「うへぁ……面白かったけど……何か間違った感が否めないわ……名古屋城行けなかったし、シャチホコォ……」
 電車に座るなり、日和が唸った。
「城なんてどれも一緒だろ? シャチホコだって金ピカの魚が海老反りしてるだけだし」
 徹夫はドライなコメント返した。
「徹夫……嫌い……」
「はぁ? どういう意味だよ」
 日和はロマンがないとでもいう目で徹夫を睨み返した。


「確かに名古屋名物は全く食べなかったわね」
「でも人生で一度くらいしか食べないものは食べたと思うよ~」
 ハヤセとユイが話す。
 反応はいろいろだが、みんな楽しんだようだった。
 食事に体力を使った僕らは今日の宿泊場である静岡に着くまでしばし、夢の中に入っていった。


「寒い……」
 静岡駅に着いた。
「ヨシキタ! 静岡、何食べる? 桜えび? お茶? ひつまぶし?」
「ひつまぶしって名古屋じゃなかったっけ?」
「え? でもあれ、ウナギでしょ? ウナギなら静岡……?」
 また日和と徹夫が討論している。意外に仲がいい。
 今度こそ、名物を食べるぞという話になり、駅周辺を探索することになった。
 初めて見る町を歩くのは何だかワクワク感がある。
 みんなでああだこうだ言って歩く。
 そして……やはり何を食べるのか決まらない。
 そんなこんなしているうちに日が暮れた。
 ここで再びシズが提案を。みんなは何だろうとゴクリを息を呑む。
 すると、この季節にぴったりの静岡おでんというものがあるらしい。
 今度はハズレがないだろうと確信し、みんなでおでん屋を探した。


「うひー、ビール、ビール!」
「日和、お前、そんな酒豪だったか?」
「彩音姉さんに鍛えられましたん」
「ねー」
 あのクリスマスに一体何があったのか……
 出てきたおでんを早速頂く。
「あ、美味しい」
「うん、これはうまい!」
 今度は外れ無し! みんな昼間の分を取り戻すかのごとく、食いに走った。


「うぃっく! もう一件行くぞー!」
「こら、日和。おっさんか、お前は」
 幼馴染みガード。どこかにフラフラ消えていこうとする日和の髪をがしっと掴む。
「痛い、痛い痛い、やめてよ、ハルぅ~」
「……」
 完全に酔っ払っていた。
「そう言えば、今日の夜はどうするの?」
「ふっふっふ、今夜はネットカフェで宿泊だー!」
 僕が聞くと、日和がにまーと笑って答える。
 しかし、全員からブーイングの嵐。だが、日和はブーイングの嵐に怖気ず、力説する。
「ネットカフェ宿泊の魅力を説明しよう、諸君。あ、ちなみに漫画喫茶もほぼ同じ意味ね。部屋が狭いのは確かにそうだ。しかし、漫画がたくさんある! ナイトパックがホテル一泊より断然安い! ジュース飲み放題! インターネットし放題! 最近はシャワーがあるところだってある!
 何故か、異様に詳しかった。日和は経験者のようで。


 メンバーは日和の話を聞くうちに、ネットカフェでもいいかも……という雰囲気になり、十時以降に早速、ネットカフェに赴いた。
 僕を初めとして、ネットカフェ初心者が多かったので、日和から説明を受け、まずは会員証を作った。
 自分の分を持っていた日和は……なんとかプラチナカードだった。
 一体、今までにどれだけネットカフェを利用していたのか……
 その後はみんな別々の部屋。同時に入店したので、同時に集まって駅に向かい、次の目的地へ行く感じだ。


「おー、まじで漫画いっぱい、やべぇ!」
 徹夫が感動している。
「うぅ……箱みたい……」
 ハヤセが部屋の狭さに嘆いていた。
「ホモ漫画、ホモ漫画~」
 日和はもう漫画狩りに出かけていた。
「ここなら気兼ねなく、少女漫画読めるからいいね」
 ユイがそんなことを言って嬉しそうに大量の少女漫画を持ってきた。
「お前のその顔だったら問題ないだろ?」
「えー、やっぱ僕も恥ずかしいよ」
 徹夫の最もらしい意見に、ユイが顔を少し赤らめた。
「ジュース、おいちい、あんまり冷えてないのもあるけど」
 愛子が飲み放題の虜になっていた。お腹壊さないといいが……
 各自、自分の好きなように時間を過ごした。


 そして、朝。
「お……はよ……」
 死にそうな人達が約半数。
 漫画やネットに夢中になり、ついつい徹夜してしまったらしい。
「うぅ、外、寒い……」
 ブルブル震える夜ふかしの方々。
「……」
 僕は言葉もなかった。
「と、とにかく、東京を目指そう。電車に入ると暖かいから」
 夜、ちゃんと寝た組みが先導して、メンバーを電車に導いた。
 案の定、電車に乗るや否や、夜ふかし組みは夢の世界に旅立っていった。
 僕はそんなメンバーを見守りつつ、クスッと笑ってしまった。


 3月。
 単位を落とさないように、後期試験をなんとか乗り越え、日和が提案した遠野旅行に行くことになった。
 何とかやおよろずのメンバー全員行けることになったが、青春18切符で鈍行で行くというハードな旅の幕開けだった。
 日和曰く、
「せっかく東北の方に向かうんだし、あちこち寄って行こうよ」
 とのことで、基本、電車。時々駅で降りて町を探索という形になった。
 尾天は奈良、大阪、京都の三県のほぼ中間地点に位置する。
 奈良方面の快速急行に乗り、名古屋、静岡、東京、水戸、仙台、花巻とメジャーな町を経由して遠野を目指す。
 思えば、この面子で電車を乗るのは初めてだ。何だか修学旅行気分。


「おっはよー! 忘れ物ないよね? それじゃ行くよー!」
 日和は朝から元気だった。
 各自、大きめのスーツケースをコロコロして、電車に乗り込む。
 まずは名古屋を目指す。
 電車内で、女性陣はおしゃべりに花を咲かせているが、男性陣はもっぱら、PHPやDOSなどの携帯ゲームに夢中になっていた。
「おい、ハルのペカチュー、レベル100超えとかチートだろ!」
「ふふふ、チートでも何でも勝ちは勝ち」
 特に、ハルと徹夫の二人が去年発売したケイモンの最新ソフトに白熱していた。
 僕はぼんやりと景色を眺めたり、小説を読んだり、ユイは電車に揺られながら眠っていた。


 そして、数時間後……僕らは名古屋駅に着いた。
「名古屋ktkr!! みんな、降りるよ! 観光、お昼!」
 日和を先頭に、みんな駅を降りる。
 改札で途中下車のハンコを押してもらい、外に出る。
「寒っ……」
 電車との気温のギャップにイキナリ、テンションが下がった。
「お昼食べよ、お昼! 何がいい? 味噌カツ? きしめん? 味噌煮込みうどん? 手羽先? あんかけスパ?

