マルコ福音書15章33~37節
(マタ27:45-56,ルカ23:44-49,ヨハ19:28-30)
〔新共同訳〕
【イエスの死】(1)
33昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
34三時にイエスは大声で叫ばれた。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
これは、
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
35そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。
36ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。
37しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
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(聖句雑感)
「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか見ていよう」
そのために、「酸いぶどう酒」を与えようとした者がいた。
私的に野次馬的なもの感じてしまいました。
なんとなく、
「不信仰」とはこういうことなんだなと思いました。
私も野次馬的な信仰を持ってやしないかと、思う。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」
の響きを「エリヤ」と思ったのはなぜだろう。
昼の12時から3時まで、皆既日食がおこったのかな。
自然の摂理と神の摂理。
自然は神の支配下にあること知ります。
この場合「宇宙」と呼んだ方がいいのかもしれません。
「わが神わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
この言葉の意味がよくわかりませんでした。
ある時、「詩篇22篇の冒頭」だと知りました。
見事なまでに預言が成就されたのだと知りました。
死の極みまでも「無私」であった人間イエスを思います。
「畏怖」を超えたものが沸々とこみあげます。
イエスさま ありがとうございます。
私はただ眺めるだけのものです。
ただ 感謝して、主の救いを受け取ります。
ありがとうございます。
ハレルヤ
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解説を見てみます。
■新実用聖書注解1388-1389P
12時から3時まで、暗闇が辺りを包んだ(33)。
闇は、アモス8:9-10の終末におけるさばきと患難の預言を暗示している。
イエスは闇の中で、詩篇22:1から<エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ>(34)と叫ばれた。
父なる神と1つになって生きてきた方が、十字架上で「神に見捨てられる」という体験をされた。
それは、主イエスが我々に代わって、罪に対する神のさばきを受けられたことを意味する(Ⅱコリ5:21,ガラ3:13)。
「この世の罪の重荷を背負い、ご自身を罪人と全く等しくされた時、イエスはただ感じとしてではなく、この時現実に神に見捨てられた」(クランフィールド)。
十字架の最期は、「死んだ」ではなく、<息を引き取られた>(37)(「ギ」エクセプニューセン)と表現されている。しかも、<大声をあげて>(37)とあるように、その瞬間は衰弱や出血によって徐々に生命力を失う通常の死と異なっていた。死に至る時間も、ピラトが驚くほど短かった(44)。
事を完了し御手にゆだねられた。
アモス8:9-10(新共同訳)
9その日が来ると、と主なる神は言われる。
わたしは真昼に太陽を沈ませ
白昼に大地を闇とする。
10わたしはお前たちの祭りを悲しみに
喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え
どの腰にも粗布をまとわせ
どの頭の髪の毛もそり落とさせ
独り子を亡くしたような悲しみを与え
その最後を苦悩に満ちた日とする。
Ⅱコリント5:21(新共同訳)
罪と何のかかわりもない方を、
神はわたしたちのために罪となさいました。
わたしたちはその方によって
神の義を得ることができたのです。
ガラテヤ3:13(新共同訳)
キリストはわたしたちのために呪いとなって、
わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
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■clay解説全文
イエスの最期
〔3時間にわたる暗黒〕
イエスが十字架につけられたのは、午前9時でした。12時になると全地は暗くなり、その状態が午後3時まで続きました。
3時間の暗黒が地上を襲ったのです。
(1)この暗黒は、神の怒りと裁きが下ったことを表わしています。
(2)その間イエスは、人間として(人類の代表として)父なる神の怒りをその身に受けてくださいました。
(3)イエスは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と祈られました。これは、十字架上での第四の祈りですが、詩篇22篇1節の引用でもあります。ユダヤ人の習慣では、最初の節を引用すると、その詩篇の全部を引用したことになります。
(4)旧約聖書に記された代表的なメシア受難の預言は、詩篇22篇とイザヤ書53章です。イエスは、詩篇22篇を引用することによって、メシア受難の預言がご自身の十字架の死によって成就したことを示されました。
〔イエスの祈りに対する答〕
イエスの援助を求める祈りは、すぐさま父なる神によって聞き届けられました。
(1)回りにいた人たちは、イエスがエリヤを呼んでいるのではないかと勘違いしました。ヘブル語では、「エリヤ」の短縮形は「エリ」です。「エリ」という言葉は、「わが神」とも「エリヤ」とも取れます。
(2)イエスは最後に「大声で叫んで」、息を引き取られました。ルカだけがその叫びの内容を記しています(ルカ23:46)。「父よ。わが霊を御手にゆだねます」。
3)「わが神」と呼びかけていたイエスが、ここでは再び「父よ」と呼びかけています。これは、イエスの祈りが聞かれ、断絶状態にあった父なる神との関係がただちに回復されたことを示しています。
イエスを信じるなら、私たちもイエスがした経験をするようになります。
(1)私たちは、イエスとともに十字架につけられて神の怒りを経験しました。
(2)イエスが神との関係を回復されたように、私たちもまたイエスにあって神との関係を回復することができます。
(3)イエスという御名以外には、私たちが神の前で義とされる名はありません。イエスこそ私たちの救い、命です。
今、イエスを通して父なる神に感謝の祈りを捧げましょう。
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きょうの祈り
天の父よ。主イエスこそ救い、命、愛、光、希望です。主イエスの十字架によって、私はあなたと和解することができました。どうか、あなたの愛に応答するような生き方をさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
出エジブト記5~6、箴言 4
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2024年1月28日(日)☁&☀17℃
今日も猫ちゃんに起こされました。
猫ちゃんの体を触ると、冷えてます。
猫ちゃん一目さんでキッチンへ。
カウンターに飛び乗って
お皿の前に居座ります。
よほどお腹がすいてたんですね。
食べる様子を眺めていたら
気になったのか
ちょこっと残して去ってしまいました。
アレレ・・・。
今度はヒーターの前ですね。
(^.^)
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解説を読んで
しみじみとさせて頂きました。
イエスさまから人生を学ぶ。
イエスさまの生き方に心をノックされる。
もちろん
イエスさまは「神」なのだけど
「人間」として生きてくださった。
死の極みまで「人間」でいて下さった。
イエスさまの戦い方が
残された「人間」の模範。
そして、
イエスさまは勝利された。
だから、
わたし(たち)にも
勝利の凱旋が待っている。
わたし(たち)はもう
勝利している。
ハレルヤ
感謝
尊き主イエスの聖名を崇めて
感謝いたします。