「劇、見に行く人ー!」
 日和がやおよろずのメンバーに元気よく尋ねる。
 しかし、人込みにもまれたメンバーは少し疲れ気味のようだった。
「んむー、あたしとアキだけか……」
 日和はどうしようか悩んでいる様子だった。


「二人で行って来れば?」
 徹夫がサクッと言い放った。
「お熱いねー、お二人さん」
 彩音がニヤリとして笑う。
「もっとも、どこかの幼馴染みさんが反対しちゃうかもしれないけど?」
「はぁ? そんなんじゃねーし!」
 彩音の挑発にハルは反発した。
「だそうだけど」
 彩音がハルを見てクスリと笑う。
 どういう意図かはわからないが、日和と二人で見に行けということらしい。


「日和、行く?」
「……うん!」
 僕が再確認すると、日和は少し迷ったような顔をした後、首を縦に振った。



 ケモノに扮した人々が溢れる中、僕と日和は舞台へと向かう。
 この町の伝承を劇化した舞台は多数あり、それぞれの場所で異なるものが演劇されているとの日和情報。
 日和を誘ったものの……僕はこの祭りは初めてだったことを思い出し……
 結局、日和にエスコートされる形で、会場フタッフにパンフレットをもらい、お勧めの舞台を見に行くことになった。
「好きなの、こういうの」
「えっ?」
「自分が動物に変身できるっていうこともあるけど、そういう話」
 ビックリした。イキナリ好きと言われてドキマギしてしまった。
 僕は心を落ち着かせるために、屋台の方を見た。


「そ、そうなんだ」
「うん。変身ってなんか神秘的で妖艶な感じするでしょ。みんな、絶対できないと思っている。架空の世界の出来事だって」
「確かに、日和と会うまでは僕も信じなかったなぁ……」
 僕がこういうと、日和のシッポがそうでしょと言いたげにぴくっと反応した。
「この手の話は恋愛ものが多い。でもね、大抵は悲恋で終わっちゃうの。どうしてかわかる?」
 日和が試すように僕の方を見た。
「やっぱり人間と違うから……?」
「半分正解、半分外れかな」
 日和の耳がパタパタ動いた。


「恋愛をしている当人同士はお互いに結ばれることを望んでいるから問題ないんだよ。問題があるのはその周り。二人はよくても、人外は周りの人間に反対されちゃうの」
 ふと日和が暗い顔をしたような気がした。
「だったら、僕は……周りに理解してもらえるように動きたい……」
「うふふ、アキはまじめだねー。みんなそうなってくれるといいんだけど。でもね、これは難しい問題なの。人間に置き換えるとよくわかる。例えばさ、アキに息子ができて、息子の付き合っている人が男性だったら、アキは受け入れてくれる?」
「そ、それは……」
 あまり考えたくない光景だった。
「でしょ。反対したくなっちゃうでしょ。それと一緒なんだよ」
「……」


 日和の言うとおりかもしれない。人間同士でも難しいなら、動物ならなおさら難しいだろう。
 最近、動物と結婚するというケースをニュースか何かで見た気がするが、それは周りから奇異的な目で見られることは想像に難くない。
「……」
 僕はこの話をどう続けていいのかわからなくなり、黙ってしまった。
「うふふ、そんな真面目に考え込まなくてもいいよ。動物に変身できるけど、あたし達は結局のところ、人間なんだから。人間同士じゃないと、赤ちゃんできないでしょ?」
 日和の言う事は最もだった。
 やおよろずのメンバー達はみんな、人間同士の親から生まれている。
「そうだ、みんな人間……」
 そう、みんな人間だった。ただ、何故か動物に変身できると言う能力を持ち合わせているだけ。


「アキは自分の赤ちゃんが生まれたら付けたい名前ってある?」
「え……考えた事無いなぁ」
「あたしはね、もう決めているの」
 日和はそう言って嬉しくなったのか、くるりと回転した。
「何て言う名前?」
「知りたい?」
「……」
 日和は悪戯な笑みを浮かべる。
「日和から話を振っておいて、教えてくれないのはズルイだろう」
 僕は抗議した。
「あはは、それもそうだね」
 日和の耳とシッポが楽しそうに揺れた。


「女の子の場合はね、芽笑(めえ)。たくさんの〝笑顔〟が〝芽吹く〟ようにって願いなの。男の子の場合はね、冴太郎(こたろう)。日本人らしい名前に、やっぱり男の子だから、物事に〝冴えて〟ほしいっていう願いが込められているの」
 日和の口頭だけじゃどういう漢字を書くのかわからなかったので、ケータイに漢字を打ってもらった。
「いい名前だね」
「でしょー! 気に入っているんだ。それで、アキは?」
「僕は……やっぱりそうすぐに思い付かないや」
「それもそうだね」
 日和のシッポがご機嫌そうにブンブン揺れた。日和のシッポが元気良く動くのを見た子供がビックリした顔をしていた。
 自分の子供……恋人さえいない現状からすると、遠い未来のこととしか思えない。
 しかし、そういう希望を持って生きるのは大切なことだ。
 僕らはしばらく、不確定な未来の話をしながら舞台へと歩いて行った。


 やおよろずのメンバーで尾天祭り会場にやって来た。
 全国から観光客がやってくるというだけあって、人だかりがすごい。
 それにしても動物に扮した人が多い。
 ケモ耳クラスのコスプレイヤーの割合が最も多いが、中には本格的に動物やキャラになりきっ
ている人もいる。
 ペット連れも多い。
 ネットではケモナー祭りと称されていた。
 そのためか、イベントや屋台もアニマルチックになっている。

「す、すごい……ケモノ……」
 僕は予想以上のケモ度に驚いた。
「でしょでしょ。この祭りは尾天市の伝承になぞらえた動物に変身する人々のためのお祭りだか
らね! あたしもウズウズしてマズル出てきちゃいそう」
 日和がはしゃいでいるのがよくわかる。そのうち、勢いで本当に変身してしまいそうだ……
「こういうところに来ると……暴れたくなっちゃう……」
 ゾウに変身できる愛子が意味深な発言をする。
「うーん、先がよく見えない。首を伸ばしたら見えるかな」
 アルパカに変身できるツバキが意味深な発言をする。
「ふぎゃぁっ! おう、おめぇ、俺のシッポを踏むなよ。痛ぇだろ!!」
 シッポを垂らしながら歩いている徹夫が意味深な発言をして、シッポを踏んだ人に絡む。
 絡まれた人は何故絡まれたのかよくわからないという顔をしていたが、徹夫の形相に圧されて
謝っていた。

「こういう所に来ると、狩りたくなるのよね、柔い男の子達を……ふふふ」
 彩音はいろんな意味でアブナイ発言をしていた。
「あ、ウサギのコスプレの人がいる! 親近感が湧くなぁ」
 ユイが自分が変身できる動物と同じ着ぐるみに興味を示していた。
「お、イタチをペットにしているとは珍しいな……ちょっと気持ちは複雑」
 ハルは変身した後の姿と同じ、ペットのイタチに喜びと悲しみの感情を抱いているようだった

「今日は……絞ってきたから……大丈夫……」
 シズはぼそっと言わなくていい情報を呟いていた。
 周りの雰囲気に呑まれながら、僕達は尾天祭りの会場を散策した。



「どおどお、アキ? 楽しい?」
 歩き疲れて、休憩スペースで少し休憩。ちゃかり人に当てられてしまった。
 日和がウキウキした様子で聞いてくる。
「うん。人込みにちょっと疲れたけど、楽しいよ。こんなにケモノらしい祭りだとは知らなかっ
たよ」
 おそらく、日和と出会うことがなければ、この祭りに来ることもなかったかもしれない。
 日和と出会うまでは、ケモノ自体にほとんど興味がなかったから。
「でしょでしょ! あたし、一年の中でこの祭りが一番楽しみなんだ!」
 日和は耳をピコピコ動かして嬉しそうに笑った。
 最近は脳波で動くケモ耳カチューシャなるものが売られているので、日和のそれもうまく誤魔
化せているようだ。

