んだ。
 そして、究極の手段として、カリンのケモチンを両手で思いっ切り掴んで力の限り握った!!


「ふぎゃん!!」
 不意を突かれたカリンは初めての刺激に体が痺れた。
 前のめりになり、はぁはぁと痛みを堪える。
「うえぇぇぇ、気持ち悪ぅ……で、でも、い、今や!」
 生々しい感触があった。しかし、すぐに思考を切り替えた。
 コノハは小さな体を生かしてカリンの横を擦り抜け、個室の鍵を開けて女子トイレから涙ながらに脱走した。
 幸いにもトイレには誰もいなかった。
「テンリ、テンリ! ヘルプ! まぢヘルプっす!」
 心で思っていることがそのまま口から出る。
「待~てぇ~コぉ~ノぉ~ハぁ~!」
 無駄に身体能力が高いカリン。すぐに追ってきた。ホラー、まじホラー。ズボンはちゃんと穿いているがやっぱりもっこりしてる!
「いやああぁぁぁー、来んといてぇぇぇー!」
 逃げるコノハ。追うカリン。
 今度捕まったら本格的にヤヴァイ気がする。二人きりは危険だ。少なくとも第三者が必要だ。
 コノハは必死になって大学内を逃げた。すでに第二講義の時間になっていたので人は少ないのは幸いだ。
「や~ら~せ~て~や~」
「っく、処女のくせして……いや、童貞? と、とにかく生意気な……」
 とか心で思ってみたが、そんなことをカリンに言っても何も効果がないことはすぐに察した。
「あかん。急に走って疲れた……熱い……」
 熱い。体が熱い。これは良くない感じがする。
「うわっ、腕の毛が濃くなってる……」
 コノハの獣化が始まってしまった。
 早く部室に置いてある抗癌獣化剤を取りに行かねば。
「ははっ、追い付いた。コノハ、一発でええから」
 コノハが止まって呼吸を整えていると、カリンが背後に迫っていた。


「何エロ男っぽいこと言うてるねん! このドM! ほんまに男言うんやったら、ヘンタイにはこれをお見舞いや!」
 コノハはくるりと反転して、カリンの股間を思いっきり蹴った。
「●×△◆★@」
 カリンはコノハの一撃を喰らい、身動きが取れなくなった。
「わ、悪いのはそっちやからなー」
 カリンはうずくまっている。
 逆にコノハは罪悪感を感じてしまったが、尻尾が出てきそうな気配がしたので、とにかく部室に急いだ。

「おはゆー」
「おはゆー、コノハ、まだ眠そうやねー」
 第一講義前。
 コノハは講義室に入ると、テンリと会ったので挨拶をした。
 昨夜、面白い動画を見付けてしまし、ついつい徹夜してしまったのだ。
 この講義は出欠確認が重要な単位認定へと繋がるという先輩情報。
 夜更かしのせいで当然ながらいつもより遅く目覚めて、慌てて大学にやって来たのであった。
「カリンは?」
「今日はわたしが遅刻したからメールで先に行ってもらうように言ったはずなんやけど?」
 テンリの言い分からして、カリンはまだ大学に来ていないようだった。
「サボリか?」
「うーん、わからへん」
 基本的にカリンも真面目な子なのでサボリとは珍しい。

「はーい、それじゃ、静かに。講義を始める……前に、まずは出席取るぞー」
 高校生かよ、という周りの空気に反して、講師はあいうえお順に出席を取っていく。
「あ、カリン」
 出欠確認中、カリンが遅れて入ってきた。ぎりぎりセーフだ。
 コノハはカリンの方に向かって手を振ってみた。
 しかし、カリンはコノハの方をチラって見ると、恥ずかしそうな顔をしてプイっと違う方を向いて離れた席に座った。
「?」
「コノハ、なんかカリンと喧嘩でもしたん?」
「えー……そんな覚えはないねんけど……?」
 カリンの態度はよくわからなかった。
「あれ?」
 カリンの方をもう一度見て、いつもと違うことに気が付いた。
 カリン自慢の黒髪に茶色いメッシュが入っている。髪を染めたのだろうか?
 他にもう一点。最近はスカートを好んでいたのに、今日はズボンを穿いていた。
 昨日、何かあったのだろうか?
 何か気になることがありつつも、コノハはとりあえず、講義に集中することにした。



「カリン、今日は遅れてごめんなー、その……なんかあったん?」
 講義終了後、コノハは廊下でカリンを捕まえた。
「何や、恋の悩みやったら、このテンリさんがいつでも相談乗ったるでー」
 テンリも一緒になってカリンに話しかけると、カリンは微妙に視線を外し、もじもじした。
「何や気持ち悪いな」
 テンリがそう言って笑う。
「……。コノハ、ちょ、ちょっと相談があるんやけど……」
 もじもじしているカリンがようやく小さく口を開いた。
「ナニ?」
「ちょ、ちょっと、こっち」
「?」
 カリンはテンリには知られたくないようだった。
「……。テンリ、ごめん、ちょっと行ってくる」
「はいはい、後でまた話聞かせてなー」
 こういうパターンはこれまでにも何回かあったので、テンリも理解が早い。
 コノハはカリンに招かれるままに付いて行った。

