木の葉の舞い散る秋の山。
 僕らは人気の無い獣道を歩いていた。
 目的はもちろん、狼少女を捕獲するため。
 赤、黄、緑……様々な葉を彩る木々に目を惹かれながらも、僕らは狼少女を探していた。
「なぁ、アキ。ホントにこんなんで出てくると思うか?」
 徹夫がやや呆れた顔で僕に聞いてくる。
「いや……僕にもわからない。でもフランクフルトを奪って行ったのは事実だから」
 やおよろず全メンバー、各自自費で狼少女への供物を買った。
 それは他ならぬ、コンビニのフランクフルトである。
 むしろ、山歩きして小腹が減ったから自分が食べたい。


「食べちゃダメよ。これはなんだから」
 日和がみんなにそう言う。しかし、そういう自分のフランクフルトは短くなっていないか?
「あー! 日和、食ってるな! つまみ食いしただろ!」
「うっ! た、食べてない! 枝に引っかかって少し欠けただけ」
「嘘言うな! お前の口に食べ残しがあるぞ!」
「ハッ! あたしとしたことが……」
 日和と徹夫が言い合う。
 こんなに騒がしいなら、出てくるものも出てこないだろう、と僕は呆れた。


 朝からずっと捜索していて、もうじき日暮れになる。
 夜の山は危険だ。特に、この時期は冬眠前の動物がたくさんいると思われる。
「なぁ、そろそろ帰らないか?」
 僕の気持ちを代弁して、ハルが言った。
「んー……そうだねー、そろそろ夕方か。暗くなるとアウトだねー……わかった。それじゃあ、もちっと……あと30分、探索したら、今日は引き上げよう


 悩んでいる日和の提案で、あともう少しだけ、山を探索することになった。



 秋の山は、栗や柿など目を惹かれる植物も多い。
 拾って食べていいのかわからないから拾ってはいない。
 しかし、天然の実りはとても魅力的だった。
 松明を掲げるようにして、片手にフランクフルトを持ち、僕らは山を行く。
 一度、鹿に出会ったが、襲われることはなかった。
 既に枯れている植物もあるため、動物がいたら、その動きが夏場よりは見て取りやすい。


「もう今日はダメじゃね? 腹減ったしー」
「ダーメ。だからこれは餌なんだってば」
「餌つったって、日和もう食ってるじゃん」
「……」
 日和と徹夫の言い争いは耐えない。
 ハルはもう帰りたそうなオーラを出しているし、ユイはそもそも捕獲自体には興味なさそうで、ハヤセ、ツバキと共に花を見つけては愛でている。
 重量系女子のシズと愛子はもう疲れたーという顔をしているし、彩音はずっとケータイを弄っている。
 ハイキングで個性が表れていた。


「ふぅ」
 僕もさすがに一日中、山を歩き回って疲れた。
 残りあと10分。全員が帰りたいモードになってきた時、逢魔が差した。
「だから、ダメ! 食べるなー……!」
 ガサガサという音が遠くに聞こえた。
「疾い」
 徹夫と言い合っていた日和の顔が徐々に険しくなる。
 一瞬にしてピリッとした空気に包まれた。
 向かってくる。
 何かがこちらに向かってくる。
 全員がこの音に気付き、場は瞬時に緊張に包まれた。
「みんな、背を出さないで。陣を組んで」
 全員が周囲を見渡せるよう、日和の指示で僕らは背中合わせになった。
 草むらを何かが駆けてくる。
「あっ……」
 草むらの合間から、僕は再びそれを目にした。



 赤毛の狼――


「ビンゴ……」
 日和も目視したらしい。真剣な顔付きになった。
「みんな、ターゲットを発見。たぶん、あれはこっちのフランクフルトを狙っている。麻酔銃を構えて。射程距離に入ったら、とにかく射ちまくって。で


も、無理だと思ったら逃げて。各自、自分の安全第一!」
 麻酔銃は例の研究施設から日和が調達したものらしい。
 目的は生け捕り。殺してはならない。多少、荒事になるのは可。怪我を負ってまで捕獲に挑むのはノー。
 なぜなら、相手は狂犬病などの何かしらの病原菌を保有している可能性がある。
 念のため、ワクチンは打ってきているが、相手は人獣。ヒトに感染する未知の病原菌を秘めていてもおかしくはない。
「きゃあぁぁっ!」
「! シズ!」



「あたしは追う。みんなはここにいて」
「あー! ちょっと、日和?」
 声を掛けるも虚しく、日和はすぐに草むらに消えていった。
「へぇー、狩りか。いいねぇ。そんじゃ、私も参加させてもらいますかねー」
 日和の行く後を見てから、彩音が言った。目がギラギラしている。
「ここで行かなきゃ男がすたるってな」
「日和を一人で行かせるのもあれだしな」
「僕も山を駆けてみたい」
 彩音、徹夫、ハル、ユイはそれぞれ唸り声を上げながら、半獣化した。
 そして、颯爽と山を掛けていく。


「そんな私も久々に走りますかねー」
「えっ、ツバキも?」
 ツバキは今まで駆けていったような山で動きやすい動物ではない。
「ふっふっふ。私をただのアルパカと思ったら大間違いよ」
「うそぉ……」
 同じく、半獣化したツバキは絶妙に奇妙なバランスで山を猛スピードで掛けていく。
 もし、誰かがこれを目撃していたら、高速で移動するもふもふ人間として新たなフォークロアが生まれたに違いない……


「みんな、行っちゃったね……」
「う、うん」
「ふええぇぇ」
「シズちゃん、よしよし。怖かったねー」
 残されたのは、僕と襲われたシズと、ゾウに変身できる愛子と、アシカに変身できるハヤセだった。
 女の子二人がシズの頭を撫でて慰め、僕は不安な面持ちで、狼少女を追いかけたメンバーの方を見つめていた。

 跳躍は一瞬だった。
 赤毛の狼は草むらから飛び出るや否や、シズの持っていたフランクフルトをかっさらって再び草むらの中に消えた。
「ふ、ふぇ……こわいよぉ……」
 シズは赤い悪魔に襲われ、半ベソをかいている。
 あまりにも一瞬のことで、麻酔銃を構える暇さえなかった。
 赤毛の狼はフランクフルト一個で満足したのか、気配が遠ざかっていく。
「にゃろう……」
 ここで負けず嫌いの日和に火が点いた。
 もさもさと全身から獣毛が生えてくる。
 日和の場合、完全に変身しきってしまうと、逆に食べられてしまう可能性がある。
 だから半獣化した状態でキープし、筋肉の増強を図ったようだ。