「シッポはデリケートな部分だから踏んだり引っ張るなっつってるのによぉ、最近のガキどもは
……」
 徹夫が怖い顔に似合わず、そんなことを言いながら、優しく自分のシッポを撫でていた。
 そのギャップに僕はこっそり笑ってしまった。
 徹夫に笑ったのが知られると怒られる。
「ステーキ……おいしい……」
 共食いだった。シズが満足そうな笑みを浮かべながら、屋台で売られていた牛肉を食っている

 やおよろずのメンバーはこういう点で、淡白なところがある。自分の変身できる動物に興味は
あるが、自分は人間、動物は動物と、ちゃんと線引きをしているようだった。だから、無意味に
ウシを食べないで!とか訴えかけるようなこともしない。
 メンバーの話を聞くと、子供の頃に何らかのきっかけで動物に変身できるようになったが、そ
れまでは普通の人として暮らしてきたのだという。そういう経緯も今の人格形成に影響があった
のかもしれない。

「あたしにとってはね、この祭りは取材対象でもあるの」
 日和がケモケモしい人通りを眺めながら言った。
「取材?」
「そう、この祭りにはこの町の不思議な伝承を演劇化したショーがたくさん催されているの。あ
たしにとってそれを見ることは、創作のいい刺激になるんだ」
 そうだった、日和はこの町の伝承を元にした物語を書いている。
「アキは読んだことある? この町に伝わる動物に変身する人達の昔話」
「ううん、ない」
「むむっ、それは残念……まぁ、いろんな本にちょこっと書かれているだけだから見付けにくい
かもね」
 日和のシッポがしょぼくれた。やおよろずのメンバーが変身した時の感情は体にも出てくるの
でわかりやすい。

「あたしは動物に変身する人達の話を集めて、参考に書いて、いつか本を出したいなぁー」
「でも古語?」
「いえす! メジャーじゃなくていいの。好きな人が読んでくれたらいいかな、コアな人向けの
本。てへへ」
 日和が照れ笑いをする。
「それじゃあ、見に行こうよ。僕も人酔いが冷めてきたし」
「……うん!」
 日和が嬉しそうに頷いた。
 ――シャラン

 ――シャラン

 秋の到来を告げる、鈴の音が鳴り響く。
 獣達は人に近付いた姿に変え、人々は獣に近付いた姿に変え、八百万の神々を迎えたもう。
『尾天』は古来より、すべての生命が等しくなる場所。
 祭りの際は、弱肉強食の垣根を越え、共に生きることの喜びを分かち合う。
 さぁ、因縁の渦巻く常世の姿を変え、共に杯を交わそうぞ。

 ――シャラン

 ――シャラン

『尾天祭り』が始まった。
 市内で一番大きな規模の初秋祭りだ。
 僕は尾天市に住んでいるが、少し遠出をしなければならないため、今までこの祭りに足を運んだことはなかった。
 しかし、一人暮らしを始めた今、立地的に祭り会場は近い。
 日和に誘われ、やおよろずのメンバーで祭りに参加することになった。



 祭り当日、僕達は部室で集合して祭りに参加することになった。
「こんちはー」
「お、来たな、アキ」
 部室に入ってイキナリ目に入ったのは狼男だった。
「うわあああぁぁああああー!」
「またセオリーな…いい加減そろそろ慣れろよ。本気で噛み付くぞ」
「はぁ……はぁ……徹夫さん……インパクトあり過ぎですって……」
「ん? そうか? 一応、服は着ているんだけどな」
「いや、服以前に、体全体けむくじゃらじゃないですか……」
 世にいうヒトの形をまとまった狼の姿。映画のCGでよく用いられる典型的な狼男だ。
「も、もしかして、その姿のまま祭りに行くんですか?」
「おうよ」
「ダ、ダメですって! 目立ち過ぎます!」

 僕は慌てて徹夫に変身しないで行くように説得を試みた。
「いくらケモノに仮装している人が多いからって、徹夫さんの姿はデカいし、目立ち過ぎます」
「そうか? でも、半獣化しているのは俺だけじゃないぜ」
「あっ……」
 徹夫が鋭い爪で指し示す先には、半獣化したやおよろずのメンバーが他にもいた。
 ユイはウサギ、ハルはイタチ。
 メンズはみんな半獣化していた。
「えっ……そんな格好で大丈夫な祭りなの……?」
 みんなケモケモしい。

「うん、着ぐるみの人もボディペイントの人も多いから大丈夫だと思う。むしろ、これくらい変身してた方が大学の面子にバレないらかね」
 ユイはそうって、長い耳をぴくぴく動かした。
「アキ、まぁ、そんな心配すんなって、これを見てみろよ」
 ハルが部室に置いているタッチPCを起動して、動画サイトを検索した。
 タッチPCに映し出された映像は去年の尾天祭りの様子だった。
「これが……尾天祭り……」

 話には聞いていたが、ちゃんと見たことはなかった。
 それはまさにケモノイベントとも呼べる予想以上にケモ度の高い祭りだった。
 もちろん、一般客もいる。
 しかし、その多くがケモ耳のカチューシャを頭に付けていたり、シッポのアクセサリーを腰に携えている。
 着ぐるみも犬猫から始まりドラゴンといったものまでいろんなケモノの形態があった。
 動物のボディペイントをしている人達はなかなか露出度が高くセクシーだ。
 一言で言って、カオスだった。
 この中に半獣化したメンバーがうまく紛れることができるだろうか?

「……」
 否。僕はそう思った。
「いや……紛れ込めない……確かに着ぐるみに近い形態だけど、みんな目や耳やシッポが自由に動き過ぎるし……」
 しかし、三人は半獣化した姿で祭りに出る気満々だった。
 どうしたらいい?
 完全獣化ではそれはそれで問題があるし、一番良いのは人間の姿だけど、それじゃ満足しそうにないし……
「少し遅くなりましたー!」
 僕が考えている後ろから元気な日和の声がした。
「……!!」
 振り返ると、日和だけではなかった。
 やおよろず女子ズは夏祭りらしい浴衣姿になっていた。

「ん?」
 が、見上げるにつれて何かがおかしい。
 もふっ。てかっ。ごつっ……
 女子ズもみんな半獣化していた。
「日和……その姿はマズイよ、耳が大き過ぎる」
「えー、そうかなー」
「愛子は鼻が伸び過ぎ、耳も大き過ぎ、着ぐるみの域を出ている」
「う~鼻が伸びるのはどうしても」
「彩音さんは……ヒョウ柄好きでも服来てください。捕まります」
「えー、毛で覆われて見えないならいいじゃんさー。着ぐるみだって服来てないし」
 彩音は浴衣さえ着ていなかった。
「ダメです」
「引っ掻くよ」
「脅しても警察の方が強いです」
「くっ……真人間め……」
「ハヤセは……毛が生えていないのがおかしい。着ぐるみにさえ見えない」
「だってアシカだもん」
「シズは……お、おっぱ……張り過ぎ……」
「……だって……伸びるんだもん……」
 半獣化だけでもいろいろ問題があった。