 エビフリャー?」
「日和、食べることばっかだな」
 幼馴染みが呆れている。
「えー、いいじゃん。地産地消。その土地の特産品食べなきゃー」
 しばし、何を食べようかわいわい話しながら駅の周辺を歩く。


「名古屋って結構都会だねー」
 思いのほか、高層ビルが多い。
「あのグルグル巻いているオブジェってなんだろ?」
「でっかい、人形が立ってる! つか細っ!」
 メンバーは田舎者丸出しだった。
 しかし、何を食べようか全く決まらない……
 ジャンケンで決めるかという話になりかけた時、シズがボソッと紙を出した。
「名古屋の名物カフェ『The 山』……?」
 僕は知らなかったが、名古屋の名物カフェらしい。


 シズの話によると、ボリューム満点、種類豊富で、通常取り扱わないメニューがあるらしい。
 興味を惹かれたメンバーは、電車を乗り継ぎ、シズおすすめの『The 山』に向かった。
 『The 山』に着いて、メニューを開く。
「これは……」
 赤いスープ。緑の麺。青いカレー……なんかやたらカラフルなメニューだった。しかも何が出てくるのかイマイチわからない……
 旅の初めにしてイキナリの冒険メニューだ。


 じーっとメニューと見比べること数分。
 女性陣はメニューから料理が推測できるものを選び、男性陣はとにかく変な名前のものを注文した。
「面白いねー、何が出てくるのかわからないのが怖いけど」
 彩音が笑っていう。
「シズちゃん、観光ポイントチェックしているの?」
「一応……」
 シズは言って、リュックから様々な観光を調べた印刷紙を出した。
 これはありがたい。日和はノープランで行こうとしていたのだ。
 料理が来るまでの間、みんなで観光の話や、どんな料理が来るのかの推測を行った。


「はい、おまちどー」
「……」
 各自の注文したメニューが来た。
 みんなその量と色に思わず絶句する。
「おお……これは……」
 何となく、とりあえず、写真を撮ってみたり。
 フルーツ盛りだくさんの麺類の人もいれば、色の濃いチャーハン的な人もいたり。
 期待と不安を抱きつつ、各自、一口目……
「甘ぇー!」
「あ、意外に美味しい」
「辛えぇぇぇぇー!」
 最初の一口で当たりかハズレかの命運が分かれた。
 しばらく食べていると味が飽きてくるので、みんなでお互いの料理を食べ合って、うまいだのまずいだの甘いだの辛いのだの酸っぱいだの、意外に盛り上がった昼食となった。
「うぇっぷ……」
 頑張ってみんなで完食。しかし、味が濃い上に量が多く、みんな食事に疲れていた。
「動けない……」
 愛子が言う。
 メンバーはお腹がマシになるまで、しばらくぼんやりして過ごした。


 そして、動けるようになると、名古屋駅まで戻り、今日の宿泊地である静岡を目指し、電車に乗った。

 狼少女の捕獲失敗から数週間後、僕らは部室に集まっていた。
「あー、悔しい。一度ならず二度までも! 思い出すだけでも悔しすぎる! ハル! 酒!」
「日和……おっさんみたいになってきたな……彩音のせいだ」
「何? 人に責任押し付けないでよ。幼馴染みの管理くらいちゃんとしなさい」
 いつもの和気藹々な感じである。
「そうそう、狼の子の正体が判明したわ。やっぱりニホンオオカミじゃなかったみたい。絶滅が懸念さ

れているアメリカアカオオカミだって」
 実はあの日、山犬の集団に追われて逃げる際、彩音が根性一発で狼少女の尾部の毛を少量毟っていたのだ。


 日和はその毛を諸雨教授に依頼して遺伝解析してもらった。その結果が今日、出たのである。
「アメリカかービッグだな」
 徹夫が単純な感想を漏らす。
「そんな感想はいいの。問題は何で保護対象の外国の動物が尾天なんかにいるのかってこと」
 これにはみんな頭を抱えた。
 しかし、反例ならここにいるやおよろずのメンバーが既にそれを証明している。
 日本にいない動物に変身できる彼らのルーツは何なのか?
 全くもって不可解。想像の域を出ない……


「そういえばさ、人獣のこと教えてもらったのって、諸雨教授からだったよね? 教授は他にも見たこ

とあるのかな?」
 ツバキが日和に聞いた。
「あるみたいよ。捕獲しているのもいるみたいだけど、でもあの施設にはいないみたい」
 僕はふと、人に変身する動物はどんな感情を抱くのかと想像してみた。
「人に変身するっていうと、人の言葉を話したりもできるようになるのかな?」
「なるみたい。学習能力は通常の獣の数倍はあるって聞いたことがある」
「なんかそうなると……人間も獣もごっちゃでわけわかんなくなるね」
 確かにツバキの言うとおりだった。
 場合によっては、人獣にも人権が与えられるのかもしれない。


「あのさ、ふと思ったけど、人⇔動物、動物⇔人ってのはいるのわかったじゃん。でも人間だけが基準

てなんかおかしくね? 世の中には動物⇔動物……例えば、狐⇔狸とかに変身できる動物もいるんじゃ

ないか、って思ったんだけど」
 珍しく徹夫が鋭いことを言った。
「そうよねー、動物の他種化ってのもあるかもしれない。でも動物は動物として見ちゃうから、全然見

分けつかないと思うなー」
 日和も動物⇔動物のケースは知らないらしい。
「人間が動物に変身できて、動物が人間に変身できて、動物が他の動物に変身できて……なんだろう。

これじゃ全部一種みたいなものじゃない?」
「いやいや、俺らみたいなケースは希だから、自分を中心に考えないほうがいい」
 しかし、ツバキの言いたいことはわかる。
 そもそも、何故、他種への変身という現象がこの世界に少なからずあるのかと。
 今日は妙に真剣に考える機会になった。


