サムエル記上16章1~5節
〔新共同訳〕
【ダビデ、油を注がれる】(1)
1主はサムエルに言われた。
「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。
角に油を満たして出かけなさい。
あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」
2サムエルは言った。
「どうしてわたしが行けましょうか。
サウルが聞けばわたしを殺すでしょう。」
主は言われた。
「若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえをささげるために来ました』と言い、3いけにえをささげるときになったら、エッサイを招きなさい。
なすべきことは、そのときわたしが告げる。あなたは、わたしがそれと告げる者に油を注ぎなさい。」
4サムエルは主が命じられたとおりにした。
彼がベツレヘムに着くと、町の長老は不安げに出迎えて、尋ねた。「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか。」
5「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました。身を清めて、いけにえの会食に一緒に来てください。」
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(聖句雑感)
「なすべきことは、そのときわたしが告げる。」
面白いことだなぁ、と思います。
「行け」と言われれば行く。
何をするのか、
何が起こるのかわからないままに、
ただ、行く。
おそらく、
そのようなことは、
常識では「無謀」とよばれるもの。
だから、「信仰」とは、
一般の常識ある人々から見れば
「不可解」で「浅はか」なことなのだろう。
だから、周囲は「やめろ」としかいえないのだろう。
ゆえに、周囲からの嘲笑の的となってしまうのだろう。
ふと思い出します。
Ⅰコリント1:16
十字架の言葉は、
滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
わたしたち救われる者には神の力です。
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神が沈黙を破られる時、
「事」はすでに「なっている」のだな、と思いました。
ハレルヤ
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解説を見てみます。
■新実用聖書注解452p
信仰生活にとって「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって」(ピリピ3:13)進むことは大切である。サウルのことをいつまでも嘆き悲しんでいないで次のステップに進むように、と主はサムエルに語られる。
「主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている」(箴15:3)が、すでに主は後継の王を見付けておられたのである。
そして、その人はベツレヘムのエッサイの息子だから、早速油注ぎの準備をしてそこへ行くようにと、主はサムエルに命じられた(1)。
サムエルは、サウルの気性をよく知っており、彼がまだ王位に着いていたので、この命令を聞き恐れを覚えた(2a)。しかし主は、最初からはその目的を公表せず、事が進むにつれて明確になすべきことを教えるから、恐れずに行くようにと、サムエルを励まされた(2b)。
サムエルの突然の訪問に、ベツレヘムの長老たちは不安を隠すことが出来なかったが、サムエルは彼らを安心させ、主が命じられたように、その地でいけにえをささげるから備えをするようにと言い、その場にエッサイをその息子たちとを招いた(4-5)。
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■clay解説全文
サムエルのベツレヘム訪問
サウルからダビデに
時代は、サウルからダビデに移行しつつありました。
しかしサムエルは、サウルが神に退けられたことを悲しんでいました。おそらく、サウルの復権のために祈っていたのでしょう。
そこで神は、そのサムエルを慰めるために、次期の王が誰であるかを教えようとされました。
(1)サムエルが遣わされる先は、ベツレヘム人エッサイのところです。エッサイは、ボアズとルツの孫にあたります。その息子のダビデは、ボアズとルツのひ孫です。
(2)エッサイには息子たちがいましたが、その中の誰が王に選ばれているのかは、この時点では明らかになっていません。それがダビデであることは後になってわかります。
(3)サウルは民が選び、民の要求の結果として王となりました。しかし、今度は神ご自身が王になる人物を選ばれたのです。前者と後者の間には、選びに関して決定的な差があります。
サムエルの恐れ
それを聞いて、サムエルは恐れました。
当時彼は、ラマに住んでいましたが、そこからベツレヘムに行くためには、途中サウルが住んでいたギブアを通過することになります。もしサウルが、サムエルがベツレヘムに行く目的を知ったなら、サムエルを生かしてはおかないでしょう。
主はサムエルに、「主にいけにえをささげるために行く」と言えと助言なさいました。これはウソをついていることなのでしょうか。
(1)サウルは神の計画の全貌を知る権利を放棄した人物です。そのような人物に、事実の一部を隠したとしても、それはウソには当たりません。
(2)これは、マタイの福音書10:16でイエスが教えておられるのと同じ原則です。「わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」。
あなたは、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおに行動していますか。
ベツレヘムの長老たちは、サムエルが来たのを見て、恐れました。サムエルは士師でもあったので、さばきのために来たのではないかと考えたからです。サムエルは、自分は平和なことのために来たと答え、特にエッサイとその子たちを自らの手で聖別して、いけにえをささげる儀式に招きました。
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きょうの祈り
天の父よ。どうか私に、現実問題を解決するための知恵を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
ヨシュア記9~10、箴言15
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2024年4月19日(金)☀20℃
快晴です。
過ごしやすそうな日になりそうです。
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「clay」さんの視点。
「蛇のように敏く、鳩のように直く」。
この箇所からこのようなことを
教えられるとは思っていませんでした。
サムエルさんの「心配」に対して
主が助言します。
「事実の一部を隠して」行動する知恵。
日本にも「正直者はバカをみる」とかってあります。
「TPO」とかって一時流行りました。
また、「嘘も方便」なんてのもあります。
(ここでは「嘘」ではなく、
事実の一部を公表しない、という手法)
「慎重」さを見につける幸い。
ハレルヤ
主の御言葉に感謝いたします。
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
主イエスの御名によって。
アーメン ハレルヤ