「なぁ、コノハ、うちは……どっちやろ?」
 カリンが連れてきたその場所はトイレだった。
 あろうことか、カリンは男子便所に入るべきか女子便所に入るべきかを悩んでいるようだった。
「へ? 何で悩む必要があるん? カリンは女やろ?」
「そ、そうやけど……」
「?」
 ハッキリ言って、怪しかった。
 しかし、トイレ前でオロオロしているのもおかしいので、コノハはとりあえず、カリンを引っ張って女子便所に入った。
「あ、一番奥……」
 カリンが女子便所に入ると、一番スペースの広い個室を指差した。
「え? もしかして、私も入れってこと?」
 カリンはこくんと頷く。
「……まぁ、ええけど」
 こういう雰囲気が少し危険な香りがした。

 カチャリ

「!?」
 コノハが先に入って、カリンが後から個室に入ると、カリンが扉を後ろ手で閉めた。
 逃 げ ら れ な い。
「な、何なん、カリン?」
「……うち、なんかおかしいねん……昨日から……コノハ見ると……すっごくドキドキするし……」
 イキナリの百合展開ですか!!?
 こういった感じのシチュエーションは今までにも何回かあった。しかし、今回は身の危険を感じる、ような気がする。
 大きなカリンに扉を塞がれては、個室から出ることはできない。
 いや、小さな動物に獣化すれば下の隙間から外に出られるかもしれない。
 しかし、今のコノハにとって獣化することはリスクが高い。
 変身をコントロールできないので、何に変身するのかはわからない。
 最悪の場合、様々な動物の体が交じり合ったキメラのような体になってしまう可能性さえある。
 ここは一先ず、カリンの話を聞いて落ち着かせた方がいいだろう。
「はぁ……はぁ……あかん、なんやろ、このキモチ……コノハぁ……」
「な、なに気持ち悪いこと言うてるねん! 目を覚まし、阿呆カリン!」
「あへへ、怒られた」
 カリンは嬉しそうだった。このドMめ。
「コノハ、うち、今まで女としてコノハのこと好きやったけど、として好きになりそうや……」
「はぁ?」
 心理的な問題のことだろうか? カリンの意図がわからない。

「あ、あんな……その……うち……」
 カリンが股間を押さえてもじもじする。
「何や、ハッキリ言い!」
 コノハはカリンに襲われないよう、強気で押す。
「うち……うち……恥ずかしいねんけど……んこ……生えたみたい」
「え?」
 カリンが小さな声で言うので聞き取れなかった。
「だからぁ……ち●こ生えたみたい……」
「tnk……生えた? tnk……tnk!!?」
 カリンの言った意味を理解するのに少し時間がかかった。
「は、恥ずかしいけど……コノハやったら見せられる……うちのオマタ……見て……////」
 カリンがそう言ってスルスルとズボンをズラしていく。
「え? え? な、なに? どういうこと?」
 コノハはあまりにも予想外なことに、鳥肌が立ってきた。ものすごい嫌な予感がする。
「見て////」
どこぞのエロゲーかと思うこの展開。
 コノハは頭の中が真っ白になった。
 カリンがズボンをずらすと、女の子らしいパンツが露わになった。
 しかし、何かがおかしい。
 カリンのパンツには奇妙な膨らみがあった。
「え、え、えぇ……ま、まさか……そ、そ、そんな……」
 わかりたくないけどわかってしまう。どう反応すればいいのかわからない……
「コノハ……見て……うちの……kmtn」
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?????????????」
 最高潮に頬を赤らめてカリンがパンツをズラしたその先には……赤黒い立派なイチモツが……付いていた。
「ど、どどどどどどういうこと?????」
 カリンのオマタにあるソレを見て、コノハの頭はパニックに陥った。
 性転換ものの漫画やアニメはよく見たことがある。
 たとえそれは♀→♂だったとしても、股間にあるものは人間のモノである。
 だが、カリンのオマタにあったソレは……
「見て//// うちの……ケモチン////」