「あ、そうそう。狼少女の捕獲は教授が興味持ったみたいで、協力してくれるって。人員を集めるのに

少し時間がかかるから待ってくれって。それと――」
 日和はそう言って、話題を変え、カバンからある旅行パンフレットを出してきた。
「実はね、あたし、一度行ってみたかったところがあるんだ」
 パンフレットには岩手県の遠野と記されていた。
「遠野?」
「うん。遠野。遠野ってさ、いろいろ妖怪の目撃例があるでしょ。カッパ淵のカッパとか有名だし。あ

たしね、ふと思ったの。もしかしたらあたし達の仲間じゃないのかって」
 それはあまりにも突拍子な提案だった。


「まぁ、行ける人だけでいいかなーって思うんだけど。試験終わったらさ、春休みを利用して、何泊か

遠野に行こうと思うんだ。誰か一緒に行ける人、行かない?」
 少し先のことだが、メンバーの反応はまちまちだった。
「妖怪探検か……面白そうだな。日和、ちょっと予定を考えてみるから待ってくれよ」
「僕も妖怪さん見たい!」
 男性陣はこの手の話が好きなようだ。
 みんな乗り気で、早速予定を確認している。
 一方女性陣は何やらパンフレットで観光名所をチェックしているようだった。


 こうして、日和の提案により、遠野の妖怪探検のフラグが立った。
 この時は誰も妖怪がいるんなんて信じていなかった。
 しかし、彼らとの接触が、僕らの運命を大きく変えてゆくことになる――

 ――2011年。



 新年明けてまだ冬休み。
 僕らは再び、尾天の山にいた。
 動物に変身する体質を治すために必要とされる人獣を生け捕りにするために……
「はぁー、さみぃー」
 徹夫がブルブル震えて言った。
「何、根性ないこと言ってるの、あんた、それでも狼?」
 一方、彩音は強気だった。
「いや、そう言われても、今、全然毛を生やしてねーし」
 冬の森は、雪が積もり、真っ白な空間と化していた。
 木々の隙間から遠くが見渡せる。
 見晴らしのいいことは利点だ。


 今回は変身せず、人間の姿のまま&麻酔銃のみで捕獲する作戦だ。
 しかし、空中には日和の鬼文字が描かれている。
 細かく指示が書かれている。
 人間時のやおよろずのメンバーは人並み、もしくは人並みより少し上の運動量。
 今回は頭脳戦だ。
 やおよろずのメンバーは三つの班に分かれて山に潜入。
 レシーバーで連絡を取り合って、狼少女を追い詰めていく作戦だ。


 前回の失敗でわかったことは二つ。
 狼少女はフランクフルト好きで、鬼文字を火と認知して恐るということ。
 今回は鬼文字で囲った中にフランクフルトを設置した。
 三班に分かれて山を捜索し、狼少女を見つけ次第、罠に誘導する。


「はぁー」
 吐く息が白い。
 しかし、凍えていた体も山を歩き回っているうちに火照ってきた。
 日が昇ってから、昼食を取り、時間はそろそろ夕方に差し掛かっていた。
 今日は遭遇しないかもと諦めかけたその時、僕は赤毛の狼を再び視認した。
「いた!」
「ナイス、アキ!」
 狼少女はまだこちらに気付いていないのか、シッポを巻いて寝ている様子だった。


 もしかしたらこのまま麻酔銃を射てば勝ちなんじゃないか?
 そう思うものの、動物は危機が迫った時の反応が異常に速い。
 今回は慎重かつ確実に捕獲を試みるつもりだ。
「アキ、行って」
「う、うん……」
 僕はフランクフルトを持って、狼少女に近付く。
 すると、狼少女の耳と鼻がすぐに反応し、狼少女はゆっくりと目を覚ました。
「!」
 間近で見ると結構大きい。最初に出会った時は、いろんなことが同時に起こりすぎて、記憶が混乱していた。
「……」
 狼少女は警戒してか、すぐ立ち上がり、僕と対峙した。


 僕は十分にフランクフルトを見せびらかし、すぐに逃げる。
 僕はハッキリ言って、囮役。罠のある方に導いていく。
 僕の不可解な行動にぼんやりしていた狼少女だったが、餌が消えるのと思ったのか、すぐに追いかけてきた。
「速いいいいい」
 狼少女は速い。僕はすぐに捕まってしまう。
 狼少女が真後ろに迫り、恐怖を感じていたその時、狼少女の足が止まった。
 違う方向を向いている。その視線の先には麻酔銃を構えた日和と愛子がいた。
 どうも麻酔銃を射ったものの、失敗したらしい。
 僕は日和と目を合わせると、日和が行けという風な仕草をしたので、一瞬立ち止まった後、再び走り始めた。
 狼少女も日和達を警戒しつつも、また僕の後を追いかけてきた。
 餌については貪欲なのが、動物の捕獲しやすいところだ。


「日和、中に入った!」
 罠に入った僕はすぐに日和にレシーバーでコンタクトした。
「オッケー! それじゃ、出口はあたしが鬼文字で塞いでおくから、アキは出て」
「了解」
 僕は鬼文字で囲まれた空間の中心にフランクフルトを置いた。
 そして、そのまま真っ直ぐ鬼文字を通り抜ける。
 僕は鬼文字は無害で、ただの光の軌跡であることを知っている。
 しかし、狼少女にとっては、火に見えるのだろう。
 狼少女が餌に釣られて中に入ってきた。
 僕はもの影に隠れる。


 日和は走って、指先から赤い軌跡を描き、出口を塞ぎ、完全な密室空間を完成させる。
「みんな、罠が完成したわ。急いで三番目のエリアに来て」
 狼少女は慎重な足取りでフランクフルトに近付き、鼻をひくひくさせて匂いを確かめ、パクリつく。
 両前足を器用に使って、棒を食べてしまわないようにして、肉だけ食べている。
 ちょうどいいタイミングで、全員がやって来て、鬼文字を囲むように配置したのがわかった。
「よし……絶好のチャンス。みんな、それじゃあ、三秒後に射撃開始」
 日和がレシーバーでカウントダウンを開始する。
 僕も麻酔銃を構えた。


 緊張。
「1――」
 僕らは狼少女に向かって麻酔銃を発射した。
「!!」
 しかし、狼少女は場の空気の違いにすぐに気付いた。
 フランクフルトを咥えて、逃げ出そうとする。
 ところが、周りは完全に鬼文字で囲まれている。
 狼少女にとっては、炎に囲まれたように感じるのだろう。
 狼少女は鬼文字で囲まれた空間を走っては止まり、走っては止まり、それを繰り返していた。
 その間、僕らは麻酔銃を撃つ。
 しかし、限られた空間でも、動く標的は当てにくい。
「きゃうん!!」
 今までなかなか麻酔銃が当たらなかったが、狼少女の声色が変わった。
 どうも誰かがの麻酔銃がとうとう狼少女に当たったらしい。
 勝利の女神は僕らに微笑んだ――