「全員、半獣化N・Gです! もっと獣化度低くしてくださあああああい!!」
 僕は何故かみんなに向かって叫んでいた。
 ビックリしたりして、気が強くなっていたのかもしれない。
 やおよろずのメンバーにはぶーぶー抗議されたが、僕は正論を唱え続けた。
「アキがそこまで言うなら仕方がない。これで勘弁しといてあげよう。去年はあのまま行ったのにねー、ハル」
「そうだな……まぁ、こういう姿もたまには悪くないか」
 結局、メンバーは耳シッポレベルで収めてくれた。
「ははん、実はあたし達のこういう姿を見たかったんでしょ? 男の子は耳シッポレベルが一番好きだもんね。ウケも良いみたいだし」
「ち、違うし……」
「ふーん、顔真っ赤だけど?」
「か、からかうなよ、日和」
 浴衣+ケモ耳+ケモシッポの女の子。確かにこれはくるものがある。

「女はいいとしても、男は誰得なのか……」
 徹夫が言う。
 いや、意外にケモ耳シッポ男子は腐女子とかにはウケそうな気がする。
「よしよし、それじゃ、みんな行こうよ! 祭りはもう始まっているよ!」
 浴衣を揺らし、耳とシッポをぴくぴく動かしながら、日和が言った。
「……可愛い」
「ん? アキ、何か言った?」
「な、何でもない。は、早く行こう。僕は初めてなんだ」
「そっかー! それじゃ楽しいこといーっぱい教えてあ・げ・る」
 日和が小悪魔的に微笑む。
 耳シッポレベルは……悪くないかもしれない。


「あ、あのさ……嘘だと思われるかもしんねぇけど、俺さ……昨日、学内でゾウ見たんだわ」
「嘘だな」
「ああ、嘘だ」
「嘘だろ?」
「嘘に違いない」
「……。くっそ。わかってたけど。わかってたけど、この反応はヒドイ。泣けるううぅぅぅ
 これはマズイ……僕がいつも一緒にいるグループでゾウの目撃情報を話す子がいた。


 彼の言ってることは真実だ。この大学にはゾウに変身できる女の子がいる。
 しかし、ここはみんなのノリに合わせて否定させてもらう。
 ゾウを見たという彼の話を誰も信じなくて助かった。
 学内で愛子を見かけたら報告しておかないと……


 僕は今日の全講義終了後、やおよろずに寄ってみた。
 しかし、やおよろずには愛子はいなかった。
「あっ、アキだ」
 やおよろずに入ると、日和がパソコンを触っていた。なんでも、家でパソコンを繋ぎ過ぎると親に怒られるからという理由で、日和は部室にいることが多い。これはいいのか?
「愛子は見てない?」
「ううん、見てないよ。どうして?」
「いやさ、僕のいつも一緒にいる面子が、学内でゾウを見たって言うんだ」
「あちゃー、愛子ちゃんがゾウになったところ、誰かに見られちゃったか……」


 僕以外のやおよろずのメンバーは一日に一回は動物に変身する性質を持っている。
 我慢しようと思えば、数日は我慢することはできるが、体がムズムズしてくるらしい。
 やおよろずのメンバーの中では、愛子が一番苦労している。
 学内に彼女の変身場所があまりないのだ。
 部室はゾウに変身するには少し狭い。かと言って、外は外でどこに誰がいるかわからない。
 また、最近は防犯対策として各教室に監視カメラが付けられている。
 これはやおよろずのメンバーにとっては迷惑な話だった。


「ゾウは大きいもんね……うーん」
「今まではどうしてたの?」
「愛子ちゃんに聞いた話によると、起きてすぐ変身してから学校に来るって言ってたなぁ。でも愛子ちゃんの変身はゆっくりだから、一限は遅れること多々あるって」
 日和が言うように、個人によって動物に変身するスピードに差があるようだった。
「また愛子に会ったら言っておいてよ」
「了解、了解~」
 日和の影響もあり、僕らやおよろずのメンバーは、自然と下の名前で呼び合うようになっていた。
「今は何してたの? また獣化系のネットサーフィン?」
「ぶぶー! アキさん、ハズレ! 今はね、物語書いているの」
「物語?」
 日和が物語を書いているという話を聞くのは初めてだった。


「今までは書いたことなんてなかったけど、最近、イメージが膨らみ過ぎちゃって、てへへ」
 日和は何故か少し照れた。
「どういう話? 僕も本は読む方なんだけど……」
「ダメダメ! 恥ずかしいからまだ誰にも見せないよ!」
「あはは、まだ見ないよ。良かったら、できたら見せて」
「おお、イキナリファンができてしまったたい……アキは知ってる? 尾天市はね、昔から人が動物に変身する逸話が多く伝えられいる町なの」
「聞いたことあるような……確かに、そういう話のついた土産とかあるな」
「そうそう。尾天市は魑魅魍魎が蔓延っていたとされる時代、日本の過去の都である奈良・大阪・京都にまたがる町。妖怪ものでよく話題が取り上げられる場所でもあるの」
「へぇー、そうなんだ」
「不思議だよね。昔からそういう話が残っていて。現代にあたし達のような存在がこの町に住んでいて。無縁には思えない。だからね、昔の人の残した話を題材にして、この町の物語を書いてみようかな~って。名付けて『尾天書紀』!」
「すごいね。そして、名前が昔っぽい」
「ふふー、最終的には古語で書こうと思うんだ」
「古語だと読めない人多いよ」
「いいの。あたしがやりたいから。自分でやりたいことは、自分でつくるのだ!」
 果たして、僕は日和の物語を理解するすることができるだろうか……


「そう言えば、そろそろ『尾天祭り』があるね」
「あー、そう言えばそうだね」
 尾天祭りは尾天市で行われる最大規模の祭りだ。全国からもこの祭りに参加しに来る人がいる。
 中でも人気なのは、さっき日和が言ったような動物に変身する人間をモチーフにした仮装行列だ。
 着ぐるみ、ボディペイントを始めとして、様々な人が様々な格好で動物に扮する祭りでもある。
 いわゆるケモナーが集まる祭りだ。


 しかし、この祭りは由緒正しく、もう数百年も続いているらしい。
「楽しみだなぁー、この祭りの間はね、半獣化くらいまでは自由に変身できるんだ。さすがに動物の形態になっちゃうと怖がられるけど」
「ん? どういうこと?」
「みんな動物に仮装しているから、耳シッポレベルやもうちょっと獣化した獣人みたいな格好になっても目立たないの」
「そ、そうなんだ」
 日和の口ぶりからすると、すでに経験済みのようだ。


「今年はさ、やおよろずのメンバーで行こうと思ってるんだ。アキも行くよね?」
「うん、いいよ」
 このメンバーで祭りに行くのは楽しそうだ。いろいろ危ないこともありそうだけれど。
「よしよし! 他のメンバーにも聞いてみよう」


 また一つ重ねられていく日和と、このメンバー達との想い出。
 僕はこの祭りで知ることになる。
 日和が動物に変身する人達を集めている、本当の理由を――

「今日は部室開いているかな?」
 僕は次の講義まで暇が出来たので、『やおよろず』にやってきた。
 部室のノブを回す。するとあっさり開いた。
「う、うわあぁぁぁぁー!」
 ドアを開けて僕は叫び声を出してしまった。
「何、驚いているのよ。もう三回目。そんなに私が怖い?」
 そう言ってきたのはヒョウだった。
「はぁ……はぁ……す、すみません。で、でも、ヒョウの姿の彩音さんがイキナリ目に入ると、やっぱりビックリしてしまいます……」
「ショックだわ~」
 彩音はそう言って、シッポを左右に振った。


「……」
「アキ。入るなら早く入って。誰かに中、覗かれるでしょ」
「あ、すみません」
 僕は彩音に催促されて部室に入った。
「彩音さん、一つ質問していいですか?」
「何?」
 彩音の目がギラリと光る。変な質問をしてしまったら、鋭い爪で襲われかねない。
「何で服を着たまま変身しているんですか?」
 そう、彩音の体はヒョウに変身しているものの、衣服を身に付けていた。
「ああ、これは、バイトがもうじきあるから。イチイチ変身する度に脱いだり着たりするの面倒でしょ。ただでさえ暑いのに、余計な動きはしたくないの」
「そういう理由……」
 それだったら、変身しなきゃいいのに……と思ったが、これは禁句と思われる。