「ジン……ジュウ……?」
 聞き覚えのない言葉だった。
 僕は説明を求めて徹夫の方を向いた。
「……人獣っていうのは、ヒトの姿に変身する獣のことだ」
「ヒトの姿に変身する獣……!」
 ハッと思い至った。
 それはつまり、やおよろずのメンバーのなのだ。
「人獣はあたしも出会ったことがない……だから、どういう存在なのか、想像の域をでないけど……もし本当にいるのなら……捕獲……しなきゃ……」
 日和は呟くように言った。


「えっ? 何で捕獲?」
 僕にはその理由がイマイチみえなかった。
「人獣はね……動物に変えられた人達の研究にとって重要な存在なんだ。みんなを元に戻す薬を作り出すには、ケモノに変身できるヒト、ヒトに変身できる獣の両方の存在が必要なの」

「そうなんだ……」
「ケモノに変身するヒトとして、あたし達は協力することができる。でも逆の存在はどうすることもできない。頼まれているの、もし、人獣に出会うようなことがあれば、生け捕りにしてほしいって……」
 しかし、そう言う日和の瞳は暗い色が点っていた。


「頼まれているって、あの施設の人に? そう言えば、遺伝を専門にしている教授が造ったって言っていたね。なんていう名前の教授なの?」
「教授の名前? 何で気になるの?」
「今までちゃんと聞いたことがなかったから」
「そっか。そう言えば、言ってなかったっけ。あの施設は病院も兼ねているけど、本業は応用遺伝学。教授の名前は……諸雨(もろう)教授。ヒトに有用な遺伝子操作の探索をする研究施設……獣化の謎を解き明かすのもその研究の一環なの。だからあたし達の活動に協力してくれているの」
「……」
 何故か、嫌な予感が過ぎった。


 日和は僕と同期だ。大学にはまだ一年も通っていない。何でそんな施設と関わり合いを持つことができたのか?
 僕は気付いた。日和にはまだ僕の知らない顔を持っているのではないかと……
「ねぇ、アキ。その人獣と会った時のこと、もう少し話を聞かせてくれない?」
 日和が目を細めて微笑む。ケモノ姿でも、表情が豊かにあることを僕は知っている。
 一緒に服に入ったユイの方は本当に寝てしまったようだ。
 日和が話題を戻した。僕には何故か、それには裏があるような気がしてならなかった。

 秋も深まったある日の事。
 部室に集まったやおよろずの面子。
「さぁーて、今日は張り切ってやりますかね! 超能力開発!!」
 日和は張り切っていた。
 日和と初めて出会った時に言われたように、超能力開発の練習が日和の気分により、もうすでに数十回、突発的に行われていた。


「今日はなにー?」
 ユイが興味心身と日和に聞いた。
「ふっふっふっふー。今日はね、『透視』でーす! はいはい、みんな後ろ向いてー。ダンボールの中に紙を隠すから」
 メンバーは日和に言われて後ろを向いた。
 実は、このメンバーの中で、日和の鬼文字みたいな能力を使える人は他にいない。
 そう考えると、日和が特殊なんじゃないかと思ってくるのだが、日和はみんな何かしらの超能力を使えると考えているらしい。
「はい。みんな、こっち向いて。方法は簡単。このダンボールの中にあたしが文字を書いた紙を入れました。それが何かを当ててください。ケモノ姿になった方が集中しやすい人は、獣化してもいいですー」


 今日の特訓はダンボールの中にある紙の読み取りらしい。
 日和が各々に紙とボールペンを渡していく。そこに読み取った文字を書けということだ。
「ん~~~~~」
「はあぁぁぁぁぁぁ」
「じ――――」
 メンバーは様々な集中の仕方で透視を試みる。
「僕はウサギの方がやりやすい!」
 ユイがそんなことを言うと、服を脱ぎ始めた。
 男女入り混じった狭い空間で、突然服を脱ぎ始めるのはおかしなことだが、やおよろずのメンバーにおいてはこの限りではない。
「んー、わたしも動物姿の方がいいかなー」
 そう言って、ハヤセも服を脱ぎ始める。
 異性が服を脱ぎ始めると、気になってしまうところだが、気にしてはいけないのがこの部室での暗黙のルール。
 動物に変身する人達専用の伸縮自在な服でも開発されればいいのにーとか個人的に思うものの、そんな需要はほぼ皆無だろう。
 ウサギに変身したユイとアシカに変身したハヤセが加わり、各自、様々なリアクションをしながら、透視を試みた。




 十分後。
「はーい、ストップー。各自、視えた文字、紙に書いてー」
 日和がニコニコしながら、指示を出す。
 みんなが悩みながらとりあえず、紙に何か書いた。
 悩んでいるところを見ると、みんな何も視えなかったらしい。
 ユイと早瀬は器用なことに、前足やヒレでボールペンが持てないため、口に咥えてスラスラと文字を書いていた。
 この妙技、やおよろずのメンバーでは常識といったところ。
 人間の手の便利さを改めて実感させられる。
 全員が回答を書き終わった後、日和がチェック。
 その日和の顔がウキウキしたものからがっかりしたものに変わっていく。
「全員。ハズレー」
 日和の言葉に、各自であーとかうーとか残念そうな反応を返す。
「日和、なんて書いたの入れたんだよ」
 徹夫が聞いた。
「中に入れたのはねー。あたしの今夜のおかずレシピでしたー」
「ハードすぎるだろ!!!!」
 日和が中から紙を取り出してみんなに見せると、徹夫が抗議した。


「はー、あー。みんな覚醒なかなかしないねー」
 日和はそう言うと、瞬時に獣化して、自分に覆い被さった服からぴょこんと顔を覗かせると、大きなあくびをした。
 変身するのは別に構わないが、変身後に脱げたパンツやブラジャーがこう無防備に見えるのはヤメてほしい。
 日和は小さくなって、自分の服を布団代わりに代用して眠ろうとしている。
「あ、日和が眠ろうとしてるー。僕も混ぜてー」
「うん? いいよー」
「わーい」
 ユイがそう言いつつ、日和の襟の中に入っていく。
 見るものを癒すことしかできない、兎狐玉の出来上がり。


 しかし、忘れてはならないのが、ユイは男で、日和の服の中に入っているいることである。
「小さな体になれるのはいいなぁー」
 ゾウに変身する愛子が二人を見て羨ましそうに言った。
「……」
 日和の幼馴染であるハルは少し複雑そうな顔をしていた。


「あのさ、そう言えば最近、尾天の森で、赤毛の狼を見たっていう噂を聞いたんだけど、徹夫じゃないよね?」
 ツバキが思い出したように言った。
「違うな。だいたい俺は銀色の毛並みだし」
「それじゃ親戚とか?」
「狼になれるのは俺だけ」
「だよねー。ニホンオオカミはもういないしー、見間違いかな」
「俺もニホンオオカミじゃないしなー」
 そもそも、赤毛の犬類はパッとイメージが湧かない。