 元々、〝性〟なんてものはなかった。

 しかし、環境に適応するために、より強い遺伝子を残すために二分割する必要があった。

 一つは栄養を蓄えるもの……♀。

 一つは俊敏に情報を運ぶもの……♂。

 性別なんてものはあってないようなもの。

 未だに雌雄同体の生物もいれば、性が2つ以上ある生物もいる。

 性の役割は一つ。愛し合うためなんてヒトのエゴではなく、単により多くの自分の子孫を残すため。

 雌雄がそれぞれの受け持ったカラダを演じ切る時代もあった。

 しかし、今その枠組みは崩れている。

 女装男子、男装女子、同性愛……なりたいものになれる時代に、人間社会が理解を示した。

 伝統は失われ、新たな文化が芽吹いていく。

 新たな〝性〟の獲得のため、もっと激しく混ざり合えばいいのに――

 この世の中は怪奇な出来事がムゲンにある。
 科学を超越した非常識。
 ここで例を挙げるなら、人からケモノへの変身、またはケモノから人への変身、あるいは動物から他の動物への変身。
 獣⇔人⇔獣⇔獣の構図は、空想か実在かはさておき、古来から現代までどの時代においても繰り返し伝えられてきた。


 この世界の生命は常に変化し続けている。
 例えば、成長。生命は卵から生体になるまで著しく形態を変える種が多い。
 強いて言えば、『究極体』にほど遠い。
 逆説的に言うなら、生命はムゲンの『カタチ』になる可能性を秘めている。
 中には既に『固定』されてしまっている個体もいるが、多くは混合されたままの状態である。
 そう、生命は未だ模索段階なのだ。


 鬼はまだ熟していない。
 波紋は広がっていく。
 さぁ、さらなる々を授けよう――

 私はウサギが大好きだった。しかし、子供の頃は親が動物嫌いで飼えなかった。
 時が過ぎ、私は一人暮らしを始めた。
 そして、ようやく念願のウサギを、昨日買って来たのだ。
 これからはウサちゃんと楽しいアニマルライフを過ごすことができる。
 期待に胸が膨らむばかりだった。

 興奮し過ぎたせいか、あまりよく眠れず、夜中に目を覚ました。
 ウサギの様子を見ようと思い、ゲージの中を覗くと……何故かがいた。


「?」
 目を擦ってもう一度見てみる。
 しかし、そこには紛れもない猫がいた。
 確かに猫もいいかなと思ったこともあったけど、私が買ったのはウサギだ。
 そもそも私は猫なんか飼ったことがない。
「あれ?」
 よくわからない。
 何故ウサギ小屋の中に猫がいるのか。
 確かに買って来たウサギに毛並みや色が似ているけど……
 やっぱり猫だった。

 寝ぼけているのかと思った私はすぐに寝ることにした。


「ふぁー! よく寝た」
 二度寝はよく眠ることが出来た。
 起きてすぐにウサギ小屋の様子を見に行く。
 すると、ウサギ小屋の中にはがいた。
「えぇ?」
 今度は犬。ウサギはどこへ行ったのか。
 夜中の出来事も嘘じゃなかったのか? 猫はどこから現れ、どこに消えた?
「……」
 不思議な出来事が起こったせいで、私の思考は固まってしまった。
 ぼんやりとウサギ小屋の犬を眺める。
 眺めていると……


「ワンワ……キキィー!」
 犬が変な鳴き声を発した。
 こんな犬の鳴き声は聞いたことがない。
 それはまるで……
「な……なに……これ……犬が……に……?」
 そう、犬が猿に変化していく。
 グロテスクだった。
 苦しそうに犬とも猿とも聞き分けられない奇妙な鳴き声を発しながら目の前の生物は猿に変身していく。
「い、いやあああああぁぁぁー!」
 私は怖くなって、マンションを飛び出した。

 僕には子供の頃から獣化願望があった。
 どうしてそんな願望があるのかはハッキリ覚えていない。
 しかし、気が付いたら獣化に憧れていた。
 獣化は現実ではできないのはよくわかっている。
 しかし、それでもこの衝動を抑えきれず、その結果、僕は着ぐるみを着ることで落ち着いた。
 マヨネーズが大好きな人をマヨラ―と呼ぶみたいに、僕はいわゆる着ぐるみ大好きなキグルマ―ってやつだった。


 着ぐるみがあれば、僕はいつだってすぐに獣に変身することができる。
 誰とでも警戒されずにイチャイチャ接することもできる。
 僕は着ぐるみを着るアルバイトを始めた。
 着ぐるみを通して見た世界はいつも以上に狭い。
 しかし、それが自分が獣化しているような錯覚を覚えて、僕はいつもと違う自分になれたみたいで楽しかった。
 今日はパンダの着ぐるみを着て、スーパーで子供に風船を配るバイトをすることになっている。
 パンダの着ぐるみは初めてだった。
 しかし、一目見て本物のパンダそっくりで興奮した。
 スーパーに入って来る客の中で、誰かは本物のパンダと見間違って驚いてくれる人もいるかもしれない。
 それはちょっと面白い。
 僕は早速、準備室で着ぐるみを着る……


 立ち鏡に映った僕はパンダだった。
 二本足で立つパンダ。
 このリアルさは四つ足でもいいんじゃないかと思ったのだけれど、それでは子供に風船は配れない。
 僕は着ぐるみのパンダとして、子供に風船を渡す役割に徹した。
 
