人に

遊びぢやない
暇つぶしぢやない
あなたが私に会ひに来る
――画もかかず、本も読まず、仕事もせず――
そして二日でも、三日でも
笑ひ、戯れ、飛びはね、又抱き
さんざ時間をちぢめ
数日を一瞬に果す

ああ、けれども
それは遊びぢやない
暇つぶしぢやない
充ちあふれた我等の余儀ない命である
生である
力である
浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える
八月の自然の豊富さを
あの山の奥に花さき朽ちる草草や
声を発する日の光や
無限に動く雲のむれや
ありあまる雷霆
(らいてい)
雨や水や
緑や赤や青や黄や
世界にふき出る勢力を
無駄づかひと何
(ど)うして言へよう
あなたは私に躍り
私はあなたにうたひ
刻刻の生を一ぱいに歩むのだ
本を抛なげうつ刹那の私と
本を開く刹那の私と
私の量は同(おんな)じだ
空疎な精励と
空疎な遊惰とを
私に関して聯想してはいけない
愛する心のはちきれた時
あなたは私に会ひに来る
すべてを棄て、すべてをのり超え
すべてをふみにじり
又嬉嬉として

 

 

この「人に」は、

ボクの書棚にある「智恵子抄」には

収録されていません。

 

草野心平編の新潮文庫版『智恵子抄』 昭和31年=1956には入っています

 

と、解説を見つけました。

 

 

それにしても、

この躍動的で 野性的で、

あけっぴろげな熱情に、

圧倒される。

 

智恵子と光太郎は、

「或る女」(有島武郎)の葉子だ。

倉地と恋に落ちる葉子。

この小説も、内容は覚えていないけど、

葉子の激しさは 心に残っている。

この詩は、葉子と同じ、突っ走る恋情。

 

読んでいて 照れ臭いし、

うらやましい。

 

こんなにも激しく

女性を求めた記憶はない。

いや、きっとブレーキをかけていただけ。

きっと、奥ゆかしさ=美。

日本人として育った環境が ボクの心を制御した。

 

さんざ時間をちぢめ
数日を一瞬に果す

なんという欲情か。

歯止めの利かない 気持ちの暴走。

 

世界にふき出る勢力を
無駄づかひと何(ど)うして言へよう

雨を雲を雷霆(らいてい=激しい雷)を、

ふき出る勢力 と表現して、

智恵子に対する自身の思いとならべた。

 

詩人は、この詩を

おそらく一気に書き上げた。

のちに 加筆や修正をしたとしても、

抑えきれない思いが、勢いそのまま言葉となった。

 

愛する心のはちきれた時

智恵子は自分に会いに来る。

喜喜として!

 

ぎゃっ