貼付させて頂きました。
<約51分>
★縦軸と横軸|久保田文吾|キングダムシーカーズ日曜礼拝メッセージ (youtube.com)
2024/10/04
偉大な勝利者となる人生、それはイエスの足跡をたどる人生です。聖書を読むと、イエスは少年期から「神と人とにいつくしまれ」(ルカ2・52)成長していきました。
私たちも、神との関係である「縦軸」と、人との関係である「横軸」を、一体化して作り上げていきましょう。
このメッセージを通してあなたの人生が、神の計画の場所にしっかりと置かれ、ますます神の恵みを受けることができますように。
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(雑感 )
よき「お説教」をありがとうございました。
まず「聖書」を開いてくださって、
御言葉を基本として、
”励まし””慰め””示し””指摘””勧め”
細やかで核心に触れる”教え”。
魂の糧を頂くように聞き入ります。
”言葉”を食べさせて頂く。
深い洞察にあふれた”説教”に感謝でした。
(^-^)
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(めも)
〇ルカ2:52
「勝利者」について。
・私たちにはもっと目指すべきことがあり、もっと先を見る必要がある。私たちは「主の栄光」を目指していかなければいけない。一人一人は「神の国の相続人」になっていかなければならない。私たち一人一人が「キリストに似た者」に変えられていかなければならない。一人一人がこの地上に「神の国」をもたらさなければいけません。
・どのようにして?
それは、私たちが「イエスさまの歩んだ足跡をたどることによって」です。
・「キリストに似た者」たちを「聖書」はなんと呼んでいる?
「聖書」はそれを「勝利者」と呼んでいる。
・十字架によって救われたことが「ゴール」ではなく、一人一人が勝利者になるように召されている。もっと目指すべき先、見るべきことがある。
・イエス様から頂いた”新しい命”をどう活かしたらよいのかわからないまま、この地上で、世の地上の民として生き切ってしまう時がある。イエスさまの足跡に従うことによって「勝利」を得よう。私たちの成長の王道は、イエスと同じ生き方をすること。「聖書」を通して「イエスさまの歩みと生き方」を知る。
・「油注ぎ」が欲しい時どうしたらいいのでしょう?
「油」も大切ですが、「油」を保つための「器」作りも大切です。「器作り」はどのように?
キリストの足跡を歩んで行く。
・私たちの生き方。
聖霊によって導かれる「訓練」。
聖霊によって「御言葉」を受け取って行く。
聖霊によってイエスさまの生き方を知らされていきましょう。
「イエスは神と人とに慈しまれた」
・私たちは神からも愛され、人からも愛される必要がある。
縦軸で正しく神とつながり、横軸で人間とも正しくつながる必要がある。勝利者のステップの一つ。
〇箴言3:4
「神と人の前に好意を得、聡明であれ」
与えられた環境の中で、神と人とに正しくつながっているならば、あなたは神の御心のど真ん中にいる。
・「私」は置かれるべきところに置かれているか。正しい環境を持っているか。神さまが用意したコースを進む?(成長に応じたコースが用意されている?)
・神さまは、成長に応じて「御言葉」を与え、「奉仕」を与え、「祈り」を与える。それぞれの段階で「縦軸=神様との関係」を構築していく。
・一方で、「横軸=人間関係」を放置してはいけない。
私たちは「縦軸」と「横軸」の両方に召されている。
・神との関係なしに人間関係だけをつくるのは簡単で、他者に同調さえしていけばよいことです。人間関係なしで神との関係だけに合わせるのも実は簡単なことで、世の中のことを無視してただ「私は正しい」と思いこんでいればいい。神との関係を正しくもちながら、人々との関係も正しくもつことは難しい。だが、この難しい道を歩んで行くことが「勝利者」の道。
〇マルコ福音書9:50
「誰が一番偉い?」という弟子たちの論争。
イエスさまは仰いました。
「塩は良いものです。しかし塩に塩気がなくなったら、あなたがたは何によってそれに味をつけるのでしょうか。あなたがたは自分自身のうちに塩気を保ち、互いに平和に過ごしなさい。」
・「塩気」というのは、「あなたがただのこの世の人間ではなく、神の国に生きている神さまとの関係を持っているからこそ独特な味付けがある」ということです。もし私たちが御言葉をスッカリ忘れ、イエスさまとの関係の中に生きていないのならば、「塩」が「塩気」を失くしてしまう。そうするともはや私たちは何の役にも立たない。だから、しっかり「塩気」を保ちなさい。
この世とちょっと違う生き方をしなさい。
あなたの中に世の中とは違う価値観を持ちなさい。
地上を歩んでいても天の御国に属していなさい。
それが「塩気」です。
・それぞれが神との関係をもって「塩気」を保ちながら、お互いの平和も保つ。これが「勝利者」への道。
・「教会」とは何か?
