聖書と私とコーヒーと+ワン -11ページ目

聖書と私とコーヒーと+ワン

~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

貼付させて頂きました。

 

<約49分>2024/11/29配信

神様が遠くに感じる時にすべきこと | Joseph Prince | New Creation TV 日本語 - YouTube

神様のやり方は人間のやり方とは違うというフレーズを聞いたことはありますか?この分かり易いメッセージでは、その真相に迫ります。

 

私たちが主を賛美して待ち望む時、この真実がどう私たちのためになるかを学ぶことも出来ます

 

また、聖書のヨセフの物語から、ベニヤミン世代の台頭どのように主の再臨を告げるのか、そして終わりの時代を信じる者として、世界にある飢饉や重苦しさの霊に打ち勝つためには、神様の備えと油注ぎは十分に信頼できることを発見しましょう。 

 

エピソードについて: 2024年7月28日のジョセフプリンス牧師の「神様が遠くに感じる時にすべきこと」のメッセージです。 

 

00:00 01 はじめに: 

神様の光の中で、光は見える 

10:35 02 

神様の存在の中で待ち続けることの力 

17:45 03 

ヨセフの物語を通して、神様の想いを知ろう 

24:29 04 

終わりの日に、約束を握り締めよう 

30:22 05 

人生の重圧に直面しても、喜びを見失わないで 

37:31 06 

神様があなたに近づいてほしいと願う理由 

41:58 07 

賛美の貴重な啓示を受け取ろう 

47:32 08 

救いの祈り& 祝福のための祈り

******************************************

(雑感)

41分経過頃からのお勧め。

創世記45:4-15

 

(字幕めも)

礼拝とは何でしょう?

イエスを象徴するヨセフのこの言葉にそのエッセンスが詰まっています。「あなたがたが見た私のすべての栄誉を父上に告げなさい。」

 

礼拝とは「父」に神の御子の素晴らしさを告げることです

 

父はそれが大好きです。

なぜ傷もしみもない子羊を生贄として捧げるように命じられていたのでしょうか?

それはその生贄が彼の御子を表すものだからです。

あなたが彼の御子を掲げるとき、神はそこに喜びを見いだします。

 

礼拝とはキリストの香りを捧げることです

 

旧約に記されている祭壇で捧げられるべき香料はすべてキリストを象徴しています。そしてそれが焼かれる時、その香りは上に立ち上ります。それがキリストの香りを象徴しているのです。そしてそれを嗅いだ神は、「わたしは地を二度と打たない」と言います。神がキリストの香りを嗅ぐとき、祝福が降り注がれますその香りが自分の愛するひとり子を思い出させるからです

 

でもそこで捧げられるべきなのは、あなたの香りではなく「キリストの香り」です

 

礼拝とはキリストでいっぱいになることですキリストの素晴らしさに夢中になることです

 

わたしのすべての栄誉を父上に告げなさい

そしてそれだけでなく、

礼拝では「わたしの素晴らしさについて、またわたしの恵みについて」、「あなたがたが自分の目で見た一切のことを父上に告げなさい」

 

だから私は天のお父さんにこう言うことがあります。

「あなたの御子という贈り物をありがとう」

「彼は最上級の小麦粉のように本当に素晴らしいよ」

「彼の性質は粗くて不揃いなところなど一つもない」

「彼は強くても強圧的ではない」

「彼は優しくても、ビクビクもオドオドもヘコヘコもしていない」

「彼が本当に素晴らしい存在であってくれることをありがとう」

「そして彼が私を愛してくれたことをありがとう」

これは私と神との間での交わりの生贄のようなものです。

 

交わりの生贄として祭壇で捧げられる子羊の胸肉が指し示しているのは父の前で讃えられるイエスの愛なのです

 

礼拝は、父に次のことを思い出させることでもあります。

「天のお父さん、イエスはあなたを愛しているから命を捧げたんだよ」

 

イエスが自分の命を捧げた第一の理由は、父の栄光のためです彼の死は、聖なる神のすべての義の基準を満たしたのです。イエスは父を愛してそれをしました。”わたしが自分の命を捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます

 

父は常に彼を愛していました。でも、彼が自分の命を捨てたとき、そこには新たな愛の点火があったのです。

 

「天のお父さん、イエスは本当にあなたを愛しているよ」

 

このように、天のお父さんにイエスの素晴らしさを伝えることが礼拝です

 

そしてそこから、私は次のように続けます。

「天のお父さん、イエスは私を愛しているよ」

「私の家族を愛しているよ」

「私の教会を愛しているよ」

「彼はわたしたちのために命を捧げてくれたよ」

 

これが 礼拝 です。

 

「聖餐」も彼を覚えて とるのです。

自分の罪や醜さを覚えてではなく、彼の素晴らしさと栄光を覚えて取るのです。

 

神を讃えましょう。

~~~~~~~~~~~~~~

 

 今日は 具合がすぐれず、起きて動き回るのは断念し、潔く?横になることにしました。床に臥せながら、聖書朗読のCDをかけることにしました。ふと、ジョセフプリンスさんのお話しを聞きたくなり、スマホを稼働させました。頭の上のスマホからプリンス牧師のお説教が響きます。

 

 しばらくすると「礼拝とは何でしょうか?」との問いが発せられました。私は「えっ!?」と思いました。いよいよ耳ダンボになりました。

 

 私はまたしても、「礼拝って何だろう」「私は何のために教会の礼拝?に行くのだろう」「教会での礼拝って何なのだろう?」とひたすらに不毛な問いが頭を巡り始めていたのでした。

 

 偶然にしてはビックリで、何ということ!!と思いました。

ぐるぐる巡り出したいつもの「不毛」な問いに、速攻で答えがきた!?…と思ったのでした。そしてその答えは十分に「アーメン!」なのでした。(教理神学には関係なく、です。)

 

ハレルヤ!

主イエスの御名に感謝せん。

 

イエスさま ありがとう。

ほんとにほんとに ありがとう。

 

そして、ジョセフプリンス牧師さん、ありがとう。

ニコニコ