「彩音ちゃんはいいなぁー、変身しても服がそのまま着れるから。あたしは絶対小さくなっちゃうからそういうことできないよー」
 彩音の後ろから日和の声がした。
 僕が声をした方を覗くと、フェネック姿の日和がお座りしていた。
「ども! アキ!」
「どもども、日和」
 日和の隣には細長い生き物がいた。
 日和の幼馴染みのハルがイタチ姿になっていた。
 その隣にもう一つ丸っこい影が……ウサギ姿のユイだった。
「あ、ハルにユイも。三人で何をしているの?」
「ふっふっふ……見て驚くな、アキよ。ついに、ついに買ってしまったのだ、これを!」
 日和はそう言って、体と同じくらいの薄くて四角い機械を僕に見せた。


「そ、それは、タッチPC!!」
「えへー、今月のお小遣いなくなちゃったよ」
 日和が前からほしいと言っていたタッチ式の薄型パソコンだ。
「でもこれいいよ! すごいすごい。変身してもパソコン見れるんだ♪」
 日和がそう言って、前足でタッチしてパソコンを操作しているところを見せてくる。
「いいなぁ、これ。ボクも欲しくなったよ。ウサギになると何もできないからねー」
 ユイがそう言って、羨望の眼差しで日和のタッチPCを見ていた。
「確かにこれはすごいな。触るだけで画面が操作できるとか。マウスやキーボードいらず」
 イタチになったハルが器用に腕を組んで感心している。
 小さな三匹……三人が自分達と同じ大きさのPCに夢中になっている様子は何だか微笑ましかった。
「あ、アキ。牛乳欲しかったら勝手に飲んでね。今朝も足しておいたから」
「……」
 僕は変なことを考えてしまわないように努めた。


「それで、日和達はタッチPCで何をしているの?」
「ん? ネットサーフィン」
 現代っ子の答えだった。
「あれ、ここって無線も繋がってたっけ……?」
「繋がってなかったよ~彩音ちゃんに頼んで繋げてもらったんだ」
「日和の頼みは断れないからねー」
「……」
 部室の設備がレベルアップしていた。

 三人で何を見ているのか気になった僕は、日和が操作するタッチPCの画面を眺めてみた。
 日和達が見ていたのは獣化掲示板だった。
「お、アキも見る?」
「あ、いいよ。体避けなくて。上から見えるから」
 日和と同じ目線になるには、床に寝転がるしかない。
 僕は座って上から覗くことにした。
「はぁぁぁぁ~、バイトだるぅぅぅ~」
 しっぽをだらんと垂らした彩音が気だるそうに言った。
「でもそろそろ戻らなきゃ……アキ、こっち見たら引っ掻くから」
「絶対にそっちは見ません!」
 彩音の妖艶な吐息が聞こえてくる。


 しかし、彩音に引っ掻かれるのは怖いので、僕は日和のPCの方に意識を集中した。
「ほんとー、みんなネットの人達は妄想好きだよね」
 日和がおかしそうにクスクス笑う。
「いやー、日和が教えてくれるまでボクもこんな世界があるのを知らなかったよ」
 ユイが興味深々に掲示板を見ている。
「こいつらは俺らみたいな動物に変身できる人間が見ていることを知らないんだな」
 ハルも興味深そうに掲示板を見ている。
「……」


 世の中にはいろんな人がいるものだ。日和と出会うまではケモノ界やTF界という存在さえ知らなかった。
「ねぇねぇ、あたし思ったんだけど、やっぱりあたし達、需要あるよ! 変身するとこ動画撮って投稿とかしてみない?」
「うーん……」
「日和、それはやめておけ」
 ユイが悩んだ顔をして、ハルがきっぱり否定した。
「えー、何でダメなの、ハル。ぶーぶー。みんなが獣化好きなら人気者になれるじゃんー」
「あのな、日和はアイドルになれるとか何かと勘違いしてるだろ」
「えー、違うのー?」
「人間のアイドルと獣化できる人は全く違う。普通の人が見たら気持ち悪いって」
「えー、そうかなー? アキはどう思う?」
「えっ、僕?」
 答えに困る質問だった。
 ハルとユイも見つめてくる。


「ぼ、僕はそう思わないけど……けど、一般人が見たら……中にはそう思う人もいると思う」
「……そっか」
 日和は耳をぺたんと下げて少し寂しげな表情をした。
「よし、メイクも完了! それじゃ、バイト行って来るわ」
「いってらっしゃーい!」
 彩音がヒトの姿に戻って、メイクして部室を出て行った。
「動画……」
「何で日和はそんなことしたいの?」
「うーん、何でだろ……あ、あれかな。反応が欲しいのかも」
「反応が欲しい?」
「だってさ。あたしが普通の人の前で変身するとさ、ほとんどの人は驚いて逃げちゃうか、嫌われちゃうんだもん。だからさ、変わった人達の集まりの中ででも、この能力を羨ましいーとか思ってもらえると、自分はすごいんだーってちょっと嬉しくなっちゃうよね。あたし、どんな人でも、好かれるのは嬉しい」
 純粋な答えだった。


「でもなー、僕もそういう投稿はしてほしくないなぁー、誰が見ているかわからないし。もしかしたらマンガみたいに変身人間を研究している人もいるかもしれないよ」
「は、はは……さすがにそんな人はいないよ……」
「まぁ、冗談だけど」
 男三人の意見で、動画は止めた方がいいという話になった。


「みんな乗り気じゃないのね……」
 日和は少し拗ねた様子だった。
「うぅー、それじゃさ、みんなでサーカスしない? 動物に変身したままで思いっきり暴れられるよ。普通の人に見られてもサーカスなら問題ないし! お金ももらえる! 最高じゃない!」
「誰がサーカスをつくるんだよ」
「ボク……ウサギだし……そんなに運動得意じゃない……」
 日和の提案は却下された。


「それじゃ、マジックはどお? お客さんの前で変身してもマジックだからみんなトリックがあると思うよ!」
「俺は連続的に変身するのは疲れるから嫌だな」
「ボクも変身途中は見られたくないな」
「うむぅ……」
 どうやら日和は変身能力を持った自分達を一般の人達にも見てほしいという考えがあるらしかった。


「ちぇっ。こそこそ変身したくないなぁー。どうにかできないかなぁ……」
「うーん……」
 みんなで考えたが、答えは出なかった。

「ねぇねぇ、知ってる? 最近、大学の周りで〝神隠し〟が起きているらしいよ」
「あ! 聞いた聞いた。でもその神隠しは普通とは違っていて、神隠しに遭った人の服が脱げ落ちているって話だよね」
「そうそう! 何で服だけ脱げ落ちるのかな? 変なところにこだわりがある神隠しだよね」
「そうだね、変なのー」


 構内のコンビニで昼飯をチョイスしていると、女子大生達の噂話が耳に入った。
 気になる話である。
 というのも、ここ最近、謎の失踪事件が全国規模……いや、世界規模で増加しているらしい。
 ニュースでも謎の集団失踪事件を取り扱うところが多くなってきた。
 一言で言って、異常だ。


 一体、何故こんな奇妙な現象が起きるのか、警察も全くのお手上げ状態らしい。
 というのも、警察の方でも、何人か失踪者がいるという話だ。

 角度を変えて、ネットの掲示板を見ていると、様々な意見が飛び交っていた。
 こういう異常事態下で活発化するのはオカルト方面の人達。


 人気があるのは、やはり世界終末論だった。
 マヤ暦が終わるとされる2012年まであと2年。
 それを題材にしたメディアも活発化している。
 ノストラダムスの大予言の時のような空気が再来している。