「キリストの体」とは何か?
・頭である「イエスさま」へ戻るシーズン。
・「縦軸」がまず繋がらなければならない。まず「縦軸」!
私たちは「イエスさま」との関係が本物になればなるほど、その結果が必ず「横軸」で人間関係も本物になっていきます。もしあなたが自身で「イエスさまとの関係が深まった」と思っても、あなたの人間関係に何も変化がないならば、何かが間違っている。あなたはほんとにイエスさまと繋がっていないかもしれない。イエスさまはリアルな神さま。リアルなイエスさまと繋がることによって私達は整えられる。イエスさまとあなたとの関係が本物であるならば、その結果は、あなたの人間関係に反映されていくはずです。
〇マタイ福音書5:23-24
ですから祭壇の上に献げ物を献げようとしている時に、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、献げ物は祭壇の前に置き、行ってまずあなたの兄弟と仲直りしなさい。それから戻ってその献げ物をささげなさい。
・ここでは、自分の思いや志向によらず、イエスさまのみ旨に従って行うことを選択することが、「縦軸」の正しい有り様だと説明。
・本当に「御言葉」に生きることができるかどうか。自分の中にある様々な怒りや、様々な自己中心さや、さまざまな自分の正義、自分の理論を捨てて、ただ純粋に「御言葉」に書いてあることを優先できるかどうか。自分の方法でなくイエスさまの方法に従う。勝利者の階段を上れるかどうかのテスト。
・「あなたの方法」ではなく、「神の御言葉」に従っていってください。そうすると、あなたにつながるべき人々はあなたの周りに集められ、あなたにつながるべきでない人々は遠ざけられていきます。
・「自分の方法」で勝利しよとしないでください。「主の方法」に従うこと、それ自体を喜びとしてください。
・イエスさまと個人的な関係をつくりましょう。御声を聞きましょう。霊的な体験をしていきましょう。イエスさまと親密な関係を持ってください。エペソの教会が注意されました、「初めの愛に戻りなさい」。同じ様に私たちは「初めの愛」に戻りましょう。
・信仰生活が長くなると、気づかないうちに躓いている時があります。形だけの礼拝生活という霊的なスランプに陥る。気づかないうちに「信仰の遮断」を起こす?→「躓き」を取り除きましょう。イエスさまに夢中になっていきましょう。
・イエスさまはあなたに「よい」ことしかしない。ですからどうぞ、イエスさまに夢中になりましょう。
・「縦軸」が貧弱なまま「横軸」を広げていくとき、他者との比較に陥りやすくなる。「落ち込みとたかぶり」で心の平安を失う。強力な「横軸」を欲するなら強靭な「縦軸」が必要です。
・イエスさまだけを見続けることができるならば、あなたは他人を見ることはありません。自分を見ることもありません。ただイエスさまを見て、イエスさまが見ている人々を「見る」のです。イエスさまというフィルターを通して人々を「見る」。
・「横軸」に重きを置きすぎると、「教会」は「レクリエーション」(集まりや会合)だらけになり収拾がつかなくなります。イエスさまとの関係が薄いゆえに。ハッキリ言いましょう。一人一人がしっかりとイエスさまに繋がっているならば、「教会」は「日曜礼拝」だけで充分です。(アーメン!(^.^))
・本物の「教会」は「日曜礼拝」で建て上げられていきます。
本物の「教会」は「日曜礼拝」の中に伝道があり、牧会があり、弟子訓練があり、預言があり、学びがあり、「礼拝」の中で横のつながりもできていきます。
・一人一人のイエスさまとの関係が本物ならば、それを通して私たちは24時間365日確信しあうことができる。