「……まてよ」
 赤毛の狼? 知っている気がする……
「あっ!」
 思い出した。
「ん? どうした、アキ?」
 徹夫が僕に聞いた。
「いる。知ってる。赤毛の狼。尾天祭りで日和のフランクフルトを奪っていった女の子だ」
 ぴくっ。
 眠っている状態の日和の大きな耳が反応した。
「知り合いか?」
 徹夫が再び聞く。
「ううん、違う。急に現れたんだ。鬼の方がインパクト強すぎて今まで忘れていたけど。中学生?くらいの女の子が狼に変身してた。赤毛だった」
「!」
 僕が記憶を伝って思い出したことを話していると、全員がぴくりと反応した。


「ふわーあー」
 日和は大きなあくびをして、器用に前足で目を擦っている。起きるらしい。
「あたし、そんな子知らない。探し出してメンバーに加えようよ!」
 日和はウキウキした感じで話した。
「い、いや、それが、人間って感じじゃなかったな……どっちかて言うと、狼が人間に変身できるような……唸り声しか出してなかったし、山の中に消えていったし、服来てなかったし」
 僕がこう言うと、みんなのリアクションが大きく変わった。
「お、おい。それ……まじかよ……」
 日和もこれには驚いたみたいで、何やら難しい顔をして呟いた。
人獣……?」


「もし、自分が永遠に動物の姿になってしまったらって考えたこと、ある?」
「……」
 僕の心の動揺が落ち着いてきた頃、日和が僕にそう聞いてきた。
 しかし、あの現実を前にして、僕はすぐに答えを返すことができなかった。


「あたしはフェネックに変身できるけど……やっぱり元が人間だからさ。自分で自由に戻れるからいつもはあまり考えないけど、ずっと動物の姿だったら

、結構辛いのかなって思う」
 それは少し、意外だった。
 変身することに慣れていても人間の方が良いと、日和は語っているみたいだった。


「自分は動物の姿で良いって、割り切れたら、それはそれで、動物の姿でも楽しいことがたくさんあると思うんだ。まぁ、変身する動物の種類にもよるけど、ペットで馴染みのあるものとか小型動物だったら、いっぱい撫でてもらえるし、気兼ねなく大胆に甘えることできるし、遊ぶことできるし、基本自由奔放! 視覚、聴覚、嗅覚……全然違う。体の動かせる部位もいろいろ増えるし」
 動物には動物の楽しみ方がある、日和はそう言う。


「でも、いくら動物が好きな人でも、人としての人格を形成してしまったのなら、人としての記憶を持ちながら、違う何かになるのは、なかなか受け入れがたいと思う。外国の人の言語も理解できないのに、動物の言葉なんてわかるはずないし。どこかでふと気付いてしまうんだよ。自分は人間じゃないんだって」
 それは、まるで、日和がそういう体験をしたことがあるかのような語り草だった。


「日和は……あるの? 元に戻れなくなったこと……?」
 僕は気になって聞いた。
「……あるよ。高校生の時、三日だけなら。最初は、いつもみたいに体が疼いて変身しちゃって、家の中を駆け回たら元に戻るつもりだった。でも、駆け回った後、元に戻ろうとしても戻れなかった。あれ?おかしいな?と思ったけど、まぁいいかって思って疲れたからそのまま寝ちゃったんだ。だいたい目が覚めると人間の姿に戻るんだけど、その時は目を覚ましてもフェネックの姿のままで。その後も何回も元に戻ろうとしたけど全然戻れなくて……だんだん怖くなってきた。このままずっとこの姿のままだったらどうしようって悩んだよ。幸いにも、声は出せたから、家族と会話はできたから良かったけど。学校休まないといけないし、でも家にいてもできること少ないし。不安な日々だったよ」


 動物への変身を肯定的に受け入れている日和でさえも、不安になるのだ。
 普通の人だったら、その衝撃は大きいに違いない。
「どうやって戻ったの?」
「うーん、よくわからない。三日過ぎて、起きたら、元の姿に戻っていた。ホッとしたよ。それから、ちょっと、変身してしまうのが怖くなった」
「そっか……」
 世の中の極一部の人達は強い動物変身願望を持っていることは知っている。
 しかし、彼らでさえ、ネタであるからこそ、それを需要するのであって、実際に起こるのであれば、どういう感情を抱くのであろうか?
「自ら望んで変身する分にはいいと思うんだ。でも、自ら望まず変身させられるのは……きっと、辛い……」
 僕は思い出す。檻の中の人々の目は皆、悲しみの色が宿っていた。


「ねぇ、アキはどう思う? もし、自分が望まずに動物に変身させられたら? 自分の好きな人が急に動物になって二度と戻れなくなってしまったら?」
 どちらも究極の質問だった。
「僕は――」
 いろんな考えが巡った。自分なら、どう行動にでるか?
「僕は、自分が動物になってしまったら……誰にも頼らず、一人で生きていくかもしれない。だって、みんなを辛くさせるかもしれないから」
「……」
「でも、好きな人が動物になってしまったら、どんなことがあっても、ずっと一緒にいようと思う」


「……。矛盾……してるね」
 日和の指摘は鋭い。
 僕は、自分が動物になってしまったら好きな人達から逃げ、好きな人が動物になったら離さないと言ったのだ。
「そうだね。矛盾……してる。でも僕は、たぶん、この選択をすると思う」
 僕の考えに、日和は目を細めた。
「そっか。アキはそういう選択を選ぶんだね」
「……うん」
 言って、彼女は立ち上がった。
 そして、僕の方に近付き――


 Chu!


 僕の頬に不意打ちのキスをした。
「えっ……えええぇぇぇぇぇー!
 ビックリしたってもんじゃない。一気に頭に血が上った。
 つーと鼻に粘っこい感触……鼻血が……
「真面目に答えを考えてくれたご褒美。それと、アキの場合は女の子耐性付けるためかな」
「い、いや、その、えぇっ!?」
 うまく思考回路が回らない。
 混乱している僕を見て、日和は可笑しそうにクスクス笑う。


「ハイ、ティッシュ」
「あ、ありがと」
「こんなことで鼻血を出しているようじゃー、女の子の裸見た時には死んじゃうかもしれないね、あははは」
「……」
 僕は無言の講義をした。
「アキは純粋だから、ついからかいたくなるんだよね、いひひ」
 日和がにやりと小悪魔な笑を浮かべる。
「うふふ、そんな怒らないで。女の子の方からキスされるのって、そんなにない経験だぞ! まぁ、からかうのはこのくらいにしておいて……結構、あたしの考えと似ていたから。ありがと」
「?」
 それはどういう意味なのか?