 着ぐるみの密着度。
 激しく動くとすぐに熱が籠る。
 熱い。自分の体と着ぐるみが一体化してしまったような感覚。
 それだったら、本当に嬉しいのに……

「んくっ?」
 着ぐるみは声を出してはいけないのが鉄則だ。
 しかし、何故か今回のバイトは尋常じゃないほど体熱い。
 熱でも出てしまったのだろうか。
「!?」
 急に体が苦しくなった。まるで自分の体大きくなってしまったみたいに、窮屈さを感じる。
 こんなことは初めてだった。
 やはり風邪でも引いて、感覚がおかしくなっているのかもしれない……


 しかし、僕はがんばってアルバイト終了まで耐えた。
 いつしか体の熱は治まった。
 しかし、着ぐるみ内の窮屈さは拭えなかった。
 今日はさすがに疲れた。早く着ぐるみを脱ぎたい。
 僕は顔だけでも先に脱ごうと、頭のパーツを上に引っ張った。
「イテテ……?」
 脱げない。
 本当に着ぐるみと一体化してしまったのだろうか?
 いや、そんなことは無い。ちゃんと脱げ面は鏡に映っている。
 中の僕が窮屈になっただけということだろう。
「着ぐるみ着て痩せた人の話は聞いたことがあるけど、太った人なんているのかな?」
 何故脱げなくなったのかわからなかった。
 しかし、借り物の着ぐるみを返す時間が迫る。
 僕は必死になって頭のパーツを引っ張った。
「イテテテ――ハァ…ハァ……ハァ……は……あぁ?」
 僕は手にパンダの着ぐるみの頭を持っている。
 しかし、鏡に映った僕の顔は……手に持っているものと同じパンダそっくりの顔だった……

 あたしは生まれてくる性別を神様に間違われてしまった。
 あたしは男として生まれたが、女として育った。
 世に言うオカマ。
 しかし、性別を超えて異性と触れあう可能性を秘めているニューハーフである。
 水仕事でお金を溜め、ようやく念願のブツを海外でちょん切る手術の予定を立てた。
 もうすぐ、悲願のずっと求めていたボディが手に入る……そう、思っていた。


 その日、あたしはいつものように、バーでお客さんの相手をしていた。
 この日は客の入りが少なく、あれが起きた時は店側の人はあたし一人だった。
「さぁ、どうぞ」
 あたしは楽しく男性客と話をする。主に仕事の愚痴を聞いてあげるのがあたしの役目。
「ん? さむっ?」
 その時、一瞬だけ寒かったのを覚えている。
「あれ? 今度はあつっ」
 急に、体が熱くなってきた。
「やだ……まだ今日の仕事始めたばかりなのに、熱……」
 店には他に店員がいない。私がすべて対応しなければならない。
「ふぅ……気持ちを落ちかせて、体がしんどくならないようにしなくちゃ」
 他の子がやって来るまで、熱でもなんでもがんばろうと思った。
 しかし……


「?」
 体の違和感に気付いた。全身がムズムズする。
「あれー、幾美ちゃん、ヒゲが生えているよ、あはは、剃り残しかい? あはは」
 お客さんの一人にそう指摘された。お客さんは結構酔っている。冗談かと思った。
「うそ! 毎日お手入れしているのに、そんなはずは……」
 しかし、気になって鏡で自分の顔を覗いてみた。
「な、なに……!?」
 鏡で自分の顔を見ると、ヒゲが確かに生えていた。しかし、そのヒゲは人間のヒゲのレベルを超えている――まるで、動物が生やしているヒゲのようだった。
「痛っ」
 引っ張ってみると、痛覚がある。間違いなく生えている。
「やだ! 何でこんな変な毛が?」
 あたしは恥ずかしくて泣きそうになった。


「あはは、あれ? そう言えば、今日はいつもと髪型が違うね。何かあったのかい?」
「え?」
 常連客が笑いながら、あたしに言った。
 今日はいつもと同じ髪型で出勤した。なぜ髪型を指摘されるのか?
 もう一度鏡を見る。
「伸びてる……」
 髪が伸びていた。現在進行形で。
「イヤ……いやあぁぁっ!」
 鏡を見ていると、私の体からどんどん白い毛が生えてくる。
「おぉ! 今日はすごい演出! ホログラムでも導入したの?」
 お客さんは酔いすぎてリアルだと思っていない。
「痛っ……はぁはぁ……熱い………なんなの……?」
 あたしの体が何か別のモノになっていく。怖い……
 しかし、怖さ、痛さと同時に何故か少し気持ちよくもあった。


