「ストーリーオブマイライフ/わたしの若草物語」 若草・も | 走ることについて語るときに僕の書くブログ

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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。

 
 
あらすじ
南北戦争中のアメリカ。出征中の父を気遣いつつ暮らす母と四人姉妹が織りなすヒューマンドラマ。
 
 
あらまし
日本では明治時代に翻訳出版された世界的ベストセラー「若草物語」が原作。何度も映画化された本作の脚本・監督に挑戦したのは「レディバード」をヒットさせた女優出身の新進監督グレタガーヴィッグ。本人の強い希望により映画化の運びに。その意図が邦題に現れてる。<ナイスタイトル!

「レディバード」のヒロイン、シアーシャローナンを再起用。エマワトソン、フローレンスピュー、ローラダーン、メリルストリープとずらり主役級をそろえた女優陣、プラス、優男ティモシーシャラメと豪華…な割には「オールスター夢の競演」の臭みが抑制されてて…、あ、
 
あれあれ、え?アカデミー賞(←あまり関心がない)で衣装賞しか取れてないの?ホントすか!!作品、監督、編集、主演、助演賞を受賞してても文句出ないだろう、、、の出来と思う。比較論じゃなくて満足度高かったです。
 
 
ともあれ、
監督の個性(癖が強いという意味ではありません)がすくなからず反映された本作。できますれば、「レディバード」(グレタガーヴィッグ脚本・監督)、「フランシス・ハ」(グレタガーヴィッグ共同脚本・主演)を観ておくと一層味わいが深まるかも。けして器用じゃない愛らしい「ドジっ子(フローレンスピューの発言)」監督のキャラが反映された作品と思います。
 
 
 
かんそう
冒頭、ほどなくして次女ジョー(シアーシャローナン)がNYの街中を走り出します。とてもうれしいことがあったからです。
 
公式サイトより引用
 
 
この映画、こんな調子で登場人物たち(特にジョー)は走って、踊って、歌って、泣いて、笑って、とやたら動きまわります。南北戦争最中の暗い時世なのに(だからか?)アニマ(生命力)を感じさる明るさを放ちチャーミング。役者の台詞や表情は、体の動きが伴うと余計に引き立つ相乗効果がありますね…観ていて楽しくなってきます。
 
公式サイトより引用 
 
隣家の男の子、ローリー(ティモシーシャラメ)とジョーがイチャつくシーンが再三出てきます。でもソレは男女のイチャイチャじゃない…親しみを感じさせる爽やかさ?があってなんだかホッコリ。
 
ってか、「喧嘩ごっこ」に近いんですけどね。ジョーは暴力装置w。いきなり飛びかかったり枕投げたり殴ったりのハンサムな癖がある。
 
公式サイトより引用
 
 
「喧嘩ごっこ」…グレタガーウィックが共同脚本、主演した「フランシス・ハ」の冒頭、親友とじゃれて殴り合うカットが入ります。彼女たちはそれを「喧嘩ごっこ」と呼んでます。街中、いきなりプロレスごっこです。とてもかわゆいアラサーです。
 
「フランシス・ハ」予告篇より
 
 
そういえば、「フランシス・ハ」でもNYの街中をヒロインが(踊りながら)走るシーンがありました。バックにはデビッドボウイ「モダンラブ」が流れる印象的なアクト。
 
同じく「フランシス・ハ」より引用。こちらは「ストーリーオブマイライフ」のシアーシャとは逆方向。上手から下手に走ってます。
 
 
 
さて、
本作、「ストーリーオブマイライフ」で特筆したいのは各プロットが時系順ではないこと。
 
なので少々ストーリーが分かりづらく思うかもしれません。
実際、自分はラスト近くでやっと冒頭シーケンスの時系が分かったくらいです→鈍い。
 
でも基本的に流れは日常系・・・。なので人物が判別つけばだいたいつかめます。っつか、ストーリーが気にならなくなるほど映像が魅力的です。この世界観にずっと浸っていたい。映画が終わるのが惜しく思ってました。
終わってみると断片が自然にお話しとしてつながって違和感がない。気づいたら由来不明の涙系。
 
 
時系順に並べないオテンバな編集の理由はひとつではないと思います。自分の解釈は物語の作為性を避けたかった監督の意図が働いた、というものです。
 
 
人生って、ほら、起承転結ではないじゃないですか。
過去のいろんなエピソードを思い出せても時系列となると正確に並べられない。記憶って因果があれば覚えやすい。けど、因果って意外に見当たらない。ましてや伏線とかフラグが立つとか、、、ないない。
 
人のストーリーの中で各エピソードは記憶の中に点在していて、もやっと「あのころ」を把握をしてるのが実態じゃないかと。人の記憶の海のようなあいまいなモノをそのまま感じさせたかったんじゃないかとさえ思ったりします。
 
 
作中、ジョーが「よくある女性のしあわせのかたち」に反発する態度が繰り返し出てきます。
どうもこの監督、「かた」にハマるのを避ける性質に思えてなりません。繰り返し引き合いに出して未観の方、ごめんなさい…「フランシス・ハ」を観た方は(ネタばれになるから言えないけども)ヒロインのカタにハマらなさ具合が分かるかと思います。その意味で「若草・も」のブログタイトル。草草。
 
 
本作ラストも物語っぽいカタにハマらず「わたしの」にこだわった作家性が現れてます。ホントよく出来た背中を押してくれる邦題。えてして「わたしの」色が強いと押しつけがましさが出てくるじゃないすか。個性を強調しすぎて。
本作は「コレ、わたしのストーリー。あなたのは?」と画面からジョーが問いかけてくる感じがしてます。特にラストなど。その意味で個性を押し付けてる「押し」が抜けて好印象。
 
元気が出る作品です。