「なんか、嬉しくなっちゃうと。いろんな人、助けちゃいたくなっちゃうなー……でも、あたしはね、助けるのはたまたま目の前で変身させられた人だけ

って決めているの。だって、あの施設の容量も限界があるから……積極的には活動しないって」
 気まぐれな退魔師。しかし、頑張っている彼女に対して、気まぐれという言葉は失礼かもしれない。
 出会った人だけ。すべての人を助けるのは無理に等しい……
「あーあ、アキに見せたかったなー、舞台」
 日和が口を尖らせてそんなことを言った。
「祭りはもう終わちゃったし、また大学の日常生活だね」
「そうだね」
 尾天祭りは様々なインパクトを僕に植え付けて終了した。
 しかし、日和のことをさらに知ることができた。
 その点では、素直によかったのかもしれない。

 日和に連れられて訪れたのは、大学の山の中。
 鬱蒼と茂った木々に隠されるようにして、その施設はあった。
「こんなところにこんな建物があったんだ」
 入学したてということもあり、この建物のことは知らなかった。
 日和が何故知っているのかは……彼女の人脈だろう。
「あたしの傍から離れないで。罠にかかったら、いろいろ大変だから」
「!」
 日和は罠があると言う。一体どんな施設なんだ……

「狐塚日和です。あと、もう一名います。名前は狸居アキ。奥の部屋には入りません……ええ、様子を見に来ただけですから」
 日和が建物の受付で何かを話している。
 僕は初めて入る建物の中を興味本位で見回していた。
「病院?」
 それが僕の第一印象だった。


「アキ、行くよ」
「あ、うん」
 日和に声をかけられて、僕は昨日、動物化させられた人達の部屋に向かった。

「……」
 日和に先導されて訪れた部屋は……まるで動物小屋だった。
 ゾウ、鹿、大蛇、ワニ、ダチョウ、猫、犬……様々な動物が鉄の檻の中に入れられている。
「日和……この動物が……」
「……。ええ、元人間。昨日、アキが見たものと同じ。動物に変えられた人達よ」
「……」
 これじゃ本当に動物小屋じゃないか。
 他にもっと良い場所はないのか?
 僕は檻の中に閉じ込められている人々を見て、何とも居た堪れない気持ちになった。


 檻にはタグがあり、人間だった時の名前が記されている。
 事情を知らない人が見たら、何故人間的な名前が記されているかわからず、本当にただの動物小屋にしか見えないだろう。
「何で……こんなことに?」
 僕は日和に聞かなければ気持ちが収まらなかった。


「……。アキの言いたい気持ちはわかる。でもね、仕方ないの。猫や犬に変身させられた場合はまだしも、猛獣や巨大な動物になった場合は、スペースがない。自暴自棄になって暴れられたら自分も他人も傷付いてしまう。面倒を見てくれる場所があるだけでもありがたいと思わなければならないの……」
 日和が俯いて言った。
 日和がこう言うのだから、仕方ないのかもしれない……
 僕は檻の中の人々を見つめた。


 檻の中の人々は僕を羨望の眼差しで見つめ返してくる。その瞳は人の感情が残っており、悲しみの色が映っていた。何かを話そうとして声を発するも……僕には動物の鳴き声としか聞こえない。


 痛かった。
 僕にはどうすることもできない……


「お母ちゃん……」
 部屋の奥から少年の声が聞こえてきた。
 鉄格子越しに、涙を浮かべながら、中を見つめている。
 昨日、幸運にも動物に変えられずに済んだ少年だった。
「!?」
 しかし、無事だと思われた少年は、無事ではなかった。
 体のいたるところが動物化していた。見た感じ猫系統の大型動物と思われる。
「……」
 居た堪れない。あの姿では、町に出ることは難しい。長袖、長服、サングラス、帽子、マスク……露出部分を最小限に収めないと……人間でも動物でも、ましてや獣人の状態でもない。部分的に動物のパーツが埋め込まれたようなちぐはぐの体……
「お母ちゃん……」
 少年は縋るように檻の中を見つめる。
 少年の母らしい檻の中の動物は鳴き声を返す。
 見ていられない光景だった。
 ここが僕の限界だった。




「……」
「……」
 山の中の施設から大学のキャンパスに戻り、僕と日和は部室に向かった。
 部室にはもう誰もいなくなっていた。
「……どう思った?」
「……」
 日和に聞かれて、すぐに声を返せなかった。それほどまでショックが強い。
 僕は心が落ち着くまで黙っていた。

 楽しかった祭りは一転して、僕の心に大きな衝撃を与えたまま終わった。
 翌日、僕は日和に呼び出されて部室に向かった。
「……」
 部室の扉の前で息を呑む。
 日和が僕を呼び出したのは昨日のことがあってだろう。


 ここで何を聞かされるのかわからない。
 鬼とは何なのか?
 あまりいい予感はしない。
 しかし、知らなければならない。
 僕はアレが何なのか全く知らない……


「ふぅ……」
 僕は一呼吸置いて、部室に入った。


「あ、あれ? みんな?」
 部室に入ると、やおよろずのメンバーが揃っていた。
 どうも僕が後から呼ばれたみたいだった。
「来たね……アキ。座って」
 日和がいつもと違った真面目な顔で言った。
「えーっと……何から話すべきかな……」
 日和は小言を言った。


「昨日、動物になってしまった人達は……どこに? 泣いていた少年は?」
 日和が躊躇っていたので、すぐに思い付いた質問を、僕はぶつけた。
 鬼達が帰りの家族連れを次々に動物に強制的に変身させ、日和達が鬼達を撃退した後、日和はどこかに電話し、その後、大きなトラックが何台か来て、

動物化した人達と少年をどこかに連れ去ってしまった。
「大丈夫。心配しないで。あれはあたしの知り合いで、安全なところに運んだから。男の子も一緒。あたしね、この大学の遺伝を専門にしている教授と知

り合いなんだ。その人と一緒に、動物化した人達を元に戻す研究を行っているの」
「……」
 それは初めて聞く話だった。
 しかし、そんなこと、できるのだろうか?


 少し気になったが、他にも聞きたいことがあった。
「結局、鬼って何なんだ?」
 僕がこの質問をした時、メンバー全員の顔が暗くなった。
「アキ。昨日も言ったけど……鬼は……よくわからないの。アキは空中に浮遊する幽霊が何なのか説明できる? わからないでしょう? でもアレは生き物にとっては有害な存在でしかない。触れてはイケナイもの。魔的なものと言ってもいい。でも、確かなことは……何が起こるのかわからないけれど……

昔よりも数が桁違いに増えているってこと。そして、鬼への対抗手段は逃げるか鳴いて追っ払うかしない方法がないってこと」
「鬼は……尾天だけに出現するの?」
「ううん。たぶん、世界中で増えている。最近多いでしょ、謎の失踪事件」
「――!」
 そう言えば、衣類だけを残して中身が消える奇妙な事件を何度かニュースで見た。
 昨日の状況と合わせて考えてみると、確かに合点がいく。
 動物に変身させられた人達から服が脱げたのだ。
「世界中……」
 一体、何が始まろうとしているのだ?