「あっはっは! 狼じゃなくて、ライオンか! でもどっちにしても♂っぽいよね」
 お客さんの一人があたしを見て、愉快そうにそう言った。
 三度、鏡に映ったあたしを見る。
 鏡の中のあたしはもじゃもじゃけむくじゃらで……顔は本当にライオンのようだった。
嫌ぁ……な、なんで……何でオスのライオン……あたしは女なのに……」
 お前は男だと決めつけられているかのように、あたしは変身していく。白銀の百獣の王に。
「はぁ……はぁ……ガルル……」
 体が大きくなり、着ていた服がビリビリに破れた。
「うほー! 怖い! すごい演出だね! でも♂ライオンってやっぱりオカマは♂になるんだねー、あはは」
 お客の一人があたしに向かってそんなことを言った。


 気に障った。
「ガルルルアァァァァー!!!」
 むかついたあたしは体の動くままに、そのお客に襲いかかった。
「ぎゃあぁぁー! あぁ……。……」
 すぐに息の根を止める。簡単なお仕事。
「あはは、まじやべー、あは……あ……?」
 酔って笑っていた客がだんだん蒼褪めた顔になる。
「おい……うそだろ……」
 あたしを見て怖がっている。
 それは、あたしが化粧を始めた頃に見た人々の反応を想起させた。


 嫌だ! あたしは男じゃない。女だ! 女なんだ! 
 それなのに、何でオスのライオンになるのか?
 こんなに大きなナニが垂れ下がっているのか?
 嫌だ! もう何もかもが嫌だ! 
 あたしをいじめるこの世界なんて、全部むちゃくちゃになってしまえばいい!
「ガオォォォォォー!!」
 あたしは獣になった。あたしを見て笑う店の客の息の根を一瞬で仕留めた。


「ただいまー、ごめん、遅くなっ……ひいぃぃっ!?」
 店内は赤色に染まってた。
 あたしが動かなくなったソレを食べようかどうしようか迷っていると、店員の子がやって来た。
 その子はあたしを見るなり、顔が真っ青になり、すぐに部屋から出て行った。
 もう、すべてがどうでもよかった。
 ただ、あたしに忌避的な反応を示す人はすべてむちゃくちゃにしてやりたかった。


 しばらくして、武装して大きな銃を持った人たちがたくさん店の中に入ってきた。
 あたしはたくさんの銃に打たれて、目の前が暗くなった。

 私は念願のキツネ村にやって来た。
 仕事でようやく有給を取り、大好きなキツネを抱き締められる。
 考えるだけでもわくわくして仕方がない。
 キツネは大好きだけど、いつも映像で見ることしかできなかった。
 実際にこの手で触れてみたい……


「わぁ……」
 飼育員に連れられて入った部屋にはキツネがたくさんいた。
 この施設ではエキノコックスに感染させないために、完全施設内飼育を行っているらしい。
「すごい! すごい!」
 私はたくさんのキツネを目の当りにしてすごくテンションが上がった。
「かわいい~」
 見ているだけで癒される。


「喜んでもらえると、キツネ達も喜びますよ」
 飼育員がそう言って、近くにいたキツネをひょいと抱っこした。
「わわっ! 抱っこしても大丈夫なんですか?」
「この子達は人工繁殖させた子達なので、人間には慣れているので大丈夫ですよ」
 そう言って、抱いていたキツネを私の腕に託してくれた。
「お、おおおお!」
 やわらかい毛並。もふもふ。本当にもふもふしている。少し獣臭いがそれは仕方ないこと。
 キツネは私の上での中で丸くなり、顔をチラッとこちらに向ける。
「優しく抱っこしてあげてくださいね」
 飼育員がそう言って微笑む。


「は、はい!!」
 私は天国に昇るような気持だった。
「それでは、私はエサの準備をしてくるので、この部屋でキツネ達と触れ合っていて下さい」
「はい、わかりましたー!」
 飼育員はそう言って、部屋を出ていく。


 部屋の中には七匹のキツネと私一人。
 偶然にも、今日の予約客は私一人だけだったらしい。ラッキー?
「かわいいなぁ、もうすごくかわいい。うちで飼いたいくらいだよー」
 腕の中で大人しくしているキツネの毛をそっと撫でる。気持ちいい。
「あはっ、興奮しすぎて体が熱いわ」
 私は着ていたTシャツの長袖を捲った。
「あれ?」
 その時に気付いた。腕に産毛がたくさん生えている。
 目を擦ってもう一度見直す。
 やはり、腕にたくさんの産毛が生えていた。そして、その毛は徐々に生えてきている。
「え? え?」
 あまりにも唐突なことで、考える力が湧かなかった。


「きゅーん」
 腕の中でキツネがかわいらしい声で鳴く。
 私の腕に生えてきている毛は、腕の中にいるキツネの毛と非常によく似ていた。
「んっ!」
 耳がムズムズする。かゆいと思って耳を触ると、いつもあるはずの位置に耳が無かった。
「?」
 体でかゆみを感じる。頭の上に近いところ。私の耳はそこにあった。
「へ? え?」
 夢でも見ているのか、体がおかしなことになっている。
「あ……え、手……何か盛り上がってきた……」
 手の内側にこぶ状の隆起が発達する。それはまるで
「肉……球……?」
 唐突の体の変化に思考がついていかないでいると、今度はお尻がムズムズした。


