「マリッジストーリー」 永遠の愛情さえ信じてしまう離婚話。 | 走ることについて語るときに僕の書くブログ

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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。

先ずは、

Filmarksのトップ画像。☆4.1の高評価
 
 
 
んで、
観た直後のツイッター。直貼り、
 
 
 
 
あらすじ
舞台劇団監督チャーリー(アダムドライバー)と女優ニコール(スカーレットヨハンソン)はすれ違いから離婚を決める。円満な協議離婚を望むが互いに弁護士を立てる裁判になってしまう…。
 
 
あらまし
監督は「イカとクジラ」「フランシス・ハ」「ミストレスアメリカ」などで知られる映画作家ノアバームバック。彼自身の両親離婚(「イカとクジラ」のモチーフ)、彼自身も離婚経験あり、からの現在はグレタガーヴィックと未婚のままのお子さん持ち・・・。そんな監督の経験が作品に投影されてるンだろうなあ、と先入観から推測してしまうのは否めない。
 
才能ある演出家チャーリーには「パターソン」「スターウォーズ」「沈黙」のアダムドライバー。
舞台女優からテレビ女優への転身を図るニコールには「アベンジャー」シリーズ、「ゴーストインザシェル」などの人気者スカーレットヨハンソン。ダブル主演。
 
配給はNetflix。ネット配信だけじゃなく小規模(現在全国28館)ながら館でも上映中。
 
 
 
かんそう
偏向なく、マジおすすめしたい。
永年、残る傑作と思います。同題材で挙げると「クレーマー、クレーマー」(1979年)級。
 
離婚映画というと「ブルーバレンタイン」を思い浮かべてしまうケドあれほど鬱じゃない。むしろ爽快ささえある。いっそ、優しい気持ちになる。
二人がむき出しで口論し合うシーンは圧倒されるが熱く言い合える関係性が残っていることを伝えている。チャーリーが………のはそれを示している。恋情が涸れても愛情は永遠に続く、というメッセージさえ感じてシマッタよ、私的には。あのシーンはよいですね。
 
 
とはいえ、
離婚経験者ならば、映画に感じる温かみはつくりごと。お伽話的理想主義と否定する権利がある。「こうなれたらイイね」と。
 
だからこそ、両親が離婚。自身も離婚経験した監督の「そうであったらイイね」あるいは「そうであってほしい」という気持ちがこの作品のモチーフになっているとも思った。
 
そんなふうに捉えるとこの作品は離婚映画というより恋愛映画と呼ぶべきかもしれない。「REVORCESTORY」ではなく「MARRIAGE STORY」なのはそうした意図からか?

たとえ環境が変わったり、恋情が尽きても、当初に好きになった事実とその理由は変わらない…。気持ちの変わる部分と変わらない部分、、、人間のココロのどうしようもなさ、つまり無常。監督はそれをやわらかい視点で描いてみせ救われる。
 
 
代わりに
二コールの弁護士ノーラ(ローラダーン)が怪物じみた存在感を示している。
 
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ローラダーンの賞賛ツイートを直貼。
 
 
「あなたの演出した舞台を観た。あなたは天才よ」とチャーリーの才能を絶賛(それがおべんちゃらでもなさそうなほめ具合)しつつ、裁判では舌鋒鋭く落としまくる。共感力ゼロのサイコパスかと思いきや二コールの状況にはとてつもなく同調。二コールに「いい友だちでいられそう」と言わせるほどに、いい奴っぽい。法廷で戦闘モードに入ると肌の露出は気にせず上着を脱ぎ始める熱血ぶり。なぜだか憎めないのだ。
 
・・・こんな奴いねえよ、と思わせるほどの活躍。だけど主役はあくまで夫婦。カメラはノーラを中心に捉えない。ノーラはたぶん一般的な離婚を体現した象徴的存在なのだと思う。公私をわきまえ、ドラスティックに物事を処理していく。ノーラの存在に観客は「そこまでする?」と怪物的違和感を感じるから、穏便に協議離婚しようとするチャーリーとニコールにより共感できる図式。

思うに、ノーラは人間社会そのものを象徴してるとも言える。相反する感情を両立させ、矛盾と言わせない強引さを抱えるリバイアサン…欲望そのもの。

得てして怪物と呼ばれ嫌われる存在になりがちだが憎むべき存在として描かれない。人社会を否定しない柔らかな視点がここにもあるのではなかろか?
 
 作品をひきたてる地味派手な存在。ローラダーンに助演賞を差し上げたい。