 しかし、あの時と決定的に違うのは、世界規模で奇妙な現象が実際に起きているという点だ。
 1990年代はインターネットが現代ほど普及していなかった。
 ケータイを持つ人も限られていた。
 カメラや動画を撮ることなんて普通ならなかった。


 しかし、今は違う。
 一人に一つは最低でもケータイを持つ時代。
 そのケータイにはカメラや動画撮影機能が付いている。
 そのおかげか、怪奇現象を撮影した投稿が相次いでいる。
 動画投稿サイトでは、連日、UMAとも思しき新しい奇妙な生き物の投稿が続いている。
 CGで、現実のものと区別が付かないくらいハイクオリティのものが描けるようになった現世。


 怪しい動画は多いが、しかし、本物ぽい動画も確認されていた。


 目の前で他の動物に変身していく人々。
 飼っていたペットが別の動物に変化する瞬間。
 もしくは、野生動物が人間化する現象……


 普通の人が見たら、本物か偽者かわからないだろう。
 僕もかつてはわからなかった。
 しかし、日和を初めとして、やおよろずのメンバーと出会ってから認識が変わった。
 いる。
 動物変身能力がある人々は実在するのだ。

「ん……」
「あ、起きた!」
 頭がくらくらする……倒れてしまったらしい。
 そのことはなんとなく記憶にある。
「アキ、大丈夫? ごめんごめん、刺激が強過ぎたか。てへへ」
 目を覚ました僕の顔を日和が覗きこむ。
 照れ笑い。悪戯大成功という顔だ。


「もう……結局、牛乳は買って来たものだったんでしょ?」
「ん? ううん」
「え?」
「本物だよ、シズちゃんの」
「堪えろ堪えろ……」
 僕は何も考えないようにして鼻を摘まんだ。


 それにしても、さっきから横になっている僕の頭に当たる生温かくて柔らかいこの感触は一体……
 頭を動かしてみた。
「あらあら、大胆ね」
 反転すると股間があった。
「うわああぁぁぁぁ!!」
 僕は驚いて飛びあがって起きた。
「おぉ、素早い!」
 日和が少し驚いた声を出す。
「はぁ……はぁ……な、何で……」
 膝枕されていたのか?


「うふふ、深いことは気にしなくていいのよ。寝てたからちょっと悪戯してみただけ」
 僕が寝ていた方を見ると、金髪の女性が座っていた。体中にヒョウ柄のファーを付け、ゴージャスな感じを醸し出している。
 何故ここに知らない人がいるのかと一瞬疑問に思ったが、すぐに日和の仲間だと思い至った。
「日和、この人も?」
「うん! 2年生の彩音ちゃん。彩音ちゃんはヒョウに変身できるんだ」
「あれ、それじゃそのヒョウ柄の服は……」
「話は日和から聞いているわよ。私は豹津彩音(ひょうつあやね)。よろしく、アキ君。そう、これは私の体毛よ」
「よ、よろしくお願いいたします……」
 このサークルには露出癖で悪戯好き人が多い……


「男子率が上ったのは良い事だ。女子が多くては肩身が狭いぜ」
 男性の声がする。
 声のした方を向くと、ガタイの良い背の高い男性が腕を組んでいた。
「アキ、あたしが学校で見付けた全メンバーを招集したんだ! 紹介するね。今、話した男の人が、狼に変身できる2年生の狼城徹夫(ろうじょうてつお)」
「まぁ、適当によろしく」
 徹夫は体育会系のニオイがした。


「えーっと、こっちから順番に紹介しよっかな。手前から、アシカに変身できる1年の海驢羽(あしかわ)ハヤセちゃん、アルパカに変身できる2年の羊駄島(ぱかじま)ツバキちゃん、ゾウに変身できる1年の象毛愛子(ぞうげあいこちゃん)。女の子全6人。ウサギに変身できる2年の兎池(といけ)ユイ……女の子に見えるけど、男の子だからね。そして、イタチに変身できるあたしの幼馴染みの1年の鼬塚(ゆづか)ハル。アキも含めて男の子4人」
 僕はいつのまにか日和のサークルに加わっていた。


 紹介された人と若干の挨拶を交えながら、顔と名前を覚えようと試みた。
「日和、まだ仲間集めやる気か? そろそろこの部屋も狭いぞ」
 日和の幼馴染みというハルが言った。
「仲間集めは続けるよ。うーん、でも確かにこれ以上は狭いね……まぁ、そん時はまた、彩音ちゃん、お願い」
 日和は彩音にウインクした。
「父さんに媚び売るのも大変なんだよー」
 話を聞くに、彩音の父親はこの大学の教授なんだとか。
 方向性の無いサークルが部屋を持てたのもその関係か。
 それにしても、学年も性別も学部も違うこのメンバーを日和がどうやって集めたのか謎である。


「よし、我がサークルも二桁になったところで、そろそろサークルの名前を決めようと思います。みんなどんな名前がふさわしいか考えて! 日本ぽい名前が良い! 名前はあたしの琴線に触れた人のを採用」
 リーダー日和が提案。みんなで口々に言ってサークル名を考えた。
 僕も一緒になって考えた。


「はい」
「はい、アキさんドウゾ!」
「いろんな学部のいろんな人がいろんな動物に変身できて、なんかいろいろごちゃ混ぜな感じで、日本的だから……『やおよろず』ってのはどう?」
「やおよろず……日本の古代の神々がたくさんいたっていう意味の……イイ……それいいね、アキ!」
 日和は何度かやおよろずと口にした。
「よし、やおよろずが今のところ、あたしの第一候補! 他はない?」
 またしばらく口々にアイデアを出したが、日和の琴線に触れるものは出て来なかった。


「よーし、それじゃあ、あたしのサークルは『やおよろず』にけってーい!!」
 日和が拍手を始め、みんなで拍手する。
 サークル名に採用されたのは、アイデアを出した方としてもなんとなく嬉しい。
「それじゃ、もう夕方だし、今日は解散しよう~、みんな集まってくれてありがとね」
 解散になった。夕方って……僕は二時間くらい気を失っていたことになる。


「日和、帰るか?」
「うん、帰る帰る。ちょっと待ってて」
 ハルが日和を帰りに誘う。幼馴染みだから家の方向が一緒なのかもしれない。
「……」
 日和の幼馴染み。少しショックを受けたのは言い逃れできない。
 みんなが外に出ると、日和が鍵を閉め、みんな各々の方向に帰って行く。
 日和はハルと一緒に自転車に跨っていた。
「それじゃあね、アキ。バイバイ!」
「バイバイ……」
 日和とハルが慣れた感じで会話しながら自転車を漕いでいく様を見送る。
「……」
 僕は一人になった。


「あー、今日はコンビニでいいかな」
 自宅に帰って、適当にテレビを見ていた夜。
 お腹が空いてきたが、自炊したい雰囲気ではなかった。
 コンビニに買い物に行こうと決め、部屋を出た。
「今日はカツ丼~」
 何となくカツ丼を買った。
「今日は満月か」
 夜空を見ながら歩いていると、前方に奇妙な物体が現れた。


「幽……霊……?」
 ソレは宙に浮き、白くぼんやり光を発しながらくねくねと動いている。
 注視すると、ソレは大蛇のようだった。
 かなり大きい。全身が視えると、十メートルくらいあった。
 生き物の幽霊は初めて視た。これまで視てきた幽霊は、生き物とは呼べない、炎のような不定形なものばかりだった。
「!?」
 大蛇の幽霊はあてもなく空中を彷徨いながら、こちらに近付いて来る。
 直感的にアレに近付いてはイケナイような気がした。