 そう思った矢先、狼少女が大きく息を飲んだ。
「みんな、すぐに耳栓で耳を塞いで!」
 日和がレシーバーで叫ぶ。
 日和の直感は正しかった。
 すぐに狼少女は不思議な鳴き声を発した。


「クルルルルルルゥ――――」


 僕は動物に変身しない。だから耳を塞ぐ必要はない。
 狼少女の発したその声は日和達が用いる鬼を退けるための鳴き声に近かった。
「あおおおぉぉぉぉぉぉーん!」
 狼少女は続いて狼らしい遠吠えを発する。
 麻酔が効いたら、狼少女を運ぶだけ。
 そう楽観的に僕が考えていた矢先、状況は一変する。
「えっ、ちょっ、嘘っ!
 レシーバーからの日和の様子がおかしい。


 僕はすぐに日和のいる方向を向いた。
 すると……日和の耳が大きくなっていた。
「獣化……してる……」
 日和は見る見る間に毛むくじゃらになり、小さくなって、服の中に消えた。
 辺りを見渡すと、みんな獣化していっている。
 耳栓するのに失敗したのだろうか?
「!?」
 僕は体が異常に熱くなるのを感じた。
 そして、自分の腕を見ると、すごい剛毛になっていた。
「えっ……」
 しかし、僕に考える隙を与えず、嫌な音が響いてきた。


「山犬の群れ!」
 遠くから大量の山犬がこちらに向かってくるのが見えた。
「アキ、撤退! この姿じゃムリ!」
 いつの間にか足元に日和が来ていた。日和は久々に見る完全なフェネックの姿だった。
 他のやおよろずのメンバーも次々とやってくる。
 この中で一番足が遅いのは僕だ。
 危険を察知し、すぐに僕らは前回同様、半泣き状態で逃げ出した。
 今回もまた結局、捕獲は失敗に終わった。

 日和は話を続ける。
「大学入ってすぐの時にね、あたし、失敗しちゃったんだ。立て続けにイベントがあって、なかなか変身したい時に変身できなくて、体がすごくウズウズしていたの。それで、どうしようもなく我慢できなくなって、中庭の影で変身をしていたのね。すると、それを偶然通りかかった諸雨教授に見られたんだ。あれがもし、違う人だったら、あたしは今ここにいないかもしれないな。あたしはすごく動揺したんだけど、諸雨教授は以前にも動物に変身する人を見たことがあるらしく、割と普通に対応してくれた。あたしは正直に、自分が変身体質であることを打ち明けると、教授は興味を持ってくれて……いろいろ話をするうちに、教授が変身体質を治す薬を開発してくれるって話になった。前に少し言ったかもしれないけど、諸雨教授は遺伝子を解明して、様々な病気のメカニズムを治療する研究を行っているんだ」
 その出会いは偶然だったのか、それも必然だったのか。
 求めているところに、求めているものがきた。


「それで、鬼についても相談すると、動物化させられた人へのスペースをくれてね……あの檻だけど……良かったと思っている。あたしは助けられなかった。あの施設を紹介されるまでに鬼と遭遇した人達は……」
 日和は遠くを見つめ、目を細める。
「治療薬開発のための研究への協力としてね、いろいろ身体検査やるんだけど……それでわかったことは……」
 日和の目が再び溢れんばかりに溜まっていた。
「あたし達……やおよろずのメンバーはね……あと十年も……生きられないんだって……」
 それは死の宣告に等しい。
「……。本当……なの……? 間違っていたりしない?」
 僕は否定してあげたかった。
「だって、教授から直々に言われたから。やおよろずのメンバーの身体測定の結果、三十近くで死んじゃうって」
 僕は必死になって考えた。日和を否定する材料を。


「諸雨教授は人の寿命に関する研究でも有名なの。だから……このまま毎日変身を繰り返していくと、通常の人々の三倍もの細胞分裂が行われて、どんどん寿命が短くなっていく……だから、変身はできるだけしない方がいいって忠告されたの」
 僕は文系だ。理系の詳しいことはわからない。しかし、そんなデタラメな話を鵜呑みにされたら困る。
「その話は……やっぱり間違っていると思う。だって、僕らは出会ったじゃないか。尾天祭りの時、カバに変身できるおばあさんに!」
 そう、あの時、僕らは遭遇した。そして見た。カバに変身するおばあさんに。


「そうだね。でも年齢は聞いたことなんてないから……もしかしたら、急激に老けたのかもしれない。おばあさんはあんまり変身しなかったのかもしれない。でもあたし達は言われたんだ。今から十年以内に寿命が尽きる可能性が高いって。あたし、もっと普通に生きられると思ってた。世界中で獣化仲間を見付けて、友達になろうって考えてた。でも、あと数年じゃ……全然、全然足りないよ!!!」
 日和の人生設計は既にしっかりしたものがあったのかもしれない。


「あたし、もっと生きたい……もっと生きて、いろんな人と出会いたい、いろんなことを知りたい、物語も書きたい。でもどうしよう、怖いよ。今こうしている間にも、あたしの寿命は減ってく。人生に後悔無いよう、何かしなきゃ。でも何をすればいい? どうしたら自分は満足して死ねる? わからない。タイムリミットがわかると、生きているのがすごく怖い。それに、あたし、どうしたらいい? みんなにもこのこと伝えなきゃ。でも、伝えたくないよぉ……」
 日和は泣いた。様々な感情が溢れ出て、ただひたすら泣いた。
 僕はそんな日和をただ静かに一緒にいてやることしかできなかった。
 僕は日和が落ち着くのを待った。
 日和は涙が枯れるまで、泣き続け、彼女の思い出話に耳を傾けた。


「僕の背中にも生まれつき、羽の痣がある。動物への変身はできないけど、日和の話は僕にも関係があるかもしれない。それに、そのことがもし本当なら、みんなにはちゃんと伝えた方がいいと思う。覚悟が……できるはずだから……」
 僕は日和を慰め、夜に身体検査を受けたやおよろずの全メンバーを部室に強制招集した。
 そして、日和の口からは言いづらそうだったので、僕が代わりに代弁を務めた。
 やおよろずのメンバーの反応は様々なだったが、みんな、自らの運命を受け入れてくれたようだった。
 しかし、絶望ばかりではない。
 日和の話によると、変身体質の治療薬とともに、延命への研究も同時に行ってくれているんだそうだ。


