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聖書と私とコーヒーと+ワン

~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

貼付させて頂きました。

 

<約96分>2025/3/2配信

New World Order 新世界秩序と救済 【 ヨハネ黙示録 6章 】

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ハーフ牧師さん

今回も ありがとうございました。

m(_ _)m

 

正直、わたしは、

今所属する「教団/教会」に集って数十年、

その礼拝の講壇上から、具体的に、真摯に

「ヨハネの黙示録」の解釈を受けた記憶は

あまり?ほとんど、ないように思います。

 

当然、どのような解釈を受けても

究極、自身の日常という

矮小な時間に引き戻されます。

 

されど、

「知る」こととともにある小さな人生と

「知らない」で過ごす多くの時間との

目に見えない「差」は、おそらく、

日毎に大きくなってくるのではなかろうか。

そんな風に思ったりします。

 

 

ハーフ牧師は仰っていますね。

それは「牧師」にとっても「鬼門」?!

説教者独自の解釈と教団解釈のズレがあってはいけない?!

もし異なることを述べるなら、「パージ」?!

 

そんな仕組みがあるのですネ。

「組織」に属する、ということは

当然にそういうことでもあるのですネ。

 

 

今、「聖書」は 一般信徒のもとに

いともたやすく手に入る時代。

ほんとうに感謝な時代。

 

されど、昔昔

「聖書」に何が書かれてあるかすら

自身の目で確かめることすらできなかった

そんな「信徒」たちもいたのですヨネ。

 

 

そう思うと、

今の時代、今の世代、

「神のことば」が贅沢与えられていることを思います。

 

感謝をもって

日々「聖書」を開きたいと思いました。

 

とともに、

自身の骨身をけずって

私たちに聖書のメッセージを読み解き

お勧めしてくださる方々に感謝を覚えます。

 

イエスさまの御愛を ことこまかに

伝えてくださることに

感謝する次第です。

 

詩篇119:105(新共同訳)

あなたの御言葉は、わたしの道の光

わたしの歩みを照らす灯

アーメン

 

ハレルヤ

 

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<追記>

翻訳用語では見えない 礼拝という意味は? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

 

「礼拝」とは何なのか、

ヘブル語では、

「礼拝」=「アヴォダ」。

「礼拝」の本来の意味は「生きる」

アヴォダは、何をしていても、アヴォダなのです

スポーツ観戦で楽しむのも、友達と会って会話するのも、家事、育児をしていても、何をしていても、イエシュアの性質通りを生きているそれが神の前に生きる本当の礼拝の意味なのです

アーメン

ハレルヤ