「角? なんで?」
 大蛇の幽霊にはが二本生えていた。
「ヤバい……こっちの方に来る」
 僕は自宅に戻るルートを変更して、逃げた。
「きゃあああぁあぁぁぁー!!!」
「えっ……」
 走り出した直後、女性の悲鳴が聞こえて来た。
 角のある大蛇の幽霊に何か悪いことをされたのだろうか……?
 しかし、例えそうであっても、今の僕には女性を助ける術はない。
 空耳かもしれない。
 僕は自分にそう言い聞かせて、遠回りして自宅に帰った。


 何かが変わり始める、そんな予兆を感じながら……

『――次のニュースをお伝えします。昨日、ヨーロッパ全域で謎の怪音が録音されました。地域によって怪音が発生した時間帯や音の種類は異なりますが、この音を聞いた人は大多数にのぼり、インターネット上でも『アポカリックサウンド』ではないかなど、話題になっております。『アポカリックサウンド』とは、聖書などに記される世界の終わりを告げる天使のラッパ音に由来します。
 映像を見ると、確かに奇妙な音が聞こえますが……これは何なのでしょうか?』




『――ニュース速報です。奇妙な集団失踪事件が発生しました。場所はとあるアメリカの田舎の村。村には百人程度の村人が住んでいたそうなのですが、たった一夜で一家族を残したすべての村人が失踪したとの話です。不可解な点は、失踪者達が身に付けていたものと思われる衣類が、それぞれの家の中に落ちているということです。アメリカ当局はこの奇妙な事件の捜索を開始。調査中により、公開情報に規制をかけるとのことです』




『――アフリカで死者が蘇るという動画がインターネットで公開され、話題になっています。投稿者は匿名。場所はアフリカという簡単な記述だけで、信憑性は高くないのですが、まずは映像をご覧ください……
 現地の言葉を日本語訳すると、『20世紀初頭に忽然と行方不明になった50代の女性が当時の姿のまま、当時、女性の家だった場所に現れた』ということです。なお、女性は衣類を身に付けていなかったとのことです』





「最近、変なニュースが多いな……」
 僕は朝ごはんを食べながら見ていたテレビについて呟いた。
「あ、やばい! ゆっくりしている暇は無い。講義に遅れる!」
 僕は朝食の片付けを投げ出して、家を飛び出した。


 あれから日和は、時々、僕の家に遊びに来るようになった。
 曰く、大学に近いから。
 確かに僕の家は徒歩十分もかからずに大学まで行ける。
 聞いたところ、日和は自宅から通って、自転車でだいたい十五分かかるらしい。
 たまに変身して全力で走ってくる時もあるとか……

「ふぅ、ギリギリセーフ。家が近いと危機感も薄いから気を付けないと」
 夏休みが終わり、二学期が始まったがまだ暑い日々。
 家でまったりークーラーに当たっていると危険だ。


 大学の講義スタイルは先生によって千差万別。
 この講義の先生は出席重視。かならず、顔を見て出席確認をする。名前と顔をすぐに覚える能力があるらしい。
 友人が遅れそうだから代わりに返事をするという手は使えない。それをした誰かが、次回、同じ手を使ったら単位はあげられないと警告を受けたのを見た。
 僕は講義に集中することにした。


 講義が終わり、講義室から出てくると、ベンチに座っている日和と遭遇した。
「やっほー、アキ!」
「おはよー、日和」
 大学一年生で少しはこの生活も慣れたとはいえ、人付き合いはまだよそよそしいところが残っているもの。下の名前で呼び合うなんて以ての外だ。
 しかし、日和は自ら誰に対しても下の名前で呼んでほしいと言うので、みんな気軽に下の名前で呼ぶようになった。中には、狐塚という苗字を知らない人さえいた。
「……」
 日和の隣には物静かな雰囲気を醸し出す女の子が座っていた。
 女の子は僕の方をじぃーっと見つめてくる。
「えっと、隣の子は……」
「この子、あたしの仲間なの」
 日和が微笑んだ。


 日和は普段、誰かに知り合いを紹介する時は『友達』と言う。
 しかし、今は『仲間』と言った。
 つまりそれは……
「アキ、ちょっと時間ある?」
「う、うん。次は講義取ってないから」
「場所を変えましょ。そこで紹介するね」
 日和はそう言って、立ち上がり、どこかに向かって歩き始めた。


 日和が向かった先は、サークル棟だった。
 どこのサークルにも所属していない僕は初めて入る。
 日和がサークルをしているという話は聞いたことが無かった。
 日和はサークル棟の一室に鍵を開けて入った。女の子も続き、僕はやや躊躇ったが、一緒に入った。
「あっつーい! 冷房、冷房!」
 日和はピッとエアコンを入れる。
 サークル部屋にエアコンとは……意外にリッチな大学だなと思った。サークルでこの扱いだと、部活はもっとすごいのか?
「ふぃー、涼しい」
 日和はサークル部屋の中にあるソファーにどかっと腰を預けた。
「……」
 女の子は日和の隣に座る。
 僕は二人と対面する形で、折り畳みイスに座った。


「それで、ここは?」
「あたしのサークル! 作ったんだ!」
 なるほど、それで鍵を持っていたのか。
「何をするの?」
「特に何も」
「ん?」
 サークルで部屋を借りているのに、何もしないというのはありなのだろうか?
「あ、アキ、そこの冷蔵庫にある牛乳飲んでいいよ。今朝の搾りたてだからおいしいよぉ~」
「あ、うん。ありがと」
 日和が指差した方を見ると、ミニ冷蔵庫があった。
 日和が飲んでいいよというフラグは飲みなさいに等しい。


 ちょうど喉も乾いていたので、僕は近くにあったコップを借りて、ガラス瓶に入っていた牛乳を頂いた。
「まずはこの子を紹介するね。あたし達と同じ一年、農学部のシズちゃん」
「……牛田シズです」
 シズは小さな声で名前を言った。
「はじめまして、僕は狐塚さんと同じ学部の狸居アキです」
 すると、日和は立てた人差し指を横に振って不満そうに言った。
「ノ―!」
「えっ?」
「狐塚さん、って言ったでしょ? ダメダメ。あたしは日和なんだから」
「あ、ごめん……」
 日和は誰に対しても下の名前で呼んでほしいのだった。
 少し気まずくなって牛乳を飲む。なかなか濃コクな味わいだった。


「牛乳美味しい?」
「うん? あ、うん、美味しいけど」
 なんで日和はそんな期待の眼差しで僕を見つめるのか?
「やったー! 良かったね、シズちゃん!」
「うん……」
 僕が美味しいと言うと、日和が大きく喜び、シズが恥ずかしそうに顔を伏せた。
「その牛乳、今朝、ここでシズちゃんのオチチを絞ったものなんだよ」
「ブゥー!!!」
 あまりにも予期しない日和の言葉に僕は口から牛乳を噴き出してしまった。
「アキ、汚い」
「はぁはぁっ、い、いや、おかしいでしょ。どういう……んがっ」
 顔に雑巾を投げ付けられた。噴いたところを自分で処理しろということらしい。
 僕は疑問を抑え、雑巾で噴いたところを拭いた。


「さっき言ったでしょ。シズちゃんはあたしの仲間だって。シズちゃんはね、牛に変身できるの。今朝、登校時に一緒に会ってね、登校したら、シズちゃんが我慢できないっていうから、絞ってあげたの! あたしも飲んだよ。美味しいよねー」
「……」
 そういうことか。しかし、こういう話を聞いた後、この牛乳は飲みにくくなるということは日和さん、わかってらっしゃらない。