 メンバーは今後、変身はできるだけ我慢するようにすることが暗黙のルールとなった。
 そして、クリスマス。昨日に続いて、僕らは馬鹿騒ぎをした。
 それまでの告白を打ち砕くように、みんなでただひたすら、笑いあった。
 外では、星が輝いているのに雪がどこからか舞い散る、不思議な夜だった。

 あの気丈な日和が泣くなんて信じられない。
 気が付けば、僕は日和を追っていた。
「日和ー!」
「!」
 日和に声は届いている。
 しかし、日和は僕から逃げるように走っていく。
「何で逃げるんだ?」
 僕が何かしたのだろうか?
「うーむ」
 思い当たる節がない訳でもない。
 昨日の飲み会で酔った勢いで何かしでかした可能性は大いにある。
「……」
 しかし、それも日和に聞いてみないとわからない。


「日和!」
 僕は逃げる日和の腕を掴んだ。
「……」
 日和は意外にもあっさり捕まった。しかし、顔はこちらに見せない。
「何があったんだ? 昨日、僕が……何かしでかした?」
 僕は問いかける。
「……。アキは……関係ない」
 日和は小さな声で吐き出すように言った。
「じゃあ、何で泣いているんだ?」
「アキには……アキには関係ないから……あたしを……あたしを放っておいて!
 日和に強く腕を振るわれる。
 いつもの僕なら、これでショックを受けて退散していただろう。
 しかし、この時の僕は、無性に腹が立ってしまった。
「何が関係ないんだよ!! 何で泣いているのか理由を教えてくれなきゃ、僕も納得できないだろ? それにもう、僕らはやおよろずの仲間じゃないか!!」
「……」
 僕は勢いに任せて言ってしまった。
 すぐにハッとなった僕は、すぐに謝ろうとして――


「う、うわあああぁぁぁぁーん! あたし……あたし達……あと、十年も生きられない
「えっ……」
 僕は日和の言葉に大きな衝撃を受けた。




 僕は日和を落ち着かせるため、場所を変えた。
 キャンパス内の人気のないベンチで二人で座る。
「はい、ココア」
「……ありがと」
 部室に戻ることも考えたが、酔っている彩音に絡まれるのは部が悪い。
 とりあえず、静かな場所を選んだ。
「はぁー……」
 ココアを飲んで少し落ち着いたのか、日和はもう泣き顔じゃなかった。
 しかし、人気のないところを選んだのは自分であるものの、変に意識してしまい、妙に緊張してくる。
 コレハイケナイ……
 僕はどうしたらいいのかわからず、俯いて黙った。


「あのね……自分の寿命って考えたことある?」
「寿命……?」
 日和が遠くを見つめながら切り出した内容は、唐突な話だった。
「あたし達、動物に変身できる体質の人達って、やっぱり普通じゃないでしょう。だからね、変身体質を治す方法を探しているの」
 それは意外だった。
「中にはね、やっぱり上手く変身をコントロールできない子もいて、感情の起伏で人前で変身しちゃう子もいるんだよ。そういう子はね、他の子から変な目で見られるようになって、心に大きな傷を負っている。そういう子は、自分の変身体質がトラウマなんだ。簡単に自分の体質を受け入れられないんだよ」
 やおよろずのメンバーは前向きな性格な人達ばかりで、そういうことは考えたことがなかった。
「でも、さすがにあたしでも変身体質を治す方法はわからなかった。でもどうにかしたいと思っていた」
「……。日和は……フェネックに変身するその体……嫌いなの?」
 僕は動物に変身したことがない。だから、変身体質の人達の気持ちはわからない。


「……ううん、あたしは、好きだよ。持って生まれた体質だから。この変身体質は、あたしの個性だから」
「よかった。日和は――その……フェネック姿でも……かわ……いいから……」
 僕は自分で言って、顔が熱くなるのを感じた。
 日和は驚いた顔をした後、優しく微笑んだ。
「ありがと。あたしはいいんだ。別にこのままで。でもやっぱり変身したくない人もいるから、そんな人には選ばせてあげたいんだ。変身体質を治すか、そのままで生きていくのか」
 僕は正直にすごいと思った。自分ではそういう考えには到底至らなかっただろうと思う。


「あたしは探していたんだ。そういう治療ができる人を。子供はそういう研究者の人とかあまり相手にしてもらえないけど、大学に入ったらそういう研究者の人達と近くなれる。探そうと思った矢先だった……これは運命っていうのかな。出会っちゃたんだ、そういう人に、この春、この大学で。それが……諸雨教授――」


 大学祭も期末テストも終わり、季節は巡って冬。クリスマス――
 学校のイベントが忙しくなったこともあり、あれから狼少女の捕獲は行われなかった。
 すっかり冬休みに入ったやおよろずのメンバーは、各々の生活の中で、暇があれば、部室を利用していた。
「今日はクリスマスだねん。昨日に引き続き、パーっとやっちゃう? やっちゃう?」
 部室にて。彩音が嬉しそうに焼酎を手にしていた。
 昨日、クリスマスイブということで、用事も恋人もいない暇な面子は、部室に集まって、夜通し酒盛りをしていたのだった。
 僕も飲みすぎて二日酔い……潰れたので部室で一夜過ごすことになった。


「彩音さん強すぎ、まだ飲み足りないんですか?」
 他の面子はまだ寝ている。
「お、復帰第一号。付き合ってくれるのかい?」
「無理無理無理っす! 昨日、飲みすぎました!」
 このままここにいてはまた飲まされる。
 そう直感した僕は、フラフラしながら部室を出た。
「うおー、寒いー!」
 酔いが一気に冷めそうだった。
「な、何か、酒以外の飲み物を……」
 僕は校内のコンビニを目指して歩いた。



 構内掲示板に差し掛かる。
 何となくボーッと見つめて、ある写真が目に付いた。
 それはある部活の大学祭での写真である。
『フェイスメイクして、君も動物になっちゃおう!』
 造形美術学科だったか。話を聞くに、毎年やっているイベントらしい。
 尾天地域は何故か、動物に化ける逸話が多い地域である。
 それに倣うこの地域のイベントもちょくちょく見かける。
「……」
 これまでだったら、こんなものが目に入ってもスルーしていただろう。
 しかし、今は違う。
 フェイスメイクでは到底及ばない、本物の獣化というものを僕は知っている。
 人生、何がきっかけで日常から外れるかわからない。
 そう強く感じた。



