「永い言い訳」 愛情は免罪符 | 走ることについて語るときに僕の書くブログ

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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。


人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(本木雅弘)の妻(深津絵里)は、彼女の親友(堀内敬子)と出かけた旅先で不慮の事故に亡くなった。その時、不倫相手(黒木華)と会っていた幸夫は、世間に悲劇の主人公ぶるものの、そこで涙を流せるほど愚劣になれない。

妻の親友の夫・陽一(竹原ピストル)とその子たちに出会った幸夫。陽一はトラックの運転手で何日も家を空けることがある。幸夫は思いつきから幼い彼らの世話を買って出る。保育園に通う灯(あかり)と、妹の世話のため中学受験を諦めようとしていた兄の真平。子どもを持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、毎日が輝き出すのだが・・・
(公式サイトから引用だいぶ修正、追記)
 
 
「へびいちご」「ゆれる」「ディアドクター」など人を、男女を、撮ってきた西川美和の原作脚本監督による作品。原作は直木賞候補になっていた。2016年10月公開、本木雅弘、深津絵里はもちろん歌手竹原ピストルと子役が出色の演技。
 
 
劇中のセリフ「子育ては男にとって免罪符」が響く言葉だ。いままで散々好き勝手してきた男が親になるといい父親像になってみたり、育メンに凝ったりする。そうすることで好き勝手してきた自分への免罪符を得ようとする男親の心理を指したもの。
 
子育てを愛情表現と解釈して、「愛情は免罪符」と言い換えてもよいと思う。幸夫は陽一の子どもたちを世話することで生前の妻を愛せなかった免罪符を得ようとしている。
 
愛情は紡がれ、巡る。愛せなかったからその分愛する。逆に愛されたから愛そうとする。よくある話だ。その「永い」営みと繰り返しを「言い訳」のようだと映画はほのめかましているのではないか。もちろん「言い訳」であっても構わない。それが人の業なのだろう。
 
同じく妻(母)を喪った陽一一家がその死を乗り越えるころ、心の居場所をなくしかけた幸夫はようやく妻の死と向き合える。書けなかった思いが言葉になり綴られいく。流れる劇判音楽、「オンプラマイフ」がどーしてだけわかんないんだけど、美しい。ささやくような歌声は陽一を赦し癒すかのよう。「親切設計」の作品だとことさら、泣けとばかりに大音量で流すので白ける。西川美和は分かってる監督だ。感じさせるのではなく観客が感じるに任せてくれる。音量は適切。
 
「オンブラマライフ」は元々はオペラのアリア。「かつてこれほど快適で愛しく、優しい木陰はなかった・・・」という歌詞内容らしい。かつてCMでも歌われ評判になった楽曲。
 
 
とてもよい映画だと思う。
小難しい映画じゃない。作品を信用して感じるにまかせて観る。一筋縄ではいかない深さがまだ潜んでいるような感触がある。時をおいて観ると何かに気づく。丁寧な配慮が積み重ねられこしらえた名作によくある感触。