「日和とシズはどうして僕を助けに?」
 僕がこの質問をすると、日和とシズは顔を見合わせ、互いに苦笑した。
「あれは全くの偶然。でも、アキが無事でよかった」
「偶然?」
 僕が不思議そうに聞くと、シズが口を開いた。
「わたしね、二人が劇を見に行った後、一人で屋台を散策していたの。するとね、すごい形相のオバサン達が走ってきて……わたしもその流れに巻き込ま

れたの……」
 シズがやや照れながら言った。次に日和が口を開いた。
「それで、シズを巻き込んだ一団はあたしも取り込んで……連れ去られたわけ。しばらくして、あのオバサン集団から解放された時、偶然にもシズがいたんだ。それで、アキは会場、わからないと思ったから。あたしがパンフ持ってたし。二人で来た道を急いで戻っていたの。そしたらさ、シズが急に変身を我慢できないって言い出して、慌てて会場を離れたんだ。そこで、偶然にも、アキが鬼に迫られている光景と出くわしたんだよ。あの時はマジでビックリしたけど」
 なるほど。僕はラッキーだったようだ。どおりで、シズの体のあちらこちらが牛化しかかっていたわけだ。
 偶然が最悪の事態を回避させた。あのまま鬼が会場に入っていると、とても恐ろしいことになったに違いない。


「そう言えば、日和やシズの不思議な声。もしかして、みんな出せるの?」
 メンバー全員が顔を見回す。
「鳴けるよ。あたしがみんなに鳴き方を教えたから。たぶん、背中に羽の痣がある、アキも鳴けるはず……そろそろ、アキに教えようかと思っていたとこ

ろ。でもね、あの声は獣化できないとたぶん、難しい……」
 僕は今まで一度も動物に変身したことがない。
「なるほど……。日和は退魔師って言っていたけど、何か、そういう訓練とか修行とかしているの?」
「ううん、ぜーんぜんっ」
「えっ」
「ちょっとその場のノリでカッコ付けちゃっただけ。本当は町を歩いて、出くわした鬼に向かって鳴いて、人気のない方向に向かせているだけ。鬼は不思議なくらい、真っ直ぐにしか進まないから」
 確かに、鬼は浮遊しながら、真っ直ぐに進んでいた。
「まぁ、仮にカッコ付けて退魔師として、あたしは同胞を集めつつ、鳴き方を教えてきた。そして、みんなで協力して、鬼の脅威から、この町の人々を退けてきたの。鬼が危険ん存在というのはわかっていたから、子供の頃から追い返していたけど。人助けを本格的に始めたのは、大学に入ってからかな。さすがにあたしでも、動物にされちゃった人達の面倒をみることは……大変だから」
 日和の顔が暗くなる。


 日和は言った。動物化させられた人達は元に戻せない、と。
「日和は今まで、どのくらい見てきたんだ。その、動物化させられた人達を……」
「五十人……くらいかな……獣化させられた人たちとコミュニケーションを取るのは難しい。まず、鳴き声じゃ何を言っているのかわからない。鉛筆咥えたりとかして文字を書ける人ならまだ意思疎通ができるんだけど、体の構造的にそれも難しい人達は特にね。完全に動物になってしまうのなら、まだ救いがあったかもしれない。でも、動物化させられた人達は動物じゃない、人間なんだよ。体が動物の形になってしまっただけで、人間の意思を持っている。それが辛い。苦悩する人達が多い。中には、自分の姿に耐えられなくなって死んじゃった人もいた……死んじゃっても、やっぱり戻らないんだ……」
 日和が力なく言った。


 しかし、それは日和が悪い訳ではない。仕方なかったのだ。
 日和達、やおよろずのメンバーは『人間の姿に戻ること』が前提で動物に変身できる。しかし、人の言葉も出せなくなり、二度と人間の姿に戻れないとしたら……どんな気持ちになるのだろうか?
 きっと、人生のすべてが変わってしまうのだろう。人と気軽に話せない。それだけでもストレスだ。猫とか犬など、ペットとして馴染みのある動物ならまだしも、猛獣類や巨大な動物になってしまったら、町に行くこともできないし、スペース的な問題もある。食べられるものも制限される。人間では食べられたものが動物にとっては毒になることもあるから。常に裸状態でいなければならない……恥じらいも相当なものだろう。


 もし、自分の好きな人が永遠に動物の姿のままになってしまったら? その現実に耐えられるだろうか? 


 もし、自分が永遠に動物の姿になってしまったら? 好きな人に見放されないだろうか?


 それは愛の深さによるのかもしれない。しかし、普通の人は……きっと耐えられない……
 僕は動物化させられた人達の境遇をできる限り思い描いてみた。楽観的な考えを持っている人ではない限り、狂ってしまうのがほとんどではないだろうか?


「鬼は……生き物なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない……あたし達ができるのは退けることだけ。だから『退魔』。駆除できないから、『破魔』じゃない」
 考えを巡らせてる僕に、日和は視線を落として呟いた。


 それから、メンバーで鬼についていろいろ話し合ったが、結局、鳴く以外の打開策は出てこなかった。
 後で、日和が動物化された人達の様子を見に行くというので、僕も付いていくことにした。
 日和にやめた方がいいと止められたが、僕は現実を知っておきたかった。


「退魔師? どういうこと? って何だよ。あの獣化した人達は何なんだよ!


 僕は感情が溢れ出し、衝動的に日和に叫んでいた。
「……ごめん」
 体が震えている。怖かった。もしアレに触れてしまえば、すべてが終わる気がした。
 直感的に、日和の言う鬼はそういう類の怪奇だった。


「ごめんね、あたしもまさかオバサン集団に連れて行かれるとは思ってなかったから……でも、おかげで危機を回避できた。あのまま鬼が会場に入っていたら、もっと酷いことになってた……これはある意味、オバタリアンさんのおかげかな」
 ヒニニと日和が苦笑い。
 僕はわからないことだらけ、何から聞けばいいのか考えていると、日和から話してくれた。


「正直なところを言うと、あたしも鬼のことはよくわからないんだ。でもあれはそこらへんに浮遊している、アキの言う幽霊とは全く別物。人や動物に害をもたらすもの。アキは気付いた? アレの特徴はいろんな動物の形を模しているけれど、みんな額にがある。だから、あたしはアレを鬼と呼んでいるんだ」
 鬼。
 古来より伝わる日本の妖怪。恐怖、畏怖の象徴。


「あたしもね、子供の頃、鬼に襲われかけたことがあるの。今まで見たことがないモノが群れで現れたからすごい怖かった。あたしは怖くなって叫んでいた。あの時、どうしてあんな声が出たのかよく覚えていないけど……変わった『鳴き方』ができたの。ラッキーなことに、それが唯一、鬼を退ける方法だったんだ」
 変わった鳴き方と言うのは、さっきの日和とシズが発していた不思議な音色のことだろうか。
「鬼には物理的な攻撃は効かない。体は透けてるし、普通の人は視えてないでしょ。触るとアウト。鬼を見つけたら避けるか、鳴くしかない。でも、この声が出せるのは、あたし達、背中に羽型の痣がある人達だけだった」
 日和が暗い顔をする。その表情の裏には、悔いの感情が読み取れた。