 尾天祭以来、鬼は見ていない。
 どこでどういう条件で出現するのかは全く不明だが、アレと遭遇しないにはこしたことがない。
「……」
 僕は時々、動物に変身させられた人の様子を見に、山の実験施設に足を運んでいる。
 動物化した人々とコミュニケーションを取るのは難しいが、最近流行りだした、タッチパネル式のPCがかなり役に立っている。
 おかげさまで、動物化した人々の身元はすべてわかっている。
 しかし、特殊な事情のため、動物化させられた人々は行方不明扱いになっており、親しい間柄の人と会うことはできない。
 檻の中で過ごすことが一日の大半で、見ているだけでも同情したくなる。
 僕はそんな人々の話し相手になるために、足を運んでいる。
 それは日和も同じだった。
 実験施設の職員は日和が変身できることを知っている。
 だから、この施設では、日和は気兼ねなく変身することができるのだった。
 日和は動物化させられた人々と触れ合うために、フェネックに変身して触れ合う。
「怖くないよ。大丈夫だからね」
 情緒不安定な人々に声を掛けて回るのだ。
 日和は人に戻れるので、それが動物化させられた人々の心の傷に触れることもあるが、日和は強く、元に戻る薬を開発していると説くのだった。



「お茶、お茶……ん?」
 僕がコンビニに向かっていると、俯き加減な日和の姿を見た。
「おーい、日和」
 僕は声を掛けてみた。
 するとその刹那、日和は僕の方を向き、瞬時に他の方向に走っていこうとした。
「日和……?」
 妙な胸騒ぎがした。
 こちらを向いた日和は泣いているように見えた……

 翌日、部室にて。
 日和の召集がかかり、やおよろずのメンバーが集まる。
 体のあちこちに傷を負っているものの、あの状況で命があったのはむしろ、幸運だったと思う。
 山を下りた後、呪縛が解けたみたいに、僕以外の動物に変身していたメンバーは人間の姿に戻った。
 しかし、服は脱ぎ捨てていたので、全員全裸。
 いろいろ危ない状況なのだが……一般常識から考えるとおかしなことだが、メンバー同士はお互いに見慣れているので、

女子達が特に騒ぎ立てる様子もなく、問題はどうやって家に帰るかということだった。
 そんな時、いつの間にか下山していたユイが全員分の服を用意していたのだ。
 ユイは日和を追っている途中で気になる花を見つけ、観察しているうちに徹夫達に置いていかれ、僕らの残り組を探すも見つからず、一足先に山を降りて、万が一のために服を買っておいたのだという。
 昨日のベストオブGJは間違いなくユイだった。


「しゅん……」
 珍しく日和に元気がなかった。
 狼少女に触れることもできず、動物にされて返り討ちに遭ったというのは、プライドの高い日和の心をズサズさに切り刻んだに違いない。
 他のメンバーも面持ちが重かった。
あーもー! あとちょっとだったのにぃー!」
 日和が堰を切ったかのうように叫んだ。
「追い込んだのに、追い込んだのに……」
 日和がブツブツグダっている。怖い。


「驚いたけど、昨日の狼、確かに女の子に変身していたな」
 ハルが冷静を装って言った。
「嗚呼、確かに狼だった」
 徹夫が複雑な表情で言った。
「あれはやっぱ、徹夫の親戚とかじゃないん?」
「違う違う。明らかに人間の動きじゃなっただろ? あれは獣が人に化けたものだよ」
 ハルに説明する徹夫。


人狼……そう言えば、人狼って、あの女の子と、徹夫。どっちのことを言うの?」
 ハヤセが徹夫に聞いた。
「そりゃぁ、人狼て言ったら……あれ、どっちだろ……?」
 徹夫は自分で言って、考える。
「狼なんじゃないの? 人に化ける狼って書いて人狼でしょ。徹夫の場合は狼に化ける人で、狼人っていうのが適切じゃない?」
 彩音が言った。
「あ、なるほど」
 ポンと納得した様子で徹夫は手を叩く。


「それにしてもハヤセ。お前、アシカなのに、山道を滑るってどういうこった?」
「ふっふっふ。日々の鍛錬の成せる御技よ……尾天って、山ばかりでしょう。アシカに変身できることがわかってからも、山で遊んでいたら、自然と滑れるようになったの。こう、ダンボールで草原滑る的な?」
「そういうもんかねー」
 ハヤセの回答に徹夫は納得いかない様子だった。
「意外だったのは、ツバキちゃんもよね。蹄であんなに走れるもんなんだねー」
「アルパカもやる時はやるのよ!」
 ハヤセがツバキに聞いて笑った。
 みんな口々にしゃべる。命の危険性があったというのに、結構楽しかったらしい。


もぉー! あれは何なの? あんなの聞いてない。動物の姿のまま固定されるって何?」
 日和がまた発狂した。
「確かにあれは謎だな」
「鬼の進行方向変える、日和に教えてもらった鳴き声に似ていたな」
 経験者は語る。
 僕にはよくわからないが、狼少女が変わった鳴き声を発して、それを聞いた日和達はすぐに動物の姿になってしまい、元に戻れなかったらしい。


「超能力……?」
「超能力か。確かに、それは人間だけに当てはまるものじゃない。人間に変身できる狼だから、そういう能力を持っていて

もおかしくはないな」
「狼を超えた狼……あんたより全然強うそうね、徹夫」
「う、うっせぇ! おれは狼じゃなくて人間だ!」
 昨日、体験したことについて、それぞれ語る。
 日和としては捕獲したいものの、その打開策は全く浮かばなかった。


「小娘め……必ず生け捕りにしてやる……」
「……」
 日和は今日にもまた山に入ると言い出しそうな勢いだったが、みんな怪我をしていることもあり、しばらくは安静にしていることとなった。

「アウッ!?」
 後方からの追っ手を振り払おうと動き続けていた狼少女は、目の前に恐るべき赤い光があることに気が付いて失速した。
 狼少女の本能が告げる。これは触れてはいけないものだと。
 狼少女は左右を見渡し、これを回避する方向を探す。
「ようやく……追い詰めた……」
「日和、もうダメ、休ませて……」
 彩音がパタリと倒れると同時に、日和が人の大きさに大きくなりながら、降りた。
「彩音、サンキュー」
「……」
 狼少女は初めて見る異質な存在に目を見張っている。
 今までこんな獣は見たことない。
 獣人形態になった日和はすかさず、自分の前で腕を上下左右に動かし、指先から迸る赤い軌跡を描いた。
 狼少女にとって、それはあたかも巨大な火のように視えた。


