「えっ」
「ほれほれ」
「うわわぁっ!」
首周りにもさぁっとした毛の感触があった。毛の塊を首に押し付けられているみたいだ。しかし、それは次第にスピードを増し、これは……こそ……ばゆい……
「あはは、や、やめっ! あははは」
「ダーメっ! 約束破ったから! ほれほれ、くすぐり地獄じゃ~!」
「あははは、ちょっと、ほんとに、これは、あははは、くすぐったい、あははは」
おそらく、シッポなのだろう。毛玉が首をくすぐって、僕は笑わされることしかできなかった。
「はぁ……はぁ……」
「どうだ、思い知ったか! あたしを怒らせると怖いよ。ニシシ」
僕はしばらくくすぐりの刑を受けた。日和はしてやったりの声で愉快そうに笑う。
「思い知りました……そろそろ頭が重いんですけど」
日和はいつでもくすぐり攻撃を仕掛けられるように、まだ僕の頭にしがみついている。
「しょうがないなぁー、降りてあげよう。あたしもこの体勢ちょっち疲れたわ」
ストっという着地音と共に、頭が軽くなった。
日和は僕の後方に着地した。
僕は自然に音のした方を振り返る。
そこには――
「うえー、髪染めたところがやっぱり、変身してもそのままだ」
――小柄な耳の大きな動物がいた。
「あ、アキ、あたし見てる? えへへ、この姿では始めまして。動物姿の狐塚日和です」
薄暗くてハッキリとはわからないが、シッポが右へ左へとブンブン揺れているようだった。
「あ、暗くてよく見えないか」
日和はそう言うと、前足を使って、赤い軌跡を自分の周りに描き始めた。
ぼぅっと怪しげな光の中で、今の日和の姿が映し出される。
「日和……?」
「うん?」
日和は僕の言葉に首を傾けた。
本物だった。目の前にいる小動物は日和が変身した姿なのだ。
「本当に変身できるんだ……」
「そうよ、本当でしょ。あたしが見せたんだから、アキも変身してよ」
日和はそう言って、ビシッと前足で僕のを指した。
「……できない。変身なんかしたことないよ」
日和は言う。僕は変身できるはずだと。わからない。僕は変身したことがない。
「……」
僕が返事を返すと、日和は無言になって何か考えている様子だった。シッポの動きもぴたりと止まっていた。
「変だなー、変身できると思うのになー。アキは特殊なケースなのかな」
ブツブツ何か呟いている。
「……」
僕は動物姿の日和と対面して、視線に迷った。
気になることは気になる。しかし、後ろに着ていたものはすべて脱げているし、そう考えてみると今の日和は、その……
「か、考えるな」
自分自身に言い聞かせる。また鼻血が出そうになった。
「まぁ、いっか。あたしら、もう友達だもんね! これからアキの謎をじっくり紐解いていくことにしましょ」
開き直った日和はそう言って、四つ足でトコトコこちらに向かって来た。
「そろそろ人間に戻らなきゃ。集合時間に遅れちゃいそう」
日和はそう言って、僕の足元を通過する。近くで見ると、本当に小さかった。
人間が小動物になるなんて、質量保存の法則はどうなっているんだ? とかいろいろ考えてしまう。
「アキ。今度は見ちゃダメ。後ろ向いてて。動物姿は別にいいんだけど、人の姿で全裸っていうのはね……あたしも年頃の女の子だし、たはは。あ、それともアキはあたしの裸に興味あるぅー?」
「なっ……な、無いよ!」
鼻に温かい気配がした。
「ちぇっー。あたし、こう見えてもこのバディ、すごいんだから!」
どこかで聞いたことがあるようなセリフを動物姿でポーズ取りながら言う。
ちょっと面白かった。
「ほら、後ろ向く! 見たら警察に突き出すからね」
「そんな無茶苦茶な……」
無茶振りが多い日和。しかし、僕は惹かれ始めていた。
「ん……はぁ……はぁ……」
後方から日和の甘い吐息が聞こえる。
声を聞いているだけでも鼻血が出そうだった。
「すぅー……はぁー……ふしゅー……んんっ」
「……」
邪な事は考えてはいけない。
僕はしばらく、本能と孤独な闘いを強いられた。
「あんがーっと」
しばらくして、ぴとっと背中に柔らかなものがくっついてきた。
いいニオイがする。でもちょっと汗臭い。
「日和?」
「戻ろう、遅れたらヤバいよ。あたし、お金そんなに持ってきてないし」
僕が聞くと、日和はすぐにそう言って離れた。
「う、うん……」
小悪魔・日和。僕は心の中で彼女をこっそりそう命名した。
二人で洞窟を抜ける。
外は真夏の海と太陽が煌々としていた。
「行こ。抜け駆けしたってみんなに思われちゃう」
「う、うん」
日和はそう言いつつも、顔ははにかんでいた。
二人で宿泊所に向かいながら話をする。
「日和が何の動物に変身したのかイマイチわからなかったなぁ……」
「えぇー! 嘘! もう、しっかり見ててよ!」
「耳が大きいのはわかったけど……」
「うんうん、当ててみて」
「耳が大きいから……ウサギ?」
「ブー」
「うーん、他にいたかな」
「いるよ、いるよ」
「うーん……耳が大きな動物……ゾウ?」
「阿呆!」
日和に頭上平手チョップを喰らった。
その後、いろいろ動物の名前をあげたが、一つだけ「惜しい」と言われて全部外した。
「ギブ」
「くすぐりの刑決定」
「……。わかった、くすぐりの刑受けるから、何の動物に変身してたのか教えてよ」
「んー……」
日和は人差し指を唇に当てて、考えている仕種をした。
「フェネック」
「えっ?」
「フェネック」
「フェネック?」
「そう、フェネック」
「フェネック……?」
「ちぇっ、知らないか。かわいいのに……」
「ご、ごめん」
初めて聞く言葉だった。僕はズボンからケータイを取り出して早速、ネットで検索してみた。
「……」
日和が無言で見つめてくる。
ネットでは小柄の狐の画像が無数にヒットした。
「これがフェネック……かわいい……」
「でしょでしょ! あたしもああいうかわいい姿になれるんだよ!」
日和は喜ぶ。
「日和も……かわいいよ……」
「うん?」
「な、なんでもない」
なんでもない。
ネットで調べているとフェネックは日本には分布していない哺乳類のようだ。どおりで聞いたことが無いはず。
ここでふと疑問が生じた。
『日本に分布しないはずのフェネックの姿に日本人である日和がどうして変身できるのか?』
それは一つの謎。それは一つの矛盾。
「……」
実は生まれは海外なのだろうか?
「日和って実は海外で生まれてたりする?」
「うん? 海外なんて行ったことないよ。生粋の日本人だよ。どうしたの急に?」
「いや、特に深い意味はないけど……フェネックは日本にいないのに、何で日和が変身できるのかなーって」
「うん、それ、あたしも思ってた。でも今のところわかんない」
日和も気付いていたらしい。本人もわからないとなると、ますます謎だ。
歩きながらネットで検索していると、気になる言葉を発見した。
『テレポーテーション・アニマル』
テレポーティング・アニマル、テレポート・アニマルとも呼ばれる。これは例えば、オーストラリアにしか分布していないカンガルーが日本の山奥で多数目撃されるなど、本来の分布域ではない場所で動物が突然目撃される超常現象だ。
様々な説が唱えられているが、動物園なり、ペットなり、人為的にその動物を他の場所に移動させたという説が有力。
しかし、僕は思った。
もしかしたら、その中には、日和のように動物に変身することができる人々が目撃されてしまった例もあるのではないかと……