「触るとアウトってことは……」
 僕は嫌な直感が働いた。しかし、確かめておかないといけない。
 遠くからは少年の泣きじゃくる声が今も聞こえている。
「……」
 日和は口に出すのを躊躇っているようだった。
 そして、残酷な話だけど、と前置きして、僕に告げた。
「鬼に触れて動物に変えられた人達は……あたし達と違ってね……二度と……人の姿に戻らないんだ……

 ――ドックン
「い……いけない……」
 アレに触れてはいけない、直感がそう告げる。
 しかし、親子連れはみんな楽しそうに幽霊群に向かって突き進む。


 ――ドックン
「ダ、ダメだ……」
 背中が疼く。この熱痛はケイコクだ。


 ――ドックン
「くそっ、この距離じゃ叫んでも届かない……」
 僕はごく普通の、ただ、幽霊が視えるだけの、無力なニンゲン……



 ――ドックン ドックン
 胸の拍動が早くなる。


 ――ドック ドック ドック ドック
 家族は気付かない、その先に潜む奇々的な存在に。


 ――ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ 
 でも僕は動けなかった。


 ――ドドドドドドドドドドドドドドドドドドド 
 デウス・エクス・マキナに魅入られたかのように、ただ、視ているしか、できなかった――



「クウゥゥ……アオオオオォォォォォォォォォォ――――ン!!!!!
「!!」
 僕の緊張を解いたのは、近くにいる狼少女だった。
 狼姿の少女は吼えた。おそらく、あの不気味な幽霊群に向かって。
 イヌの鳴き声は太古より魔を退ける力があるとされている。


 少女の鳴き声は遠く響く。
 その声は、先を行く家族連れにも伝わったらしい。
 家族連れがこちらに振り返る……


 しかし、ただそれだけだった。
 家族連れは足を止めてこちらを向いただけ。
 角を持つ、この星の生物の形に擬態した幽霊群に、少女の声は効いていない。
「グルルルルル……キャン」
「あ、おいっ」
 狼少女は敵わないテキだと悟ったのか、日和のフランクフルトを咥えて、近くの茂みに姿を消した。


「まじ……かよ……くぅっ」
 背中の疼きは消えない。逃げろと警告を打ち鳴らしている。
 あの家族は助けられない。


 ――ドック ドドド ドドックン ドド ドクッ
 嫌な汗が出る。暑いはずなのに体が寒い。
 逃げ出せばこの場は助かるはずなのに、僕は逃げ出すことがはばかられ、事の成り行きを見つめていた。
「ああ……」


 母親が馬の幽霊に触れる。その途端、服はブクブクと膨れ上がり、馬の鳴き声と共に破れさった。
 母親が一瞬のうちにして馬に変身した。その信じ難い光景に、少年と父親が息を呑む。
 その刹那、父親にリスの幽霊が触れた。父親はみるみる間に小さくなり、その場に身に付けていた衣類だけがはらりと落ちた。
 少年は理解できない。何故、母親が馬になり、父が消えたのか。
 それは一緒に歩いていた他の家族連れも同然だった。
 しかし、怪奇は容赦なく家族連れに襲いかかる。否、ただ一定の速度で、たまたま触れてしまっただけ。
 突然の怪奇現象を目の当たりにした女子高生くらいの女の子が叫び声を上げながら、熊の幽霊に突進。
 当然の如く、着ていた服は無残にも引き裂かれ、ヒトともケモノとも区別のつかない泣き――鳴き声を上げながらその場に倒れる。
 娘が熊に変身していく様を目の当たりにした両親は絶句し立ち止まる。
 そして、豚の幽霊が両親に触れ、豚に変身していく。
 母親が馬になった少年は泣きじゃくり、また、幽霊群の方向に走り出す。
 そして、服がその場に落ち、ネズミの姿になった。
 悲劇は連鎖する。思考が固まった人々は、浮遊する幽霊群に次々と触れて動物に変えられていく。
 異様な光景だった。
 幽霊群が過ぎ去った後には、たまたま幽霊に触れられることなかった、一人の少年の泣きじゃくる姿しかなかった。


「こっちに……来る!?」
 幽霊群は僕の方にまっすぐ向かってくる。ここにいては前の家族連れのように強制的に動物に変えられてしまう。
「に、逃げなきゃ」
 しかし、足が動かない。未曾有の現象を目の当たりにして、体が震えている。
 怖い、逃げなきゃいけない、でも頭と体が分離してしまったかのように言う事を聞かない。
 視るべきではなかった。
 狼少女が逃げたタイミングで、僕も逃げ出せばよかったんだ。
 動物に変身する光景はやおよろずのメンバーで見慣れたはずだった。


 しかし、今、目の前で行われたもがき苦しみながら動物に変身させられていく様は、やおよろずのメンバーの変身と全く似て非なるものだった。
 距離は離れていたはずなのに、変身させられていく人々の瞬間が目に焼き付き、声が鮮明に危機に残った。
「い、嫌だ……」
 直感が告げる。アレは日和達の変身と異なる種の現象だと。


「お、おい、動け、動けよ! 何で足が動かないんだよ!」
 頭と体の反応がズレている。
 極度の緊張と恐怖に見舞われた僕は金縛りにあったかのように動けない。
 幽霊群は僕を狙っているのか、そうでないのか、ゆっくりと、一定の速度で前進してくる。
 その、徐々に近くなってくる光景が、かえって僕の恐怖心を煽る。


「冗談だろ……逃げるチャンスはいくらでもあったじゃないか」
 しかし、動かない、動けない。
 幽霊群と接触し、動物化された家族連れは泣きじゃくる少年を残して倒れている。
 急激な変身に対する肉体の刺激が強すぎたのかもしれない。
 頭は割と冷静。しかし、体が緊張して動けない。
「く、来るな! こっち来るなよ!!!」
 確実に一歩一歩……いや、一歩という表現はおかしいか、そもそも足は動かず、ただ浮遊しているだけ。
 ソレらは僕に近付いてくる。


「う……あ、あ、あ……」
 ソレは果たして紛いなりにも生物と呼べたのか?
 透けた体のソレらの目は、人形のように動かない。
「ゃ……ぁ……」
 人は本当に恐怖に怯えた時、声を発することもできなくなるという。
 逃げる時間は十二分にあったのに、馬鹿なことに、僕はその場に突っ立ったままだった。
 幽霊が目前に迫る。その透明な体が僕の体に触れる――






