サム上26章②13~20【遠く離れた山の頂】…主の臨在から離れることは、霊的な死を意味すること | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上26章13~20節

〔新共同訳〕

ダビデ、サウルを寛大に扱う】(2)

13ダビデは向こう側に渡り、遠く離れた山の頂に立った。サウルの陣営との隔たりは大きかった

 

14ダビデは兵士に向かって、またネルの子アブネルに向かって呼ばわった。

 

「アブネル、答えないのか。」

アブネルは答えた。

「王に呼ばわるお前は誰だ。」 

 

15ダビデはアブネルに言った。

「お前も男だろう。お前に比べられる者は、イスラエルにいない。そのお前が、なぜ自分の主人である王を守れなかったのだ。敵兵が一人、お前の主人である王を殺そうと忍び込んだのだ。 

 

16お前の行いは良くない。主は生きておられる。お前たちは死に値する。主が油を注がれた方、お前たちの主人を守れなかったからだ。さあ、枕もとの槍と水差しがどこにあるか見てみよ。」

 

17サウルはダビデの声と気づいて、言った。

「この声はわが子、ダビデではないか。」

ダビデは答えた。

「わが主君、王よ。わたしの声です。」 

 

18ダビデは続けた。

わが主君はなぜわたしを追跡なさるのですかわたしが何をしたというのでしょうわたしの手にどんな悪があるというのでしょうか。 

 

19わが主君、王よ。僕の言葉をお聞きください。

 

もし、王がわたしに対して憤られるように仕向けられたのが主であるなら、どうか、主が献げ物によってなだめられますように

 

もし、人間であるなら、主の御前に彼らが呪われますように

 

彼らは、『行け、他の神々に仕えよ』と言って、この日、主がお与えくださった嗣業の地からわたしを追い払うのです。 

 

20どうか、わたしの血が主の御前を遠く離れた地で流されませんように

 

まことにイスラエルの王は、山でしゃこを追うかのように、蚤一匹をねらって出陣されたのです。」

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(聖句雑感)

「槍と水差し」を見て

アブネルは驚いたことでしょう。

サウル王も驚いたことでしょう。

 

サウル王の憤りが

「主」からのものであれば、

献げ物をもって主をなだめる。

されど、

その憤りが「人」から出たものであれば、

その「人」は呪われよ、と言い放つダビデ。

 

「主」からのものであれば、

「主」を宥める方法があるのですネ。

 

でも、「人」からであれば、

堂々と言い放つ。「呪われよ」!

 

「我常に我が前に主を置けり」とは

ダビデのことば。

 

詩篇118篇を思い出します。

7主は私の味方、わたしは誰を恐れよう

人間が私に何をなしえよう

本当におそるべきは「主」。

その「主」が「私」の「味方」ならば

何をも誰をも恐れることはないという。

もの凄い信仰。

 

「主」が「味方」であるならば、

主は我らの「宥めの献げ物」を受け取ってくださるのだな、と思うと感謝です。

 

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解説を見てみました。

 

新実用聖書注解462-463p

洞穴でサウルとでくわした24章の場合とは違って、今回ダビデは、十分に安全な距離を置いて、サウルにではなく、その将軍アブネルに呼びかける(13-14)

 

彼は、王をしっかり守らなかったアブネルとその部下たちは死刑にされても仕方がないのではないかと、彼らに挑んでいる。王の枕もとにあった槍と水差しが、忍び込んだ「暗殺者」に盗まれてしまったではないか、と言うのである(15-16)

 

サウルは、ダビデの声を聞き分け、彼に呼びかける(17)。そこでダビデは、再び自分の無実を主張しサウルがしていることは事実上ダビデを偶像礼拝に追いやるようなむごい仕打ちであることをほのめかす(18-19)

 

《主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう》は、「主がささげ物を受けてくださるように」という意味である(参照新共同訳,口語訳)

 

ダビデは再び自分を《1匹の蚤》(20)と呼び、価値のない存在であることを強調し、サウルの追跡が意味のない行動であると言う。

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clay解説全文

アブネルへの呼びかけ

将軍アブネルへの叱責の言葉

十分な距離を置いてから、ダビデはサウル王にではなく、将軍アブネルに呼びかけています

 

(1)ダビデはアブネルがいかに有能な戦士であるかを認めた上で、王をしっかり守らなかった罪を指摘しています。アブネルとその部下たちは、死刑に値するというのがダビデの見解です。

 

(2)それを証明するために、ダビデは王の枕もとにあった槍と水差しを示しています。つまり、忍び込んだ「暗殺者」にそれらを盗まれてしまったことを示しているのです。

 

(3)最初アブネルは、それがダビデの声であることに気づかなかったようですが、サウルはそれがダビデだとすぐにわかりました。そしてサウルはダビデに、「わが子ダビデよ。これはお前の声ではないか」と呼びかけます。

 

サウルへの弁明

ダビデは、再びサウルへの弁明を展開します。(1)ダビデは、自分が無実であることを再び主張します。

 

(2)サウルがしているのは、ダビデをイスラエルの地の外に追い出すようなことですそれは、ダビデに偶像礼拝を強いるのと同じでことで、到底主からの祝福を受けられるようなことではありません

 

(3)ダビデは再び自分を「1匹の蚤」と呼び、そのような無価値な者を追跡しても意味がないとアピールしています。

 

(4)ダビデの、「どうか今、私が主の前から去って、この血を地面に流すことがありませんように」という言葉に注目しましょう。

 

「主の前から去って」とは、イスラエルの地(約束の地)から離れることを意味します

 

つまりダビデは、主の臨在(シャカイナ・グローリー)から離れることを恐れたのですそれは、ダビデにとっては霊的な死を意味しました


相手から攻撃されても、ダビデは最後まで説得と弁明をくり返し、決して暴力的な手段に訴えようとはしませんでした

 

ここに、私たちに対する教訓があります

 

私たちもまた、意見の違いが生じた場合には、誠実の限りを尽くして理解し合う努力をすべきではないでしょうか

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きょうの祈り

天の父よ。どうか私からあなたの臨在を取り去らないようにしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

サムエル記第二17~18、箴言21

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2024年6月10日(月)☔25℃

 

明日未明から本格的な雨だとの予報。

天気予報も100%の的中とはいきません。

最新技術を駆使しても

予測できない現象があるのですヨネ。

 

でも、大昔の比べれば

天気の予測が日々報じられる現代。

とてもありがたいことだなと思います。

 

前もって「知っている」ということは

なんと ありがたいことでしょう。

 

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正直、今回の箇所は

私的にあまり「ピン」とくるものがなく

何をどう読み取ればいいのかと

またもやも 思う箇所でありました。

 

19節のダビデの言葉の意味がわかりづらかったのですが、なるほど、「イスラエルの地」から追い出される、ということは、ダビデにとって「霊的な死」を意味するのだという解説に感謝でした。

 

「主がお与えくださった嗣業の地」とダビデは言います。

「土地」、「嗣業の地」という概念。

 

「聖書」でその民に約束された「土地」は、単なる宗教的な「聖地」という概念を超えるところにあるように思います。

 

「地に住む」者に「地」を与えてくださる神さま。

主の祝福が約束された「地」があるなら、何も好んでその地を離れることはありません。

 

「祝福」された「地」に住みたいものです。

 

ハレルヤ

尊き主イエスの御名によりて

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。