・「教会」の中に、イエスさまとのつながりが薄い人ばかりだとどうなるのでしょう?「教会」はどんどん「人間」たちの組織をつくります。それは「神の家族」ではなく、ただの「ヒエラルキー」になっていきます。「教会」はただの「孤児院」と化してしまう。親のいない集合体の中で互いに覇権争いをする。緊張感、恐れ、そのような団体になってしまいます。
・「神の家族」はお互いに競争する必要がありません。
私たちが本当に神の家族になるためには、私たちは主との繋がりが必要です。
・主とのつながりによって素晴らしい人間関係がつくられる。素晴らしい人間関係は主とあなたとの関係の現れ。
○コロサイ2:3
このキリストの内に知恵と知識の宝がすべて隠されています。
すべての問題はイエスさまのところにいけばすべて解決するんです。あなたの地上でのすべての問題、すべてはイエスさまの中に答えがあります。何かあればイエスさまとの関係に戻ってください。そうするならば、あなたの横の関係もそれに引きずられていくんです。
・イエスさまはわたしたちの人生の主です。
イエスさまはわたしたちの経済の主です。
イエスさまはわたしたちの職場での主です。
イエスさまはわたしたちの人間関係の主です。
人間関係で限界を感じている方がいればどうか、イエスさまのもとへ逃げてください。
・「教会」がますます成長することを信じます。しかしそのときに、私たちがただお互いをよく知っている人達の「教会」であったならば人数に制限があります。一人一人がイエスさまをよく知っている「教会」であったなら無限です。一人一人がイエスさまとつながり、一人一人がお互いとつながっていくならば「無限」です。
・どうぞ皆さん、主の御声を自分で聞いてください。主は必ずあなたに語られます。御言葉を通して特別に一言が語られる時があり、祈りの中で思いが与えられるときもあります。どうぞそれを吟味してください。またそれを人に尋ねてください。少年サムエルのように。
・注意すべきは「主の名をみだりに唱えてはならない」。それは、人生への呪いとなってしまう。自分の都合にあわせて主の御名を使っていくならば、もはや誰もそれに逆らうことはできません。自分自身の思いを主の声だとすることは、自身の人生をますます難しくしていきます。→「孤児の霊」
・「孤児の霊」➡競争心がある、特別な承認欲求がある、自己防衛がある、妬みがある、恐れがある、自分が特別な存在であることを自分で証明しなければいけないと思う、パフォーマンス思考になってしまう。何か特別なことが出来ていないと皆から見下げられてしまう、と思う。
・「孤児の霊」を誤魔化すため「主の名」を使ってしまったとき、私たちは問題がややこしくなっていく。
・「孤児の霊」を抱えていることを恐れないでください。わたしたちは多かれ少なかれ、そうです。
・あなたが「神の家族」の恵みの中にとどまり、謙遜に主とつながっていくならば、あなたは徐々にじょじょに「神の子」のアイデンティティを与えられていきます。聖霊に満たされ続け、自分が何者なのか知っていきます。そして、他の人に誇るためでなく、誰かと競争するためでなく、ただただ主に感謝して、あなたが与えられた神の子としての特権を喜んでいけるようになっていきます。
○ヨハネ福音書1:12-13
しかしこの方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には神の子どもとなる特権をお与えになった。
この人々は血によってではなく、肉の望むところでもなく、人の意志によってでもなく、ただ神によって生まれたのである。
・私たちが「神のこども」であるということは、特別な血筋ではありません。肉的な欲求で達成したのでもありません。人間的な情熱や意志によってでもありません。「恵み」です!