「――いた! チッ、間に合え、シズちゃん、〝鳴く〟よ」
「う、うん」





 ――直前、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
 
「「クルルルルルルゥ――――!!!」」



 小鳥が唄うかのような透き通った音が聞こえた。
 その音が聞こえた瞬間、ぴたりと幽霊群の前進が止まる。


「「クルルルルルルゥ――――!!!」」
 一呼吸おいて、不思議な鳴き声は続く。
 気のせいか、幽霊群が一歩後退したように視えた。


「「クルルルルルルゥ――――!!!」」
 声が近くなる。
 すると、幽霊群が、気のせいではなく、忌避するかのように下がった。

「よし、効いてる……シズちゃん、特大の、いくよ」
「う、うん!」

「「クルルルルルルゥ――――!!!!!!」」

 僕の隣までやって来て、不思議な音色で声を出す人物は、日和とシズだった。


 恐れをなしたのか、どうかのか、表情が全く読み取れない幽霊群は、しかし、日和達の鳴き声を嫌がるかのように、山の方へと向きを変えて、浮遊していく。
「た、助かった……のか……?」
 僕は夜の闇に紛れていく幽霊群を見送った。
「危なかったね、アキ……」
「んんっ、あぁっ」
 日和が固まっている僕に話しかけ、シズが緊張から解けたようにその場にへたれこんで、喉を調声している。
「シズちゃん、助かった。予想通り、二重声だと威力が上がるみたい。慣れない声出しているから、無理にしゃべろうとしないで」
 日和がシズにそう言うと、シズがこくこくと頷いた。


「日和……あの幽霊は何なんだ?」
 僕は真っ先に頭に浮かんだ疑問を日和に投げかけた。
「幽霊? あぁ、アキはああいうの総称して幽霊って言うんだっけ。でも今、追っ払ったのはそこらへんに浮いているやつとは違う……角持ちのアレはね、『』だよ」
「鬼……?」
「実はね、あたし、退魔師の仕事もやってるんだ」
 日和は苦笑いしながら、僕にそう言った。

「え? まじ?」
 オバタリアン集団に日和が巻き込まれて連れて行かれた。
 日和が会場のマップを持っていたので、僕は今どこにいるのかすらわからない。
「こ、これはもしかして……」
 ま、迷子!!?
 まさか大学生にもなって迷子になろうとは……いや、とにかく心を落ち着かせよう。冷静になるんだ。


「……そうだ、ケータイ」
 ケータイで日和に連絡を取ろう。
 僕はそう思って、ズボンに入れていたケータイを取り出し、画面を展開させた。
「電波……ゼロ……?」
 祭りの密集地帯のせいで電波障害が起きている。
「嘘……だろ……」
 ケータイが使えないとなると、日和と連絡を取る手段が皆無になったことになる。
 どうしたら……


「確か、狐塚奇譚のやるところって言っていたな……」
 やおよろずのメンバーがいたところもわからないとなると、まずは目的地がわかっている場所に行って合流する方が先決か。
 僕は辺りを見回して、会場運営のテントを探した。
 会場は広い。よって、運営側のテントが何箇所も設置されているのは見ていた。
「テント、テント……」
 僕がテントを探していると、目の前を颯爽と何かが過ぎっていった。
 同時に、手が軽くなる。


「フランクフルトがない!」
 何者かに奪われた!
 日和のフランクフルト。これは持っていないと、後で何を言われるかわからない。
「! アレだ!!」
 人混みの中、走り去る犬のがフランクフルトを咥えているのが見えた。
「ちょっと、待て、この、バカ犬ー!!」
 僕は犬を追いかけて祭り会場の外側へと知らず知らずのうちに走り出していた。

「はぁ……はぁ……くそっ……どこ行った」
 フランクフルトを奪った犬を追って夢中で、会場外に走ってきてしまった。



「はぁ……はぁ……」
 頭を冷やして考える。よく考えたら犬が加えた食べ物を奪い返したところで、それを日和に渡すのはアウトじゃないか。
「くそっ……買い直し……」
 今日はタダでさえ、出費が多いというのに……
 ガサゴソ。
 会場に戻ろうとした時、闇の中で蠢く物音がした。
 僕は咄嗟に物音がした方を振り返る。
 そこには信じ難いモノが僕から奪った日和のフランクフルトを咥えていた。


「こ、子供!?」
 祭り会場の残光に照らされて、浮かび上がるは道路に這い蹲る裸の少女の姿。
 少女は四つん這いの状態で、フランクフルトを咥えながら、低い唸り声を上げた。
 それはまるで、獣のような――
「!」
 裸の少女が四つん這いになっていること自体がおかしいことだが、僕はさらなる異様な点にすぐに気が付いた。


「シッポが生えている!」
 いや、生えてきているといった方が正しい。
 ウーウー、低い唸り声を上げる少女の体がみるみる間に赤毛で覆われていく。
「変身……してる!」
 少女は獣に変身していっている。
 もしかして、この少女も日和の仲間なのだろうか?
 僕はそう思って、一歩少女に近付いた。
「ウガァァァァァァッ!」
「う、うわああっ!」
 伸びてきたマズルと共に牙を剥き出しにして威嚇された。
 どういうことだ。日和の知り合いじゃないのか?
「き、君は、日和の知り合いじゃないのか?」
「グルルルル」
 口からこぼれ落ちたフランクフルトを守るように少女だった獣は僕を威嚇する。


「オオカミ……」
 まさか、ニホンオオカミは絶滅している。
 しかし、少女の変身した姿は犬にしては似ても似つかず、オオカミと当てはめた方がしっくりくる。
 いや、狼に変身する知り合いなら、徹夫がいるじゃないか。
 徹夫の親戚か何かか?
 しかし、僕が話しかけても赤毛の狼少女は、ウーウーと威嚇するばかりで、ヒトの言葉を話そうとしない。
 これはどういうことだ?
 ここはもうフランクフルトのことは諦めて、日和と合流することが先決。
 しかし、この狼少女をこのまま放っておいてもいいのだろうか?