「……飲む?」
 ここでシズが口を開く。
「えっ?」
「……もうちょっとなら……出せるよ……」
「いい! いい、いい、いい!」
 全力で断った。シズは牛に変身できるが、人間の女の子であって、そのアレを飲むということはつまり……
「こらっ! アキ! そんな言い方ないじゃない! シズちゃん落ち込んだでしょ!」
「い、いやっ、そんなこと言われても……アー」
 いろんな感情が混ざり合い、混乱した僕は鼻血を出してしまった。
アー! エッチなこと考えたでしょ!」
「! ……エッチな……こと……」
 日和の言葉にシズが反応して顔が真っ赤になった。
「誤解! いろいろ誤解だけど……あぁ、ふらふらする……」
「あ、あれ、アキ?」
 日和の心配そうな声を最後に、僕は意識を失った。

「ねぇ、アキ」
「ん?」
「獣化って知ってる?」
「ジューカ?」
 突然質問されたが、わからなかった。
「じゃあ、transfurは?」
「トランスファー?」
 初めて聞く単語だった。
「ケモナー」
「ケモナー……?」
「そっか……一般クラスタか……」
「?」
 日和は何かブツブツ呟いた。


 最近わかってきたのだが、日和は独り言を言って自分の考えをまとめるタイプらしい。心で思っていることが口から出ちゃうタイプ。
「アキ、パソコン持ってる?」
「持ってるけど?」
「ネットは繋がる?」
「うん」
「ちょっと貸して!」
 どうやら日和はジューカやトランスファーをネットで検索して見せてくれるらしい。
 パソコンを貸すと慣れた手つきで検索をかける。
「うーん、わかりやすいサイト、どれがいいかなぁー。まずはイラストサイトがわかりやすくていいよね」
 日和はブツブツ独り言を呟きながらサイトを巡る。気になるのがチラチラと目に映るR-18指定の警告だ。
 日和はイケナイ趣味を持っているのだろうか……
 いろんな意味でドキドキする。


「よし、ここに決めた! アキ、これ見て」
「!!」
 日和が指差すパソコンの画面には奇妙な絵が描かれていた。
「変……身……」
「あぁ、普通の人はそういうね。マニアックになってくると、動物変身、獣化、transfurなんて呼び始めるけど」
 パソコンの絵には、ヒトから他の動物に変身していく様が描かれていた。
 日和がマウスをカチカチ動かして、いろんな絵を見せてくる。ジューカは獣化ということと理解した。
「transfurってどういう意味?」
「聞くと思ってたよ」
 日和は待ってましたとばかりに、サクサクと検索をかけ、まとめページにアクセスした。


「transfurっていうのは、変形を意味するtransformationと獣人を意味するfurryの造語。日本語訳すると、さっきから言ってる獣化と同じ。この言葉、昔はなかったんだけど、ロボ系と区別するために最近でてきたんだよね」
 何の話かさっぱりわからなかった。
 日和は人が動物に変身する絵を僕に見せて何をしようというのだろうか?
 もしかして、まだ僕が動物に変身できると思っている?
「どう思った?」
「えっ?」
「人が動物に変身する絵を見て、アキはどう思った?」
「えっ、どういう意味? どう思ったって?」
「深く考えることはないの。パッと思った印象で。気持ち悪い? 怖い?」
「うーん……」


 気持ち悪いと言われれば気持ち悪い。
 ここに描かれている絵は何故かビフォー(人間)アフター(動物)だけでなく、その変身途中、つまり人から動物になっていく過程も同時に描かれている。戦隊モノの変身とは訳が違う。
 狼男、化け猫、妖狐……ジャンル的にはそういったものに分類される、いわゆるホラー絵だ。
 幽霊は視えるが、ホラーに慣れている訳じゃない。
 画面に映し出されるイラストも、泣いている表情のものが多い。
 しかし、怖くはない。ホラージャンルの絵はリアルな人間を描いているものが多いが、どちらかというと、可愛らしい、またはカッコイイ漫画、アニメ的な絵が多かった。
「じゃあ、あたしが変身するのを見てどう思った?」
「えっ……」
 僕の近くで日和のシッポが揺れる。


「僕は……あの時は……暗くてよく見えなかったけど、気持ち悪いとか、怖いとは思わなかったよ」
「本当?」
「うん」
 僕がそう答えたとたん、日和の耳が大きくなり、顔も前に突き出てフェネック化した。
「うわぁあああああああっ!!!」
 僕は突然の事で驚いて大声をあげてしまった。
「ごめん、ごめん。怖かった?」
 日和の顔はすぐに人間に戻った。
「はぁ……はぁ……怖いと言うより……びっくりした」
 初めてハッキリと見た。日和が変身する光景を。
「気持ち悪くなかった? いろいろ見えたでしょ? 肉が盛り上がったり、毛が生えてきたりするところ」
「……」
 一瞬だったのでよくわからない。確かに、普段見慣れている人間が他の何かになっていく様子は一種の気持ち悪さを引き起こすだろう。
 しかし――


「日和は……何が言いたいの?」
「……。深い意味は無いよ。ただ知りたかっただけ、アキがどう思うのか」
 日和はそう言って、視線を逸らした。
「自由じゃないの」
「えっ」
「あたし達は人前では変身できないの。アキは違うみたいだけど、気持ち悪いとか、怖いって思う人の方が多いから」
 日和はどこか寂そうな顔をしていた。
「漫画やアニメの世界だけじゃない。よく考えてみて。現実にそういう人がいたら怖いでしょ? もしかしたら突然鋭い牙で襲ってくるかもしれないんだよ」
「……」
 もし、本当にいるなら、人間は彼らに対してどういう感情を抱くだろうか? そう考えた時、確かに相応する力を持っていないと彼らを危険視するだろう。例え、同じ感情を共有することができたとしても。


「あたし達、動物に変身できる子はね、一日に一回は変身したくなるの。これはトイレに行きたくなる生理現象と同じ。でも、公の前ではできない。何をされるかわからないから。どこか建物に隠れて、こっそり変身して、すぐに人間に戻らないといけない。体の小さな子はまだいいけど、海に棲む動物や大型になる子は大変なんだ」
 何となく想像はできる。しかし、実感は湧かなかった。
「もし、みんな何かしらの動物に変身できたら……あるいは、変身能力のある子を同じ人間個人の個性として受け入れてくれる環境があったら、私達は自由に変身できるんだけどね」
 その後、日和は続けて「難しいなー」と呟いた。
「僕は……少なくとも僕は日和を、日和みたいな動物に変身できる人達を受け入れるよ。気持ち悪くもない、怖くもない」
「本当?」
「本当」
 僕がこう答えた瞬間、日和の顔が再びフェネック化した。
「!!」
 僕はまた驚いて声をあげそうになったが、叫び声を根性で呑み込んだ。


「……今度はビックリしなかったね」
「……二回目だから」
 日和はフェネック化した顔で嬉しそうに微笑んだ。
「前に言ったけど、あたしね、仲間を集めているの。同じ動物に変身できる人を。その目印は背中に羽の形をした痣がある。アキは違ったみたいだけど」
 それは日和と出会った時に聞いた。
「なんでだと思う?」
「うーん……」
 日和が動物に変身できる人間の仲間を集める理由。
「楽しいからだよ。あたし達は、普通の人間社会の中からはみ出した存在。それなのに、無理矢理人間社会に入ろうとすると、きっと、痛い目に遭う。だから、あたし達はあたし達で集まったらどうかなって思ったの。仲間がいた方が心強いと思うし」
「それは良い考えだと思うよ」
「それに、私達みたいな存在は、需要がないこともないんだよ」
 日和はそう言って、パソコンの画面の方を見た。


「動物に変身できる人間が好きなどこかの誰かさん達」
 日和はそう言ってクスッと笑った。
「みんな、現実には存在しないと思ってる。この人達に変身するところを見せたら、きっと嫉妬されちゃうね」
 日和は悪戯に笑う。
「あたしもさ、こんな能力持っちゃっているから気になってね、いろいろネットで調べるの」
 日和は現代っ子だった。
「初めは興味本位だったんだけど、ネットの人達の想像力は本当にすごい! もうほぼ妄想だね。あの手この手で人を変身させようとしてる」
 マニアックな世界だ。