「あんっ、なに……?」
 服の上から触ってみると尾てい骨の延長戦上に盛り上がりができていた。
「……」
 腕の毛はいつしかキツネ色になっていた。
「も、もしかして、私……キツネに……なっている……?」
 慌てて、ケータイのカメラで自写撮りして見てみた。
 すると、顔もキツネのような形になっていた。
「うそ……なんで……」
 驚きと共に焦りが生じる。
「きゅーん!!」
 その時、私の腕の中にいるキツネが少し大きくなっていることに気が付いた。


「?」
 キツネは苦しそうにはぁはぁ荒い呼吸をする。
「わわ! どうしたの、急に?」
 私はとりあえず苦しそうなキツネを床に置き、急いで飼育員を呼びに行こうと思った。
「わー!」
 走ろうとした瞬間、足がもつれて前のめりに転んでしまう。すると、服がゆるんで脱げた。
「イテテテ……え、何で服が……私、小さくなってる?」
 着ているTシャツがぶかぶかになっていた。
「本当にキツネになっちゃっているの?」
 私はすっかりテンパってしまっている。
「きゅぅぅ……」
 自分のこともそうだが、急に苦しみ始めたキツネも気がかりだ。
「え……」
 腕に抱いていたキツネがまた一回り大きくなっていた。
「も、もしかして……人間になってる……?」
 そう、私がキツネになっていくのに反して、キツネは人間の姿になっていっていた。


「入れ替り……」
 体が入れ替わっている。
 キツネにはなってみたいと思ったことがある。しかし、実際、キツネになるとなると、様々な不安が過ぎってしまう。
「人間になりたかったの?」
「きゅぅん……」
 言葉が通じない。キツネは人間になりたかったのだろうか?
「……また戻れるなら、私の代わりに人間になってもいいよ」
 私はキツネを受け入れた。
「あぅ……はぅ……きゅぅ……」
 人の言葉が話せなくなっていく……私はキツネに変身してしまった。ぶかぶかの服が気持ち悪い。
 一方、キツネは人間の女性になっていた。
「あーあーあー」
 キツネは音声調節しているみたいに声を出す。
「あーあー、あれ、私……」
 キツネは人間の言葉を話した。
 不思議なことに、人間になったキツネは私とは違う姿をしていた。
 入れ替わりは入れ替わりだが、体の交換ではなく、立場が交換されたようだった。


「きゅーん」
 私はキツネに服を貸してあげようと、脱げた服を咥えて持っていく。
「あ、ありがと……でもなんで私、人間に……」
 キツネは人間になってやや混乱しているようだった。
「きゅーんきゅーん!」
 私はとりあえず、服を着てと鳴いた。
 キツネはわかってくれたようで、私の着ていた服を着る。
「……あの、服、借りるね。また戻ってくる」
「きゅん!」
 キツネはそう言って、部屋を出て行った。
 部屋に取り残されたキツネになってしまった私。
 これからどうすればいいのだろうかと思ってたら、部屋のキツネ達が寄ってきた。
 くんくんと体のにおいを嗅がれる。


「……」
 複雑な気分だった。しかし、キツネが目の前にいてちょっと幸せ。
「すみません、遅くなりましたー……って、あれ、お客さんいない……トイレかな? まあ、いいか、ご飯だよー」
 そう言って飼育員がエサの入った皿を床に置いた。
「……」
 キツネになった私はエサを食べるべきなのか迷った。生肉っぽい。
「そろそろ、また繁殖させないとだめだねー」
 そう呟いて、私をひょいと捕まえる。
「あなたもそろそろ年頃でしょ? 動物園から若いオスを呼んでいるから、楽しみにしててね」
 えぇ!!
 飼育員は私を完全にキツネだと思い込んでいる。
 私はあまりにビックリし過ぎて、意識が飛んでしまった。

 真夜中、急に冷気を感じた。
 すると、冷気を感じたはずなのに、体が急に熱くなっていく。
「はぁっ、はぁっ」
 体が熱くて、何度か目が覚めたかもしれない。
 熱が出ていても、夜だから寝ていればマシになるだろうと思い、朝日が昇るまで、私は布団の中でじっとしていた……



「お、おい……お前、麻由美……だよな……?」
 カレの声が聞こえる。私より先に起きたようだった。
「ん……なぁに?」
 私は目を擦って、腰を起こした。気のせいか、目を擦ると、顔がふわふわした。
「麻由美だよな?」
「ん? そうだよ、朝からどうしたの? ふぁ~」
 私はまだ眠くて、大きく欠伸をしてからカレの方を向いた。
 すると、カレの表情が強張っていた。
 一体何に対して表情を強張らせているのか?
「どうしたの?」
「いや、お前……その、体……」
「体?」
 カレに言われて、私は自分の体を見る。


「ん?」
 下を向くと、まず、服から露出している肌にもっさり毛が生えていた
「な、ななな、なにこれ!!
 私は自分で驚いて大きな声を上げてしまった。
「自分でも気づいていなかったのかよ……」
「え、なにこれ……わかんないよ、知らないよ!」
 自分がものすごく毛深くなっていることにかなり精神的ショックを受けた。
 試しに引っ張ってみると痛い。間違いなく自分の体毛だった。
 今までこんな状態になったことがない。一体自分の体はどうしてしまったのか?


