9章の学び②:「神の導きの一つの原則」「日常的な出来事の背後に、神の御手があります」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上9章11~14節

〔新共同訳〕

サウル、油を注がれて王となる】(2)

11町に通じる坂を上って行くと、水くみに出て来た娘たちに出会った。彼らは彼女たちに尋ねた。「ここに先見者がおられますか。」 

 

12娘たちは答えて言った。「はい、おられます。この先です。お急ぎなさい今日、この町に来られたのです聖なる高台で民のためにいけにえがささげられるのは今日なのです

 

13町に入るとすぐ、あの方に会えるでしょう。あの方は食事のために聖なる高台に上られるところです。人々は、あの方が来られるまでは食べません。あの方がいけにえを祝福してくださるからです。祝福が終わると、招かれた者が食べるのです。今上って行けば、すぐにあの方に会えるでしょう。」

 

14二人が町に上り、町の中に入って行こうとしたとき、サムエルも聖なる高台に上ろうと向こうからやって来た

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(聖句雑感)

「水くみに出て来た娘たち」

 

旧約聖書では、よく「水くみ」の娘たちが登場します。

そして、物語の展開を迎えます。

 

イサクのお嫁さん探しもそうでした。

また、モーセの旅の終わりもそうでした。

面白いですね。

 

そういえば、

ヨハネ福音書4章のサマリアの女性も

ヤコブの井戸まで水を汲みに出て来て

イエス様とお会いできたのでした。

 

「水」は何かしら象徴的にも思えます。

 

9章は、サウルさんの側から描かれますが

サムエルさんにしてみれば、

王となるべき選びの人物が 

向こうからやってきたのですよね。

 

ほんと、「主の山に備えあり」ですね。

 

でも、また同時に、

主の選びの器を見分けられなければ

いけないのですよね。

 

さて、

平凡な者が・・・

主の御声に耳を澄まし

主の御心を知るには

どうしたらよいのでしょう。

何が必要なのでしょう。

 

そんなこと思いました。

ハレルヤ

 

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解説を見てみます。

 

牧師の書斎

リンク☞最初の王として油注がれたサウル

3. 神の導きの妙

サウルとサムエルの出会いにおいて、そこに神の導きの妙を知ることができます。そしてそれは神の導きの一つの原則とみることができます。

 

(1) サウルの側の神の導き

きわめて日常的な出来事の中に神の導きがありました。それは父が大事にしている雌ろば(複数)がいなくなつたという出来事です。父から頼まれてもうひとりの若者といなくなった雌ろばを搜しにいきます。ところがそれが見つかりませんでした。そこでサウルと一緒に言った若者が、神の人の存在について語ります。その人のところにいければ行くべき道を教えてくれるかもしれないとの提言を受けて、その神の人のいる町へ出かけたのです。すると、神の人(サムエル)は、今しがたその町に来られたところでした。

 

(2) サムエルの側の神の導き

サムエルは神から「あすの今ごろ、ひとりの若者を遣わすから、彼に油を注いで神の民の君主とせよ」との啓示を受けていました。そして、彼と出会ったのです。彼らは共に食事をしました。

 

このように出会う両者が前もってそれぞれ神の導きを受けています。似たような例としては、使徒ペテロと敬神者で百人隊長のコルネリオになされた神の導きです。使徒の働きでは実に10章と11章の2章を費やして記されています福音がユダヤ人から異邦人へと伝えられていく重要な導きでした。2012.5.24

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clay解説全文

人間の意志と神の摂理

娘たちの案内

サウルと若者とは、水を汲みに来た娘たちに出会い、予見者がその町にいるかどうかを尋ねました(当時は、水汲みは婦人たちの仕事でした)。すると彼女たちから、その日は絶好の機会であるとの情報を得ます。


(1)その日サムエルは、高きところでいけにえを捧げるために町に来ていました。

(2)この時代は、まだ神殿が建っていない時代でしたので、サムエルのような祭司が、高きところ(祭壇)でいけにえを捧げることは許されていました

(3)いけにえを捧げた後、サムエルは招待客たちとともに食事をする予定になっていました。

 

神の摂理の働き

先に進む前に、神の摂理がいかに素晴らしく働いているかを確認してみましょう。

 

(1)イスラエルの民は王を求めました。神はこの要求を受け入れましたが、それは許容的御心でした。

(2)神の人物選定作業が始まります。最初の出来事は、キシュの雌ろばがいなくなるというものでした。

(3)キシュは息子のサウルに命じてそれを捜させますが、いくら捜しても見つかりませんでした。

(4)家に帰ろうとしたとき、連れの若者は予見者のもとに行くことを提案します。なんと彼は、贈り物に使う銀4分の1シェケルを持っていたのです。

(5)その日サムエルは、いけにえを捧げるためにラマに来ていました

(6)そしてサムエルとサウルとは、町の中央で出会いました

 


神の摂理とは、「神の見えざる手」のことです

 

日常的な出来事の背後に、神の御手があります

 

その御手に運ばれて日々の生活を送っている人は幸いです

 

きょうも平安の内を歩もうではありませんか

 

神は私たちに必要な出会いを、摂理によって用意しておられるのですから

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きょうの祈り

全知全能の神よ。あなたは私にとって何が必要で、何が最善かをご存知ですどうかきょうも、摂理の御手で私を導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

民数記21~22、詩篇19~20

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2024年3月9日(土)☁?/15℃

 

今日は、土曜日。

安息日と呼ばれる日です。

 

イスラエルと東京の時差は7時間。

今、日本は午前6:30。

イスラエルは金曜日の23:30。

ユダヤの時間では、

イスラエルもすでに安息日に入っている、

ということですね。

 

わたしたちは

イエス様によって「御霊の自由」が与えられました。

感謝いたします。

 

わたしたちは、自ら選んでいるようで

選ばれているのだとも教えられます。

 

求める心も「主」からくるのであれば

何を求めるべきかも また

教えてくださるのでしょうか。

 

何を求めていいか分からない時、

ついぞ よりすがるものは

「主の祈り」です。

 

天にまします我等の父よ

願わくは 御名を崇めさせ給え。

御国を来たらせ給え。

御心の天になるごとく

地にも為させ給え。

我等の日用の糧を今日も与え給え。

我等に罪を犯す者を我等がゆるすごとく

我等の罪をもゆるしたまえ。

我等を試みにあわせず悪より救い出だし給え。

国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。

アーメン

ハレルヤ

 

「主の祈り」で唱えられていく内容の順番を見ます。

1. 御名を崇めること

2. 御国の来ること

3. 天と地の御心の成就

4. 私たちの日ごとの糧

5. 相互いにゆるしあうこと

6. 悪と試みからの解放

7. 栄光は神に

 

地に住む我等の一番の必要。

「日ごとの糧」。

我等のことに関しては、これが真っ先に宣べられます。

「日ごとの糧」。

我等の神さまは、地に住む我等の毎日の必要をよくご存知で、求めよ、求めよ、とおっしゃっていますから、ありがとうございます。人は皆、まず「生活」のことで精一杯であること主はご存知です。

 

人が「愛」というとき、それは「ゆるす」ということ教えられます。小さな子供の頃から「ゆるす」ということ教えられていきます。人と人との関わりは「ゆるす」ところから始まっていくのですね。

 

試みと悪を遠ざけてくださるように。

からみつくものに勝利できますように。

 

主の御名を崇め、

御国を思い、

主の御心が為されることを

まず第一に求めていけますように。

 

尊き主イエス・キリストの聖名を崇め

感謝いたします。

ハレルヤ