「イラストが人気高いけど、あたしは小説の方が好きだな。何て言うか、絵が無い分、頭の中で想像するよね。それが楽しくって、たまに興奮し過ぎて、マウスをクリックできないなーって思ったらいつの間にか変身しちゃってたりしてね、へへへ」
 日和は照れたように笑う。
「世の中にはタッチしたらパソコン画面動かせるものも出てるみたいだね。あたしもあれ欲しい。あれだったら、変身しちゃっても前足で叩くだけで戻る必要無いのに」
 日和は楽しそうに話す。僕は聞き役に徹することにした。


「たまにさ、アニメとかでも擬人化した動物のキャラクターが出てくることあるでしょ? ああいうのを、ネットではケモノってカタカナで書くの。認知度は広まってて、たまに海外でもkemonoって使われることがある。んでね、ケモノが好きな人は、マヨネーズが好きな人がマヨラ―って呼ばれるみたいにケモナーって呼ばれるんだ。だけど、ケモナーは肩身が狭くてね、人間に興味無いーとか言われてアンチケモナー派に嗤われるの。少数派が肩身が狭いのは仕方のないことだけど……なんかねーって感じ」
 日和の話が……遠くなっていく。知らない世界の話だった。


「あたしは嗜好範囲広いよ。ケモノも好きだし、TFも好き。でも、TFに限って言えば、掲示板はおっさんばっかだから女の子が変身させられる絵が多いの。男の変身絵は海外が活発なんだけど、ちょっと好みの絵柄じゃないんだよなぁー。この界隈の女の子はシャイだから、カキコもなかなかしないし。もっとホモが増えてもいいと思う。男同士の絡み合い合って興奮するよね?」
「え……そ、そう?」
ホモいいよ、ホモ。まぁ、あたし、女だからだと思うんだけど、ホモは興奮する。ホモでTFな小説があったら最高だよ! ケモノでもいいけど」
 これは……もしかしたら……日和は、最近話題の腐女子ってやつなんじゃないかと思えてきた。
「あたしらもう18歳に達してるし、R-18も解禁でね!」
「う、うん……」
 その後、僕は日和のケモホモツアーに付き合わされることになった。これは男としては、さすがにちょっとキツかった。

「おっじゃまっしまーす!」
 日和と出会った合宿から数日後、日和が一人暮らしを始めた僕のアパートに遊びに来た(強行)。
「へぇー、これがアキの部屋か。男の子にしては質素だねぇー」
 日和が僕の部屋を見回して言った。
 微妙に気になることを言う。
「あんまり物を買っても四年後に出ていくことを考えると、大変そうだから」
「あら、現実派ね。はぁー、お腹空いた。今日、朝は講義で遅刻しそうだったから何も食べていないの。何か食べる物ある?」
「カップ麺ならあるけど」
「さんきゅー」
 僕はお腹空いたと連呼する日和のために、カップ麺を作った。


「いっただっきまーす!」
 飢えた獣のように、日和はがつがつカップ麺を食べる。
「……」
 合宿後、大学で何度か顔を合わせる機会があったが、一緒に行動することはなかった。
 季節は夏。大学一年生と言っても、それなりにグループ化が進んでいる。
 僕も少なからず毎日話す友達がいる。
 日和は分け隔てなくみんなと話をするので、人気があった。
 あの日、日和から話し掛けて来なければ、僕は日和と知り合う機会なんてなかったかもしれない。
 今日の講義は朝だけで、昼からの予定はフリーだった。
 のんびり家で読書でもしようと思った矢先、日和から「昼から遊びに行くから」という内容のメールが来た。
 そのメールに少し戸惑ったが、僕は女の子耐性を付けるためにもいいかなという適当な理由を付けて、彼女の来訪を受け入れた。


「ぷぅー、満足、満足。お腹がいっぱいになったら眠くなってきたなぁ」
 そう言って、床にごろんと横になる。
 八方美人。本当に行動が獣そのものだ。
「むにゃむにゃ」
「えっ、寝た!?」
 日和は幸せそうな笑顔でむにゃむにゃ言い始めた。
 寝付きが良過ぎる! というか、むにゃむにゃ言いながら寝る人を初めて見た!
「……」
 日和は何をしに来たのか……と残された僕は少し呆れるも、日和の寝顔を見るのは初めてだったので、それを眺めるのもいいかなと思ったりした。


 今のところ鼻血の気配は無い。邪なことは考えない。
 日和の食べ散らかした後を片付けて、床に座る。
 日和は相変わらずむにゃむにゃ言い続けている。寝言を言うタイプの人らしい。それにしても言い過ぎな気もするが……
「あ」
 寝ている日和のズボンが突如、もこもこ動き始めた。
 何事かと驚いたが、お尻の付け根あたりからズボンを掻い潜ってぴょこんとシッポの先端を顔を出した。
 あの日の出来事は夢でも幻でも妄想でもないことを確信した瞬間だった。
 日和は動物に、フェネックに変身することができる。
 しっぽはぐいぐいと伸びてきて、やがてふかふかした大きな毛の塊と化した。
 見た目、日和の後ろにモップ犬がくっついているみたいに見える。
 日和のシッポは日和の寝息に合わせて、ぴくんぴくんと時々動いた。


「このまま変身していくのかな……」
 そうなると……体が小さくなる→服が全部脱げる→男と女(獣)……
 いろいろ変な妄想をしてしまった。
 変にドキドキしてしまう。
「げっ、鼻血……」
 また出てしまった。今まで鼻血なんてほとんど出たことなかったのに、日和と出会ってから僕の鼻事情はどうもおかしい。
 ティッシュを丸めて鼻に詰め、日和の体は見ないようにして、見ていて面白いシッポを観察することにした。
 シッポの扱い方については、あの日、日和がレクチャーしてくれた。シッポは繊細だから、優しく扱わないといけないと。


「……」
 見ていると何故か触ってみたい衝動に駆られた。
「寝ているから……ちょっとだけならわからないよね。そ、それに女の子耐性を付けるために……」
 自分に都合の良い事を言って、こっそりシッポを触らせてもらうことにした。
 日和の背中側に周り、そっとシッポに手を伸ばした。
 あともう少しで触れるという距離になると、シッポは何かを感じ取るのか、ぴくんと反応して逃げようとする。
「あ、あれ」
 空振り。シッポには触れなかった。
「も、もう一度だけ……」
 シッポが逃げた方に手を伸ばす……


「エッチ!」
 シッポに触る前に、日和に腕を掴まれた。
「!! い、いや、これは、その、何と言いますか……」
 言い訳が出来ない。
「あたしが寝ている間に襲うだなんて、アキもワイルドなとこ、あるじゃない。やっぱり男はみんなオオカミさんね」
 日和が冷たい視線を向ける。
「い、いや、だから、これは、その……」
「なんてね」
「えっ?」


 日和は小悪魔的にはにかんだ。どうやら狸寝入り。日和の悪戯だったらしい。
「ひどい……」
 僕はいろんな意味で心にダメージを受けた。
「ごめん、ごめん。でもあたし以外の女の子にあんなことをしちゃダメだよ? わかった?」
「は、はい」
 少し説教された。悪いのは僕でした。
「わかったなら、よろしい。アキ、こっち来て」
 日和に呼ばれたので、側に行く。
「もう、もっと寄らないとシッポ触れないでしょ。あたしのしっぽが伸びるのにも限界があるんだから」
 日和は僕にシッポを触らせてくれるらしい。
「あ、ありがとう」
「一回もふもふ1000円ね」
「ひぃっ!」
 そんなこんなで、日和にからかわれながら、隣同士で話をすることになった。