見えない世界の教科書セミナー おおさか🌸

 

昨日は、大阪府高槻市にて見えない世界の教科書セミナーがありました。

あいにくの雨でしたが、来て下さった方、講師のしゅうさん、運営スタッフの我々には感謝申し上げます。(笑)

今回は、何故か、お腹が減り、参加者さんが持ってきて下さったお菓子があっという間になくなりました。過去、そんなことは無かったのですが。💦

私も恥じらいなく、むしゃむしゃと頂きました。えびせんべい・洋風お菓子がとても美味しかったです。

さらに、私は寝不足だったので、睡魔に襲われていました。しかしながら、参加者さまの質問は、実生活においたものが多く、どのような気持ちのスタンスでいたらいいのかというお話があり、有意義な時間になっていました。もちろん、見えない世界についての話もあり、、霊感は誰にもあり、霊感者・霊能者・霊媒者の違いについて、霊能者しゅうさんから、わかりやすく丁寧にご説明されて頂きました。

私も、奇妙な心霊体験をお話する機会を頂きました。第二次世界大戦中に亡くなった兵隊さんたちのお迎え作業のことを話しました。

タイ王国・ミャンマー・中国・インドに過去16回呼ばれて、伺っていますが、場所見つけるのがやはりたいへんというか、プレッシャーです。観光地でも無い見知らぬ土地に行くのは、ほんとにきついですが、日本に帰国したいという気持ちも理解出来るので、なんとかプレッシャーに負けないように頑張っています。

戦争で亡くなったというか、私が携わる日本の兵隊さんたちは、戦地で酷い環境の中、無残な死に方をされています。軍事物資の後方支援が不足している上に、連合軍(イギリス・アメリカ)の火力の前では、段違いの性能不足、そして、食料物資も滞りがちで、現地調達を強いられていました。なので、戦わずして多くの日本人がこの戦争で亡くなっています。現地の病気でマラリアや赤痢も流行っていたようです。雨の多い気候での常に濡れた靴の中に足があったので、皮膚が浮いてきて、ずるむけだったと聞いています。そんな中で、力尽きた日本の兵隊さんたちは、動けず退却路でじっとしていると、連合国軍に退却路で追いつかれ、火炎放射器で生きたまま燃やされていったようです。

そんな我々のご先祖さんが、今の日本の為に戦地に行っていたのですが、彼らの想いが、様々な執着を生み出し、死後、存在すべきところへ行けず、この世に留まっています。ですので、お呼びがかかれば、海外にお迎えに行って、連れて帰ってきております。日本に帰りたいという想いは、全体的に考えても、戦時中、戦地で亡くなった人たちは、皆が強く願ったことの一つです。家族に会いたいとか、お母さんに会いたい、自分の生まれ育った場所に戻りたいとか。

逆に、自分の息子たちや主人が戦地に遺体となって、ごみのように置き去りのままになっている母親・妻・兄弟・友人たちの心痛な気持ちも理解出来ます。私が母親なら、探しに行っているかもしれません。戦後は環境的に、不可能でしたが、そんな気持ちが湧き出てきます。家族がいる方であれば、容易にそんな気持ちを理解出来ると思います。

ですので、しばらくは、魂の運び屋として活動は続けていきます。そして、帰国した後、霊能者しゅうさんにあの世に運んで頂きます。(感謝)

恐縮ですが、今年中に、そんな活動の備忘録を本にしようと下書きを書き終えました。これから、出版会社から意見をもらいながら、さらに修正で出版までに時間がかかりそうですが、その時は、皆さんにご拝読して頂ければ、幸いに思います。

日本の人々に我々のことを知ってほしいという戦時中に亡くなった人たちからメッセージがあります。戦地だった場所に行くと、彼らは無残な、日本に見捨てられたような形で、無意味に死んでいったような感情に支配されている方たちも少なくありません。ですので、お迎えに行く場所に行くと、『我々が最後まで戦っていた場所(戦跡)を見て行ってほしい』と言われることがありました。きっと、彼らの存在価値的なものを日本人に受け止めて欲しいのだと思います。『俺たちは、無駄死にしていない』というような証明を自分の中に持ちたいのだと思います。どうか、同胞の皆様にも、そんなご先祖さんたちがいたんだと知ってもらえるだけでも、ご供養になるのではないかなと思います。手を合わすことはとても大事ですが、彼らの戦時中、生きていた姿を知ってもらえると、きっとあの世に向けてすっきりした気持ちで、霊能者さんのお力添えの元、上がっていかれるのではないでしょうか。

では、次回の見えない世界の教科書セミナーおおさかで、一人でも多くの人が来て頂ければ、嬉しいです。

ありがとうございました。

だ二次世界大戦で亡くなった日本人から呼ばれた場所