「勘は当たっていたわね。あなたもこれが視えている……獣は火が苦手っていうし」
 日和はもしかしたらと思ったのだ。
 獣人としての能力を合わせ持つ自分たちに鬼文字が視えるのなら、人獣も視えるのではないかと。
 しかし、狼少女はこの鬼文字が何なのかはわからない。
 さながら、火に囲まれたように視えるだろう。
「あ! いた!」
 日和と狼少女が退治している後方、追っていた三人がようやく追い付いた。
「赤毛の狼……」
 狼に変身できる徹夫にとっては、不思議な親近感がある。
「グルルルルル……」
 狼少女は間合いを図っている。
 すると、変化を始めた。


「!」
 体中の毛が縮み始め、大きな体が華奢な10代を思わせる女の子の姿に変わっていく。
「本当に変身を……」
 日和は驚きながら見つめていた。
「ハッハッハッ」
 しかし、その息遣いは獣そのものだった。
 狼少女は赤髪の人間の少女と化した。
 狼少女は賢い。日和を見て、人間に擬態した方がいいと判断したのだ。
 そして、人間に変身した狼少女は、虚を突いて鬼文字のない方向に四足で走っていく。
「あ、しまった! 彩音、元気になったらまた追ってきて」
「うえーい」
 ここからは自分で走るしかない。


 相手が四足歩行なら、こちらも四足歩行で挑むか……日和がそんなことを考えて走り出すと、ちょうど、後から来た三人衆と合流した。
「徹夫、ハル、ツバキ!」
「日和、まじで変身したな、あの狼。あれはもう人獣確定だろ」
「うん。間違いない。あの動きは人間ができるもんじゃないわ」
 狼少女は恐るべきことに、人の姿になってもあまりスピードが落ちていない。
「こうなったら、みんなバラけて、あの子を囲むようにして捉えるよ」
 日和が指示を送り、四匹はそれぞれ、バラバラの方向に走った。
 しかし、あの狼少女は速い。全然追いつけない。
 日は間もなく空に光の余韻を残して、闇に染まろうとしている。
 このままでは逃げ切られてしまう。


「!?」
 そんな時、狼少女が岩の上によじ登り――二足で立ち上がった。
 今までと行動が違う。
 日和は直感的に追うのをやめた。
「みんな、あの子に近付かないで! 何かしてくるかも!」
 その予感はすぐに形となって現れた。
「あおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉーん!!!!」
 吠える。
 狼少女は山に響く遠吠えを発した。
「あおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉーん!!!!」
 それが何を意味するのかはすぐにわかった。


「ゲッ……」
 狼少女の周りに……野犬が集まり始めている。
 その数はドンドン増え、軽く、日和達の五倍に膨れ上がった。
「これは……マズイ……?」
 状況的に一気に劣勢に追い込まれた。
 二本の足で立ち上がった狼少女は咥えていたフランクフルトを片手で持った。
「!?」
 狼少女は学習したのだ。人間を観察して、人の姿の時に、どう体を動かるのかを。
 狼少女の周りに野犬がどんどん集まってくる。その数はもう……数え切れない……
「おい、まじかよ」
「徹夫も鳴いてこっちに味方を」
「無茶言うなよ、ハル。向こうの鳴き声なんてわかるかよ。下手に鳴いたら一気に襲われるぞ……」
 冷や汗を流す日和達。
 一方、優位に立った狼少女は孤高の存在として、岩の高みから日和達を無表情で見下す。
 そして、鳴いた――


「クルルルルルルゥ――――」


 その鳴き声は、日和達が退魔に使う声に非常によく似ていた。
「! えっ! ちょっと、な、なにこれ……?」
 狼少女の不思議な鳴き声を聞いた直後、体が変化し始めた。
「ちょ、ちょっと! コントロールできない!」
 それは日和だけではなく、ハル、徹夫、ツバキも同じだった。
 体が獣人の形態から完全なる動物の姿に変わっていく……
「えっ、ちょっ、戻らない? 何で? 何で?」
 日和は明らかに焦った。どこからどう見えてもただの小さな狐。
「ガルルルルル……」
 嫌な声がする。狼少女に寄り添う山犬達は飢えているかのようにヨダレを垂らしていた。
「嘘……動物の姿じゃ食べられる……」
 圧倒的な体格差。ツバキと徹夫はまだ戦えるにしろ、小動物であるハルと日和は噛み付かれたら即お陀仏だ。
 しかし、孤高の山犬の女王として君臨する狼少女は追い討ちをかけるようにして鳴く。


「アオオオオォォォォォォーン!」
 その一鳴きで、山犬の群れが一気に日和達の方に走り出した。
「やっば……ヤバヤバヤバ。逃げろー!!!
 四人は圧倒的な劣勢を感じて、一目散にUターン。
 半泣き状態になりながら、山を駆け下りていく。
「ひいいいい、食べないでー
 後ろを振り返ってはならない。
 あの圧倒的な数に戦意喪失してしまうかもしれないからだ。
「うおぉぉぉぉぉ!」
 負け犬の鳴き声よろしく、日和達は泣き叫びながら逃げる逃げる逃げる。
「あ! 彩音! 寝てないで逃げてー!
「んむ?」
 日和はそう言って、彩音の顔を踏んづける。
「痛っ、ちょっと、日和――」
 彩音の顔を踏んづけて走り去った彩音は、日和に怒ろうとしたが、後方を見て、すぐに状況を把握した。
「う、うわぁぁ!」
 彩音は山犬の群れに慌てて飛び起き、すぐに降下を開始した。


 その頃、狼少女は戦利品の冷めたフランクフルトを、手で持って、美味しそうに食べていた。

「ちょっと、日和! あんた一体何したのおぉぉぉー?」
「追い詰めたのに、追い詰められたああぁぁぁぁー!
 彩音はすぐに日和達に追い付いた。
 鼻息と足音が近付いてくる。もっと早く逃げないと。
「しゃーない、チビ達回収!」
 彩音は器用に、フェネック姿の日和とイタチ姿のハルの背中を咥えてさらに加速する。
 駆ける一歩が違うから、日和やハルが自分で走るよりも、彩音に咥えてもらった方が速い。
「あ、顎しんど……徹夫、ハル、パス!」
「うわあぁぁぁ!」
 彩音はこれまた器用にハルだけを徹夫の方にぶん投げた。
 かぷ。
 徹夫は無言でハルを咥えてキャッチ。
 ツバキは首が長い分、枝にぶち当たりまくりで可哀想だが、今はそんなことを気にしていられる状況じゃない。
 五匹は逃げて逃げて逃げまくった。