「腕だけじゃない。ほ、ほら、鏡……」
 カレは強張った顔のまま、私に手鏡を向ける。カレの表情の原因が自分だったことに気付いて、私はさらに精神的ショックを受けた。
「うそ……」
 鏡に映った私は人間じゃなかった。鏡に映った私は……人の形をしたネコのような姿になっていた。
「なに……これ……」
 私はひどく動揺する。
 なんでこんな姿になってしまったのか?
「お、お前、その、妖怪とか……そういうのなのか?」
 カレは明らかに私を警戒している。


「違うよ! 私は人間だよ!! わかんないの! 何でこんな姿になったのか!!!」
「わ、わかったよ。泣くなよ」
「だってぇ……わかんないもん……えぐっ、えぐっ」
 感情が急激に込み上げてきて、私は泣くしかなかった。

 しばらく泣いて落ち着いた。
 しかし、カレは私が泣いている間、一度も抱き締めようとはしてくれなかった。
「どうしたら戻るんだ?」
「わかんない……」
 絶望が心を侵食していく。本当に何もかもわからない。


 確かにネコはかわいいから好きだった。いろんなグッズも持っている。ネコになりたいと思ったこともある。でも、本当に変身なんてできるはずがない。
 夢であってほしい。あってほしけど、夢じゃないと自分でもわかっている。
「どうしたら……」
「ま、まぁ、麻由美が麻由美の自覚があってよかった。とりあえず、様子を見よう。買い物とか、俺がやるから」
「う、うん。ありがと」
 カレは私に気を使ってそう言ってくれた。


 しかし、ネコ化してしまった私に対して、カレの気持ちは徐々に疎遠になっていってしまった。


「ごめん。俺、やっぱ無理だわ。お前も知っているだろ。俺はネコアレルギーなんだ。別にお前に触っても問題無いみたいだけど、その……ネコ自体が苦手なんだよ……」
 カレは私に対して土下座していた。
「やめてよ。ネコアレルギーなのは知ってるよ。ごめんね、ごめんね。でも、私、和夫しか、和夫しか頼れる人がいないの。こんな姿じゃ病院にも行けないよ! どこかの実験所に捕まって実験台にされちゃうよ! だって私、ネコ……なん……だもん……うえぇ……うえぇーん」
 カレの気持ちが覚めてしまっているのは察している。でも、私にはカレしか頼る人がいない。
「ごめん! 本当にごめん! 今まですごく好きだった。正直、結婚も考えていた。でも、今のお前じゃ無理だ。うちから出て行ってほしい」
「そんなぁ……うわああぁぁぁーん」
 泣くしかない。この世のすべてに対して、私は今、悲しみの色しか持てない。


 何度も、何度も話あった。でも、カレは限界だった。カレは謝り続けた。謝る理由なんてないのに謝り続けた。
 そんなカレを見て、私は同棲していたカレの家を出ていくしかなかった。


 夏が近付いているのに、私はけむくじゃらな体を隠すため、体の露出がないように冬用の衣服を着ざるを得なかった。
「どうしよう……こんなんじゃ、実家にも帰れないよぉ……」
 また泣いてしまう。
 ネコ。本当にネコだった。しっぽもあるし、肉球もあるし、耳は三角に尖っている。
 しかし、完全な猫じゃなかった。人とネコの中間的な姿だった。人間の姿の面影はある。
 不完全。中途半端。本当に妖怪みたいだ。こんなことなら、いっそのこと、完全な猫にしてくれた方がまだマシだ。
「熱い……」
 私は当てもなく町をさまよう。誰にもこの姿を見られないように、人通りのないところを……
 お金はカレがたくさん持たせてくれた。でも、お金があっても誰にも触れられないなら寂しくてたまらない。


 私は町を彷徨う。そして疲れ果て、私は辿り着いた橋の下で意識を失った――

 ――昨日も小学校に行って、今日も小学校に行って、明日も小学校に行く。
 今まで何の変哲もない日常をわたしは過ごしてきた。
 だから、今日も何の変哲のない一日を過ごすのだと、当たり前のようにそう思っていた。
 しかし、小学校に行く前、家の外で飼っている大型犬のケンタを散歩に連れて行こうと玄関を出た瞬間、おか