神によってなされたことです。
・ですからどうぞ、それを素直に受け取り、素直に受け取り続けていきましょう。パフォーマンス思考をやめましょう。ただ素直に恵みを受け取り続けていくうちに、神の家族に組み込まれていき、時きたらば、他者へ奉仕する者とされていく。
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「勝利者のテスト」
*御言葉を受け入れるテスト。
*リーダーに従うテスト。
*明け渡すテスト。
*荒野のシーズンを忍耐するテスト。
*誘惑をはねのけるテスト。
*神が置いたところに留まるテスト。
*十字架につくように、今まで得たものを手放すテスト。
いろいろなテストがあります。
・「テスト」をくぐりぬけるために必要なこと。
勝利者の階段を上っていくということは、あなたが「孤児」から「神の子」のアイデンティティをますます豊かに受けていくということです。
・「神の子」としてのアイデンティティがなければ、いくつかのテストを人間的な方法でもがいていくことになり、勝利者の姿には遠い。
・あなたはイエスとの交わりの中でますます「神の子」であることに「安心」し「喜び」、そして「神の子であるから私は何も失うことがない」とわかるので、なんでも明け渡すことができるようになります。
・テストの一つに、あなたが今まで頑張ってきた奉仕や現場を手放すというテストもあります。
・「勝利者の階段」を上っていくときに様々な「信仰のテスト」がある。「勝利者」となる者は、もはやそれがテストであるかどうかも気がつかない。その人は、イエスさまから送られる人生のジェットコースターを楽しむ。安心して主に人生を献げることができる。
○マルコ福音書14:3~。
<ナルドの香油>
<ベタニヤのマリア>
彼女は300万円以上のものを一瞬で割った。
イエスさまに注ぎ、頭や足に注いだ。
彼女の最高の「礼拝」だった。
彼女は失うことを何も恐れませんでした。
目の前のイエスさまだけ見続けた。
自分の持っている最高のものを施したい、
皆さん、これが「教会」の姿です。
これが「神の子」のアイデンティティです。
わたしたちは主を褒め称えることができて
イエスさまに愛を現わすことができるならば、
どんなことでもしたい。
マリアはおよそ5分でこれを行いました。
特別なメッセージを聞いたわけでもない。
イエスさまとの特別な交わりがあったわけでもない。
事実、マリアはこの時一言も
イエスさまと言葉を交わしていません。
マリアは人生をかけて貯めてきたものを
一瞬で使いきりました。
そして、それをもってイエスさまを敬いました。
その報いは何だったのでしょう?
イエスさまは言いました。
「まことにあなたがたに言います。世界中どこでも福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたこともこの人の記念として語られます。」
神が覚えてくださり、聖書に神のことばとして書き残され、永遠に「マリア」の礼拝が語り継がれ、永遠に神に覚えられたのです。
私たちがしているのはこれです。私たちはどうしたらこれを恐れずに続けられることができるのでしょう。どうしたら私たちは「ナルドの香油」を割り続けることができるのでしょう。
イエスさまを見続けることです。
「孤児の霊」➡自分には何もない。自分で奪い取らなければ何も手に入らない。神は何も与えてくれない。天の父は私に祝福を与えてくれない。ゆえに自分で算段をたてて何かを得ないと私は生き延びることができない、という思い。→目の前にいるイエスさまが見えなくなる。イエスさまへの最高の礼拝も見えなくなる。そして、最高の礼拝の現場を見て「もったいない」と言い始めてしまう。
・どうぞ皆さん、イエスさまを見ましょう。
イエスさまの中にすべての知恵と知識の宝があります。
イエスさまがすべてあなたに必要なものを与えてくださる。
どうぞイエスさまを見続けてください。
「王」を見続けてください。
あなたが「王」を見続けていくならば、あなたは自分が持っている「ナルドの香り」に気がつくことができるのです。
○雅歌1:12
王が長椅子に座っておられる間、わたしのナルドは香りを放っていました。
「王」を見続ける間、花嫁には「ナルドの香り」が放たれていった。
「キリストの香り」
わたしたちがそれを見続けるならば、
わたしたちの中にあるものも解き放たれていき
わたしたちが持っているナルドを思いっきりささげていく。
イエスさまとの循環。
私たちは人々に見せるために地上にいるのではありません。
私たちはイエスさまを見続けるためにいるのです。
人々は、あなたがイエスさまを見続けている姿を見るんです。
人々は、あなたの持っている知識や知恵や説得によって伝道されるのではありません。あなたが持っているイエスさまとの関係によって感化されていくのです。
一人一人がもっていたまちがった「孤児」の恐れが取り除かれることを宣言します。
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ハレルヤ
アーメン
(^-^)
ちなみに、私の所属する教会は、
安息日(土曜)礼拝を重んじています。
また、日曜のお集まり(日曜聖会)も献げられています。
感謝です。