 そして、視点は再び、アキに戻る。

 日和達はどうなったのだろうか?
 すっかり日が沈み、星が輝き始めた。
 僕ら残され組は山を登っていたものの、狼少女を追っていったメンバーには到底追いつけないと思っていたので、その足

取りは重かった。
 ぴくっ
「ねぇ、なんか変な音が聞こえない?」
 愛子が怪訝な顔をして、山の上の方を向いた。
 ドドド
 確かに変な音がする……気がする。
 ドドドド
「なに……あれ……?」
 それは――とてつもなく恐ろしい光景だった。
「みんな逃げてえぇぇぇぇ」
 彩音に咥えられた日和がジタバタして、半泣き状態で叫ぶ。
 問題はその後ろ、大量の犬が追いかけてきている。
 一気に血の気が引いた。


 状況を察した残りのメンバーは山下に向かって一気に走り出した。
 シズと愛子は走りながら獣化する。
 巨大化した方が足の一歩が大きい。
 服は見る見る間に弾け飛んだが、そんなことを気にしている場合じゃない。
 そして、早かった。
「私もお先ー」
「そんな……馬鹿な……」
 アシカに変身したハヤセが誰よりも早く、山を下りていく。
 水気もないのに、どうしてそんなに滑らかに山道を滑走していけるのか……?
 とにかく、一番足が遅いのは僕だった。
「アキ、掴まって!」
 そう言って、後ろから首を出される。
 僕は無我夢中でアルパカのツバキの背中にしがみついた。


 しかし、背中のリュックが重い。
「くれてやる!!」
 僕は全員分の着替えと食料を入れたリュックを後方の山犬立ちに向かってぶん投げた。
 飢えた山犬達は、餌の匂いにすぐに気が付き、こぞってリュックを貪り始める。
 これが機転だった。
 山犬達との距離を離し、僕らはボロボロの状態で下山した。

 ここで視点はアキから狼少女を追いかけた、やおよろずの面子に移る。
 フランクフルトを強奪した赤毛の狼は慣れた山道を勢いよく駆け上る。
 そのやや後方。追いかけるは半獣化した日和。
 感情に任せたまま半獣化して追いかけたため、服がもう千切そうな勢いだった。
「クソッ、邪魔! 安もんだし!」
 日和は爪を立て、走りながら自分の服を破り捨てる。
 より獣へと近付いた彼女は手を地面に着き、四足で走り始めた。



「あの狼も日和も疾えぇよ」
 さらに後方。追いかけるは徹夫、ハル、彩音。
「待って待ってー」
「ツバキ……やるな……」
 山を走るアルパカというのは何とも異様な光景だ。
 四人は日和を目印に後方から追いかける。



「ハッハッハッハッ」
 狼少女は追いかけてくる気配に気付いている。
 何とか振り払おうと、山道をジグザクに駆ける。
「クッ、すばしっこいやつめ」
 しかし、半獣化して筋力を走行向けに強化したからといって、走り慣れていない山道を駆けるのは結構しんどい。
 何か足を止めるいい手はないかと考えながら走る……
「ハッハッハッ、追いついた――」
「! 彩音!」
 さすが大型肉食獣。チーターではないにしろ、ヒョウでも十分な速さだった。
 狼はこちらを揺動しようして山道をジグザクに走っているようにみえる。
 ならば、一直線に走り抜いて、先回りすることはできないだろうか?


「彩音、乗せて! 一直線に走って先回り」
「あいよ!」
 日和は彩音の方にジャンプし、体をサラに動物化して、フェネックの大きさになる。
 彩音もさらに動物化を進め、より完全なヒョウの姿に近付いた。
 日和が背中にしがみついたのを確認すると、さらに地面を強く蹴った。
 夕暮れ時、黄金色に染まった空間を無数の獣達が山を駆ける。
 それは、俯瞰から見れば、美しい光景だった。
「彩音ごめんね、ちょっと噛み付く」
 日和は彩音の耳元でそう囁いて、背中の獣毛に噛み付き、バランスを取りながら、右前足をピンと伸ばし、赤い奇跡を描き始めた。



「ハァハァ……彩音も相当早いぜ……ん?」
 後方の三人は途中から空中に赤い線が浮いているのに気が付いた。
「日和の鬼文字……なるほど。これはいい道標だ」
 ハルは日和が見失ってしまった時のために通った道筋を残しているのだと理解した。
「この日和の軌跡を追って行こう!」
 三人は続く。



「ハッハッハッハッ――」
 彩音は駆ける。斜め走りに合わせなければ、直線の方が早く近付くことができる。
 この考えはビンゴで、狼少女は目の前だった。
「日和、麻酔銃!」
「いけるかなぁー」
 日和は器用にシッポに巻きつけていた麻酔銃に前足を伸ばす。
 このままじゃ掴めないので、少し体を大きくして、手をヒトに近付ける。
 彩音の背中には彩音の体より少し小さな獣よりの人間の姿の日和が麻酔銃を構えていた。
「カウントダウン、3からいくよ。ギリギリまで近付いて!」
「ハッハッハッ! やってみる」
「ありがとう、それじゃ遠慮なく、3――」
 彩音は赤毛の狼の後方を捉えた。
「2――」
 地面を抉って、最速の力を発揮する。
「1――」
 獲物に襲いかかる勢いで跳躍――


「――――!」
 日和は運任せに麻酔銃の引き金を引いた――
 麻酔銃から発射された針は空を切る。
「くっ!」
 しかし、避けられた。
 日和は移動しながら銃を引くなんて行動をやるのは初めて。
 ビギナーズラックの女神は微笑まなかった。
「彩音、失敗。そのまま追い抜いて先回りしよう」
「ハッハッハッ、了解――」
 すぐに日和は小さくフェネックの姿に戻り、再び、彩音にしがみつく。
 狼が左に動く。その直後、彩音は狼を追いかけずに直進した。
 これで横に並ぶ形となった。
 赤毛の狼が黄昏の空間に映える。
 しかし、横に並んだ瞬間、狼は方向を左へと転換させた。


 異なる方向に逃げ切るつもりらしい。
「いい、この調子でまた追って、抜いて」
「ハッハッハッ……オーケー」
 彩音はスタミナ切れを少し感じてきた。
 しかし、支持に日和の従い、再び狼の後を追う――


 しばらく、そうして、狼を左へ左へと方向転換させていった。