しな光景を目にした。
 昨日、確かにそこにケンタはいたはずなのに、今見ると消えてしまっていた。


「……お兄さん……誰?」
 代わりに、見知らぬ服を着ていないお兄さんがケンタが付けていたはずの首輪を着て、犬小屋の鎖に繋がれて

いた。
「わんっ! わん!」
 裸のお兄さんはわたしを見るなり、嬉しそうに鳴き声を上げた。
「……??」
 一瞬、わたしは何が何だかわからなかった。


 小学生と言えど、来年から中学校に進学する。子供と言えどもう立派な乙女。
 目の前の状況が常軌を逸しているということは……きっと間違っていないはず。
 裸のお兄さんがうちの犬小屋に繋がれていることはどう考えてもおかしい。
「わん! わんわんおー!」
 お兄さんは無邪気にしっぽを振っていた。


「しっぽ……?」
 そう、お兄さんのお知りにしっぽが生えていた。そのしっぽはケンタのしっぽにとてもよく似ていた。
「あれ……耳……」
 しっぽが生えていることもおかしいが、よく見ると耳もおかしい。
「犬の耳みたい……」
「わんわんわん!」
 お兄さんは四つん這いのままわたしのほうにやってきて、わたしの着ている服の袖に噛み付いた。
「きゃぁっ!?」
 わたしはびっくりして思わず手を引いた。しかし、お兄さんは嬉しそうにしっぽを振り続ける。
 わたしはこの光景をすごく見たことがあるような気がした。


「も、もしかして……ケン……タ……?」
「わおんっ!」
 お兄さんはイエスと言うかのように鳴いた。
 何かがおかしい。おかしいけど、間違いない。このお兄さんはケンタなんだ。ケンタが人間になってしまった

んだ。
 わたしはそう確信した。
「ケンタ、何で急に人間になっちゃったの?」
「わう?」
 ケンタはそんなことどうでもいいから早く散歩に行こうよと言いたいかのように、わたしの袖に再び噛み付いた。
「だ、ダメだよ! そんな格好じゃお散歩行けないよ! 犬に戻って!」
「くぅん……」
 ケンタの耳が悲しそうに垂れる。


 散歩に連れて行ってあげたい気持ちは山々だが、やはり、裸の人間の格好で連れまわすのはおかしい。
「うーん……」
 わたしは困った。
「わうわう、ハッハッハッ!
「きゃ、きゃぁ! あはっ、やめてっ! くすぐったいってば!」
 ケンタが我慢できなくなったのか、わたしに飛び掛かって舐めてきた。


 カチャリ


「あ、お母さん! あのね、ケンタがにんげ――」
「へ、変態……変態よ! け、警察を! お父さん! 和美が、和美が!!
 お母さんは大慌て。そりゃそうだ、わたしだってビックリしたんだから。
 すると、お父さんが慌てて出てきた。
「お、お前、な、なんだ! うちの娘に!!!」
 お父さんはそう言うと、近くにあったゴルフバットでケンタを叩き始めた。


「きゃぅん! キャンキャン!」
 ケンタが痛そうな声を上げる。
「や、やめて! やめてよお父さん! この人はケンタだよ!」
「どきなさい、和美。そんなわけないだろ! 全く最近の若者は何を考えているんだ」


 ピーポーパーポー ピーポーパーポー


 聞き覚えのあるサイレンが聞こえてきて、わたしの家の前に止まった。パトカーだ。
 中から警察の人が出てきて、ケンタをみんなで捕まえる。
「ガルルルル」
 ケンタは怖がって歯を剥き出しにして威嚇している。
「な、何だこいつは!?」
「ガウ!! ガウワウ!!」
 ケンタは警戒して威嚇する。しかし、警察の人は無理やりケンタをパトカーの中に連れて行く。
「ケ、ケンタ……ケンタぁー!! お父さん、何で警察の人がケンタ捕まえちゃうの? ケンタ何か悪いことしたの?」
「和美、まだそんなこと言っているのか? あれはケンタなんかじゃない」
「ケンタだよ! ほら見て! しっぽだってあるし!」
「どこにしっぽなんてあるんだ?」
「どこって……あ、あれ……?」
 ケンタにあったはずのしっぽが消えていた。耳も人間の耳になっている。


「で、でも! あれはケンタなの、ケンタなんだよ!」
「……。和美。家に入ろう。あとは警察に任せなさい」
「嫌だ! ケンタどうなっちゃうの? ねぇ、ケンタ! ケンタ―!」
「わぅぅぅー! わおぉぉぉぉぉーん!!」
 ケンタはパトカーに乗せられた。パトカーはそのまま家を去っていく。
 パトカーが去っていく最中、ケンタはずっと鳴き続けた。
 わたしにはその悲しい鳴き声が聞こえていた。
 
 その後、ケンタは帰ってこなかった。
 二度と――