「人間……」
 なのだろうか? それにしては、四足の体制といい、あまりにも獣じみている。
 僕はフランクフルトを奪われただけだが、他の人に襲いかかる可能性も少なからずある。
「き、君……そんな警戒しなくていいよ。それはあげるから、人間に戻って、ね?」
「グガアァァァッ!!!」
 近寄ろうとすると、大きな口で吠えられた。
「どうしたらいいんだ?」
 狼少女は人間の姿に戻る気はないようだ。
 残念ながら僕は動物に変身することもできなければ、超能力も使えない。全くの役立たずだ。
 僕は狼少女と対立するも何も手を出せずにいた。
 向こうも必要以上には動こうとはしない。こちらの様子を伺っているようだった。
「!?」
 少女の体突然、人の姿に近くなる。かと思えば、また狼の姿に戻る。


「……」
 原因はよくわからないが、見ていて感じたところは、変身が安定していないみたいだ。
「――っ」
 狼少女の体の変化に気を取られていると、突然、背中に熱と痛みを感じた。
 生まれた頃からついてる羽型の痣が疼く。
「なん……だ……?」
 今まで背中の痣が疼いたことなんて一度もなかった。
 まるで警告を発しているかのうように、痣の疼きは強くなる。
 ぴくっ。
 僕が自分の背中に目を逸らしたと同時に、狼少女が僕から視線を外して、闇の方を見据えた。
 僕が視線を戻しても、狼少女は遠くの一点を見つめている。
 疼く背中の熱と痛みを堪え、僕は少女の視線の先を見た。
「あれは……」


 幽霊がいた。闇の中で青白く光を放って、ふわふわと空中を浮遊している。
 しかし、その幽霊には形があった。
 豚のような形をしている。上下にゆらゆらと揺れながらも、それはこちらの方にゆっくりと向かってくる。
「増えてる……」
 最初見た時は豚一体だった。しかし、どこからともなく、幽霊は闇の中から現界する。
 気がつけば、幽霊二十体ほどが上下左右に並び、面となって浮遊してくる。
 幽霊の形は様々だ。豚だけかと思っていたら、馬のようなものからゾウのようなものまでいる。
 しかし、どの個体にも共通して『』が生えていた。


 僕は思い出した。
 以前に角の生えた大蛇の幽霊を視たことがある。嫌な予感がする。
「ガルルルル」
 少女のリアクションが険しくなる。
 少女は幽霊が視えているようだ。


 と、僕と狼少女より先で、会場から子供連れの親子が何組か出てきた。
 時間も時間だから、これから家に向かうところかもしれない。
 家族組みは、楽しそうに話をしながら、幽霊の群れに向かっていく。
 彼らは幽霊が視えていない……

「ところで、舞台はいろいろあるって言っていたけど、どういうのを見に行くの?」
 僕はふと疑問が湧いて日和に聞いてみた。
「うん? あたしが好きなんでいいなら、キツネかな。あたしが変身できるのキツネだし、コンコン♪」
 日和が得意気に手を丸めて、耳をぴくぴくさせた。
「あたしの苗字と同じ狐塚奇譚っていうお話があるんだ。もう何度か見ているけど、それを見に行こうかなと。いい?」
「うん、日和が見たいならそれでいいよ。僕はこの祭りのこと全然わからないし」
「よしよし、決まり~♪」
 ご機嫌な日和のシッポがパタパタ動いていると――


「お姉ちゃん、捕まえた!」
「捕まえた!」
 小さな男の子と女の子が日和のシッポを左右から捕獲していた。
「ん?」
 日和が少し驚いてシッポの方を見る。
「あら、山羊野さん家のタマエちゃんと羊丸さん家のトモ君」
「お姉ちゃん、捕まえた!」
「捕まえた!」
 幼稚園くらいのお子様二人は日和のシッポを捕まえて嬉しそうだった。
「ふふふ……捕まえたと思ったでしょ? でもあたしのシッポはそう簡単には君達の言う事を聞かないんだよ? ほれほれ~」
 日和がシッポをブンと高く持ち上げる。すると、お子様二人はその衝撃で手を離してしまう形となった。
 二人は必死にぴょんぴょんジャンプしてシッポの捕獲を試みる。きゃっきゃきゃっきゃ楽しそうだった。


「日和の知り合い?」
「うん、近所の子供」
 日和の知り合いらしい近所の子供を見ていると、違和感に気付いた。
「蹄……?」
 そう、お子様二人の手は蹄になっていた。
「日和、もしかしてこの子達……」
「気付いた? そうだよ、私達と同じ動物に変身できる子なの。タマエちゃんはヤギ、トモ君は羊。こらこら二人とも、手とか目立つところを変身させちゃダメじゃない。めっ!だよ、めっ!」
 日和に軽く叱られる。しかし、二人は日和のシッポに夢中で、全然聞いていない様子だった。
「二人とも、お母さんやお父さんはどうしたの?」
 日和がシッポをブンブン振って二人と遊びながら問い掛けた。
「おやおや、ここにいたのかい、タマエ、トモ。あら、日和まで一緒に」
 日和がキョロキョロと二人の親を探すような仕種をしていると、こちらにおばあさんがやって来た。


「あ、河馬竹のおばあさん!」
 日和がおばあさんに親しみの笑みを浮かべる。知り合いのようだ。
「おや、日和。そっちの男の子はボーイフレンドかい? そうかそうか、日和ももうそんな年頃かいね」
 ほっほっほと嬉しそうに一人頷くおばあさん。
「あはは、残念。あたしにはまだ恋人はいないのでした。ボーイフレンドには変わりないけどね。それより河馬竹さん、タマエちゃんとトモ君は河馬竹さんが連

れて来ているの?」
「そうじゃよ、山羊野さんと羊丸さんとこはこの祭りで忙しいからねぇ。子供の面倒を見てくれって頼まれたんじゃ。しかし、子供が遊ぶにしてはそろそろ夜も

遅くなってきたじゃろか。そろそろ帰らないといけんね」
 言って、おばあさんはふわぁ~と眠そうにあくびをした。
「!?」
 しかし、そのあくびが異常だった。口を大きく開けたと思ったら、その口はどんどん大きくなる。人の頭を入れられるまで口を開いたと思うと、次の瞬間には元に戻っていた。
「日和、このおばあさんももしかして……」
「うん? うん、そうだよ。河馬竹のおばあちゃんはカバに変身できるの」
 以前、日和は108人、動物に変身できる人を見付けたと言った。
 日和の知り合いはこんな風にみんな動物に変身するのだろうか……
 僕は複雑な内心だった。



 二人のお子様がいなくなって、再び、舞台に向かって歩いていく。
 もうかれこれニ十分くらい歩いているだろうか。道が人で混雑しているせいもあるだろうが、結構遠い。
「結構歩くね」
「うん……この会場は広いからね」
 日和もさすがにまいったなという面持ちだった。
 二人で歩いていると、背後からドドドドという異様な音が聞こえて来た。
「え?」
 何の音だろうかと僕が音のした方を向くと、鬼の形相をしてこちらに突進して来るおばさんの群れがあった。
「みちひこく~~~~~ん!!」
「握手するのはアタシが先よ」
「アンタ邪魔ね、退きなさい!」

 おばさんの群れは様々な騒音とともに解き放たれた矢のように一直線に走って来る。

「あー、そういえば、ジョニーズの芸能人もこの祭りに来てるってお母さん言ってたな――」
 日和がそんな呑気なことを言っていると、障壁を知らないおばさんの群れに巻き込まれ、あっさりと連れ去られていってしまった。
「え? ちょ、ひ、日和?」
 日和は神隠しならぬおばさん隠しに遭ってしまった。
 あまりにも唐突の出来事で、僕の頭は真っ白になった。