Happy Dance ☆ Enjoy Dancing ♪

 なぜにそうなった?!右矢印  

 
統一全日本プロフェッショナルダンス選手権
 
日本インターの放映が途切れ その後の楽しみは統一戦
 
一回も途切れることなく続いてきた大会
 幾多の難関、コロナ過、団体間の軋轢等を乗り越え
 早や24回目となります
 
その間 バルカー(株)様や ダティン晴代ロー様など
 強力なスポンサードで今や日本一を誇る大会となりました
 
 
WDC世界選手権代表派遣選考を兼ねたこの大会
 
 代表派遣選考権、元々はJDCが持っていました
 その門戸を開き 2000年に第一回が催され
 今日まで続いてきました
 
第一回優勝者の檜山組が某番組で証言されていました
 
 内容表示の為 貼り付けました(当局から要請があれば削除します)
   
 
途中で、不思議な事が起こり
 元来 WDC世界選手権代表派遣選考権 を保持していた団体
 JDC所属選手が出場できない事態が発生しました
 
 

 事のついでと言ったらナンですが

 

 団体が分かれた後も

 当時の檜山組は 先人でありライバルでもあった天野組を尊敬していたようですね

 「格上」という言葉を使っているところから見ても 

 

    

 

 

 

話が逸れましたが

 

元々保持していた WDC世界選手権代表派遣選考権 

 

① なぜ JDCが その権利を持っていたのか?

 

② また、なぜ、当該所属選手が出られない事態に陥ったのか?

 

謎ばかりで、サッパリですが

 

 その後 アチコチ調べた事柄と

 ① については とりあえず仮説を立ててみました

 

世界選手権はWDCに於いてはランキング最高峰の大会となっていますが

 ブラックプールや ロンドンインター、UKなど三大大会と比べ

 出場数も限られ、レベル的には少し様相が異なります

  参考:ワールドランキング WDC版

     WDC世界選手権出場数推移

 

 が、選手にとっては国内代表として輝かしいエントリーに違いはありません

 その為、出られるものなら出たいと願う選手が殆どでしょう

 

そこで、先の記事でも書いた通り

 1990年代中頃以降はJDCがその代表選考権を有していたため

 参戦するには JDCの代表選考試合に出なくてはなりません

 

 よく聞く話では、

「他団体の試合に出て団体上部から怒られた」ような話も漏れ聞こえ、、、

 、、、漏れるどころか 結構 有名な話らしいです、、が、、、もやもや

 

その辺りに焦点を絞ると

 参考:競技ダンス:団体の設立と分裂の経過

 

 検索に次ぐ検索でまとめたものですが 抜粋すると

 1950’ 日競連が発足し改称しながら続いてきたものが

 1992’ 財団が発足し(一部には日競連が財団になったともされています)

 1996’ 日本ダンス議会が発足 

 

 

ここからは、個人的な推測になりますが

 注意 あくまで、推測なので なんとも言えません

 

推測①

 1992年 日競連から 独立して

 財)日本ボールルームダンス連盟を起ち上げたものではないかと推測されます

 

 そして残った 財団化反対派がそのまま日競連に残り

 後年 日本ダンス議会発足に つながったものと思われます

 

 その為、日競連が元々持っていた WDC世界選手権代表派遣選考権 はそのまま

  JDC保有となったのかもしれません

 

推測②(上記から)

 日競連が財団になったという事であれば

  その時に 世界選手権代表派遣選考権 を置き忘れてしまった可能性も

 

 分裂騒動のさなか 残っているのを知ったJDCがWDCと契約した?

 

推測③

 元々日競連とWDCとの契約は無かったが、

 JDCが団体設立に伴い新たに契約を交わした

 

 ※ あくまで個人的に調べたものと、推測によるものなので

   実際どうかは分かりません

 

 なんにせよ、権利は契約上 JDCが持っていたのです

 

 

大元の 気になっているところは

 この権利を保持してた 団体が 数年前に WDCを脱退した事から

 大事に発展するのですが

 

 その時は、大いに憤慨したものですが

 ひょっとしたら、自分の勘違いであったかもしれません つづく

 

 

     乙女のトキメキ  星

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